20.Permanent
――『僕は現実の中で、夢を見ているんだ』
いつか観た映画の主人公が、そんなことを言っていたのを思い出す。彼は映像の中でずっと、『ここではないどこか』を求めて彷徨っていた。
もしその主人公に、今の俺の状況を教えることができたら、一体どんな顔をするだろうか。きっと『ハリウッド・アクションか、じゃなきゃ三文小説の見すぎだよ』なんて言って、苦笑いをすることだろう。
彼は映画の最後で国を出て、『虹の彼方へ』という曲と共に、ヨーロッパへと向かうシーンで幕を閉じる。その後の彼はどうなったのだろうか。彼の向かった新天地に、彼の求めた『ここではないどこか』は果たして在ったのだろうか。
――俺はどうだろう? 俺も日本にいたときはずっと今の状況が嫌で、逃げるように『ここではないどこか』を求めていた。けれど、今はどうだろうか?
◇
車がズラリと何台も置いてある広いガレージの中。俺を含めた6人は、ガンオイルと人の血で濡れながら、ここまでやって来た。
「追っ手は?」
「さっき斬った奴らで最後だ。今近くにいる分はな」
リネンは無愛想な顔でイトにそう答えた。
このガレージに着くまで、俺は何百リットルもの血と、大量の人の死にざまを見てきた。イトとルーラが撃って、リネンとラミーが斬って、彼女らは大勢の敵を血のカーペットの材料にして、ガレージまでの道に敷き詰めた。けれど何故か、そんな場面にいてもなお、不思議と恐いという感情は薄かったように思う。渦中の人間となってしまったからか、はたまた自分勝手極まりないが、彼女たちが守ってくれているという安心感のせいかもしれない。
「それで、車はどれにするの? これなんて速そうじゃん、かっこいいし」
そう言ってルーラは、ノーズの長い、いかにもスポーツカーという様相の、真っ赤な2ドアクーペを指さした。確かにまあ、速そうではあるが。
「ばぁかじゃないの? こんなんオフロードに入っちゃったらそれまでじゃん。大体、どうやってこれに6人も乗るってわけぇ?」
ラミーの容赦ない指摘に、ルーラは「ウグッ……」という声を漏らす。だが正直、俺もその通りだと思う。ああいうタイプの車は確かに馬力こそあるが、悪路でのパフォーマンスは普通の車以下だ。逃げれる場所をわざわざ限定させるのは、あまり得策とは言えないだろう。
「……でもかっこいいもん」
ルーラはうつむいて、拗ねたようにそんなことを呟いた。ひょっとしてああいう車が好きなんだろうか? まあ、気持ちはわかる。長っ鼻のスポーツカーは俺も好きだ。
「とは言え、バギーみたいな気の利いた車はさすがに見当たらないようだね。どうするんだい、イト?」
ベルがそのニヒルな顔を崩さず疑問を投げると、イトはすでに答えが出ていたようで、数ある車の中から、大きめの白のセダンを指さした。しかしラミーはそれに納得がいかないようで、眉をひそめてイトを見る。
「えぇ、あれぇ? 遅そうじゃない? 確かに詰めりゃ6人くらいは乗れそうだけど……」
「エルドラで一番走ってる数が多い。街中に入って追っ手を撒くには一番だ」
イトが指さしたそれは、確かにこれといった特色のない、いわゆる普遍的なフォルムの車だった。確かにあれならば、目立つことも無いだろう。
「それにな、ここみたいにドラッグを生業にしてるとこじゃ、決まってああいうのをチューンナップしてんだ。『緊急』に備えてな」
「なんでもいいからとっととエンジンに火を入れろ。それ以外をぶっ壊すぞ」
そう言いながら、リネンはボディバッグから小さい物体を取り出す。それには何やら物々しい注意書きが書かれており、容易に爆弾であることを想像できた。
「……プラスチック爆弾なんてどこで調達してきたんだ?」
「今それが重要か、イト? 敵の増援が迫っている中で聞かなきゃいけないほどのことなのか?」
「ああ、あぁ、わかったよ。さっさと始めよう」
リネンから答えを聞くことを諦めたのか、イトはプラスチック爆弾を一つ手に取り、早速リネンと共に取り付け作業に入った。
「ルーラ、ラミーと一緒にガレージの外に行って、周りの明かりを壊してきてくれ。ああ、サプレッサーをつけろ、そこらにあるオイル缶を使え」
「えぇー、ルーラとぉ?」
「うちだって嫌だっつーの! ほら行くよ!」
ルーラとラミーは口げんかしながらも、なんやかんやとイトの指示通り行動し始めた。
「何をぼさっとしている、黒髪黒瞳。お前も手伝え」
それを眺めていると、リネンが近づいてきてそう言ってきた。手にはいくつかのプラスチック爆弾が乗っかっていて、それを俺に突きつける。
「あ、ああ、悪い……」
俺は悪びれながら、彼女が差し出してきた爆弾を恐る恐る手に取ろうとした。
……が、寸前で、イトが割り込んできて、彼女の爆弾を取った。
「ハリにやらせんな。危ないだろ」
「……お前、さっきから思っていたが、この黒髪黒瞳に甘すぎるんじゃないか? いくら男とはいえ」
「……別に、そんなんじゃねえよ」
「大丈夫だよ、イト。俺も手伝う」
俺がそう言うも、イトは「けどよ……」と納得いってない様子だ。しかし、ここまで来て自分は何もしないというのは今一つ気が引ける。何より、一刻も早く逃げるなら、人手が多いに越したことはないはずだ。
「ただ車のそばにそっと置くだけだ。さすがにそのくらいできるさ」
「……わかった。けど、必ず私の見えるところでだ。いいな?」
「わかったってば」
……リネンに同調するつもりではないが、確かにイトはちょっと過保護気味になっている気がする。もっとも、俺が頼りないのがそもそもの原因ではあるが。
「ふむ、時間がないからな、頑張ってくれたまえ」
「お前はとっとと手伝え、ベル」
それからの時間は、さっきの銃撃戦からは想像もつかないほど静かなものだった。時たま、ルーラとラミーが街灯を割る音が遠くから聞こえる程度で、それをBGMに、俺たちは粛々と爆弾を取り付ける。
時間にしてきっと5分かその程度だっただろう。けれどその時間は、敵が迫っているというのが信じられないほど、ゆっくりとしたもののように感じた。
ここまで来れば、後は逃げるだけだ。あのロジーというマフィアを振り切って、追っ手の来ない場所まで逃げるだけ。
……逃げたその先に、何を求めればいいのだろうか? そんな場合でもないのに、俺は爆弾を取り付けながら、そんなことを考えていた。
――そこからは、実にスムーズに事が運んだ。爆弾を取り付けた俺たちは、白のセダンに6人、少々詰めて乗って、ガレージを出た。
遠くから叫び声のようなものが聞こえる。恐らく、新たな追っ手だろう。車のことはまだ気づかれていない。
車がガレージから少し離れところで、リネンはラミーを見た。
「……よし、やれ」
「オッケェ」
リネンの言葉を合図に、ラミーは爆弾のスイッチを押す。
地鳴りのような、重く大きい音が、後ろの方で鳴った。備え付けのバックミラーで後ろを見ると、ガレージのあった場所が、ゴウゴウと大きい炎がうねっているのが見えた。
速度を上げて、なるべく短時間で距離を稼ぐ。炎がみるみる遠くなって、叫び声も聞こえなくなって。そして、あの大きな屋敷が見えなくなるくらいの遠くまで、とりあえずは離れることができた。
追っ手は来ない。ひとまず、カーチェイスの心配はなさそうだ。
「……これさ、逃げきれたってことでいいのかな?」
「多分な、『今のところは』がつくが」
運転しているイトにそう言われると、後部座席に座っているルーラは、まだ緊張が解けきれてないような、しかしとりあえずは窮地を脱したことに安堵の息を漏らした。
――逃げる。
――逃げる、か……。
こんな時だというのに、そんな場合でもないというのに、俺はあの映画のラストシーンを思い出していた。居場所のない主人公が、居場所を求めて『ここではないどこか』へと向かったあのシーン。
俺はあれを観たとき何故か、彼がどんな場所に行っても、求めたものは見つからないのだろうと、そんな確信を持っていた。
それが今の状況に当てはまっているような気がしてならなかった。
「……何か不安なことでもあるのか、ハリ?」
恐らく顔に出ていたのだろうか。イトは前を向いたまま、俺に聞いて来た。
「イトはさ、こっから逃げた後、どうしたいとかってあるか? 何か、求めてるものってないのか?」
「……それ、今聞くことか?」
「……そうだな、悪い」
俺はしまったと思いながら、彼女に謝った。案の定、彼女は眉をひそませてしまって。俺は気まずくて思わず前を向いた。
「……別に何もねえよ。お前がいれば、それでいい」
イトのその言葉を聞いて、俺は思わず彼女を見た。車内が暗くてよくは見えないが、彼女は居心地が悪そうに口をもにょもにょと動かしながら、前を向いていた。
――車内の時計を見ると、時刻は日付を跨ごうとしていた。俺があの浜辺で誘拐されてから、ようやく1日が経つ頃だ。
俺は日本にいたときはずっと、『ここではないどこか』を求めていた。けれど、今は違う。
今日だけで、こんなに恐い目にも、痛い目にも遭ったというのに、『彼女』を見たその時から、『それ』を求める気持ちは、いつの間にか無くなっていた。
それにようやく、彼女の言葉を聞いて気付けた気がした。
「……ふむ、それでイト、結局どこに逃げるつもりなんだね? この近辺にいる限り、ママ・ロザリアからは逃げられんぞ」
後ろからベルさんが聞いてくる。どうにもむず痒い空気になっていたので正直助かった。それはイトも同じようで「あ、ああ……」と少々狼狽えながらそれに答える。
「とりあえず、ロジーの活動圏からなるべく離れる。具体的な場所は決めてないが……」
「西海岸だ(っしょ)」
リネンとラミーが同時に、割り込むようにイトにそう言った。それを聞いたルーラが、「えぇ!?」と驚いた声を出す。
「冗談でしょ!? あそこはヤバすぎるって!」
「彼女の言う通りだな。あそこはあそこでゴタゴタが多いぞ?」
ルーラとベルさんから言われても、リネンは特に動じず、淡々と自分の考えを口にする。
「だからこそだ。あそこならママも迂闊に手は出せない。それに、私にツテがある。逃げるなら西海岸しかない」
「それにぃ、あそこなら黒髪くんも結構自由に動けるんじゃないかなぁ?」
「……わかった。そこに行こう」
イトは頷いて、車の進路を変える。それにルーラは頭を抱えながら「ひえぇ……」と怯える声を出した。
……どうやら、相当厄介な場所らしい。今のうちに褌を締め直した方が良いだろう。
「そんな恐がんなよ、ハリ。大丈夫だって」
イトはどこか優しい、柔かい声色で、俺に言った。
「ブリトーが美味いらしいぜ、あそこはさ」
俺は再び彼女を見る。その顔は、重い何かから解放されたような、そんな憑き物が落ちたような表情だった。
――この一日で、俺の周りは全てがひっくり返るくらい変わった。奇しくも、昨日同じ時間に浜辺で思っていたことが、現実となったのだ。
俺はずっと、変化が欲しかった。
周りは変わった。後は俺が、変わらなければいけないのだろう。
俺はようやく、この世界で生きる覚悟を決めた。
進路は、西海岸へ。
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