17.Awkward
私の短い人生の中で、誰かが私の身体を触る時、大概どんなシチュエーションなのかが決まっていた。
リドーやその客みたいな奴らが、私を『男役』にして弄んだとき。リネンみたいに私に恨みをもっている奴らが、私の首を絞めて殺そうとしたとき。ロジーが私にお仕置きだといって、私の腹を蹴ってきたとき。大体どんな時も、身体を触るやつは私を空っぽの眼で見下ろした。
だから私は、そういうものだとずっと思っていた。身体を触るということは、誰かを支配したり、攻撃したりするためのものだと。
「ふざけんな」
私はハリの言葉に、なんて返せばいいかわからなかった。こんなふうに肩を掴まれて、真っ直ぐと私を見てくる奴なんて、誰もいなかったのに。
支配するためでも、攻撃でもない。今までなかった身体の触られ方に、ただ困惑するしかなかった。
「ッ……!」
ハリの眼が、黒曜石のようなその瞳が、私の眼の奥を覗いてくる。それはまるで全部を見透かしてくるようで、思わず目を逸らしてしまう。
「冗談じゃないぞ、イト。じゃあなんでお前は、あの時俺を助けたんだ?」
「え……?」
思わずそんな返事をした。言葉の意図が読めなかったから。
ハリは静かに怒っていた。怒っていて、けれどそれは、私が今まで向けられたことのない怒りだった。
「あの時、アンタらは俺を助けた。ホテルのドアを開けて、レイプされる寸前の俺を助けたんだ」
でも、と、彼は続けて言った。
「今ここで赤毛のところに行ったら、それは助けなかったのと一緒だ。お前は扉を開けず、俺はレイプされてどこかに売られたことになっちまうんだ」
「……助けようとして、助けたんじゃない」
「けれど助けた。お前がどう思ってようと、あの時、ホテルのドアを開けたんだ。なら最後まで責任もって助けろ」
「これ以上どうしろってんだよッ!」
私は叫んだ。地下深くとはいえロジーの屋敷の中だということも忘れて、グチャグチャになった感情に身を任せるしかできなかった。
「やるだけやったさ! その結果がこれなんだよ! お前もルーラも巻き込んで、怪我させて、これ以上足掻いたって酷くなるだけだろうが!」
息が苦しかった。我ながら、なんて酷い有様だろう。
ハリは黙って、私をただ見ていた。感情の読み取れないその目で。
その目は何だか、私の全部を覗いてくるみたいで。
それに耐えきれなくて、目を伏せた。
「……じゃあ俺を撃ち殺せ」
するとハリは、そんなことを言いだした。
「な……!?」
私とルーラの声が重なる。ハリはそれになんの反応もせず、淡々とその先を続ける。
「どうせ生き残っても、誰かの慰み者になるだけなんだ。ならいっそここで殺してくれ、銃ならあっちだ」
「……どうかしてるぞ、自分の言ってる意味が分かってるのか?」
「……ここに来る前、俺はずっと、暗い谷の底みたいな人生を生きてきたんだ」
そう言うハリの眼は少し、遠くを見ていたように思う。それは望郷とはまた違う、悔恨を思わせるような表情だった。
ここに来る前……恐らくニッポンという国にいたときの話だろう。
「要領が悪くて上手くできることなんか何にもなくて、誰からも見限られて、このまま一人で誰にも気づかれず、空っぽに生きて、死んでいくんだと思っていた」
肩を掴む力が、段々と強くなる。さっきまで逸らしていたはずのハリの眼が、何故か今は目を離せない。
「でもあの朝、イトがドアを開けた」
その言葉は、ストンと私の胸に落ちてきた。私は多分今、目を見開いていると思う。
彼が私の方を掴む力は、もはや痛みを感じるほど強くなってて、けど何故かその痛みが、心地よくて、離し難いもののように思えた。
「……一度奈落の底から救ってくれたのに、また落とすなんて勘弁してくれ。救うんなら、最後まで頼むよ」
……ああ、コイツはなんてわがままなやつなんだろう。一回手を差し伸べたなら、最後まで面倒見ろだなんて、ずいぶんと横暴じゃないか。こんなわがままな男見たことない。とんでもない奴を助けてしまったものだ。
……いいのだろうか?
……お前と一緒に、私も救われても、いいのだろうか?
「……いい加減離せよ、痛え」
「あ、ああ、悪い……」
そこでようやく気付いたのか、ハリは申し訳なさそうに私の肩を離した。さっきの剣幕からは想像もつかない顔だ。
「イト、俺は……」
「……銃を取りに行こう。鍵はリドーの服の中にあるはずだ」
何とか平常心を取り戻して、私はそう言った。正直このセリフを言うのはバツが悪かったが。
「……ありがとう」
「よせよ……ルーラ、装備の確認を手伝ってくれ」
「オッケー」
リドーだった死体から鍵を漁ってから、私たちは小部屋に移動した。
小部屋のドアの鍵を開けて、中へと入る。
「暗いね。イト、その辺電気ない?」
「待ってろ……これだ」
暗い中で壁をまさぐっていると、スイッチと思わしき突起物を見つける。どうやらこの部屋は非常用の倉庫らしい。電気をつけると食糧や、日用品などが所狭しと入っていた。そして案の定、入り口のすぐそばの机に、私のリボルバーとルーラのオートマチックが無造作に置かれていたのが見えた。
「……もう大丈夫?」
ルーラが自分の銃を取って、チェックをしながらそう聞いて来た。
「ああ、悪かった。もう大丈夫だ」
「そ……あんなに取り乱したイト、初めてみたよ」
「幻滅したろ?」
「全然? かわいいとこあるじゃんって思った」
「うるせえ」
そんな軽口をたたき合いながら、私たちは装備を確認する。
……弾はよし。動作も問題ない。『錠剤』もまだストックがある。
……今日だけで2錠、これを含めれば3錠。もし無事にここから逃げ出せたら、しばらくは禁薬生活をしないとマズイだろう。
「銃も『錠剤』も大丈夫だ。そっちは?」
「うん、こっちも大丈……あ」
ルーラが何かに気づいたような声をあげて、私は思わず彼女の方を見た。
……その声の理由は、すぐにわかった。
「服……どうしよう……」
地下部屋が薄暗くて気にしてなかったが、私もルーラも、リドーの拷問のせいで服がダメになってしまったんだった。
ルーラはほとんど下着だけだし、私にいたっては、ジャケットは取られたし、シャツは切り裂かれてボロボロだし、何よりその……下がスースーするような状態だった。
「イト、ルーラ、大丈夫か? 装備はちゃんと……」
と、何とも間が悪いことに、ハリが様子を見にきた。
「あッ……」
バツが悪そうに、ハリはそんな声を漏らした。
さっきも言った通り、さっきの薄暗い場所と違って、この小部屋の電気はしっかりとついている。
つまり、まあ言いたくはないが……バッチリ全部見えてしまっている状態だった。
どうにも居心地が悪くて、私はつい、破れたシャツの裾を伸ばす。
「……なにマジマジ見てんだよ」
「いや、その……なんだ、悪い。俺のシャツ貸すよ」
ハリはそう言って、いきなり自分のTシャツを脱ぎ始めた。
「ちょ、待て待て待て! お前が肌出すのが一番ヤバい!」
「は? いやでも女の子がその恰好は……」
「男の子が上半身裸の方がダメでしょうが!」
私とルーラが焦って止めると、ハリは納得いかないような様子で、自分のシャツを元に戻した。
……今に始まった話ではないが、私たちとハリの間には、やはり価値観のズレがある。
「とにかく、この部屋だったらシャツの1枚や2枚くらいはあるだろ。倉庫なんだしな」
「あ、ああ、わかった。ところで、どうやって逃げるか算段は付いてるか?」
「ああ、それなら……」
私が言おうとした瞬間。
バンッと、地下の入り口の方から音が聞こえた。入り口の大扉を破壊した音だ。
「ッ!」
私とルーラは即座に銃を構える。
「な、なんだ?」
「し! 静かに」
いきなりのことで動揺するハリにそう言って、倉庫のドアに隠れる。
「……? なんだ、撃ってこない?」
位置的にこっちの存在はもうバレているはずなのに、一向に何かしてくる様子もない。
不審に思って、私はドアを少し開けて、その隙間から覗いてみる。
「!……お前ら」
すると、ずいぶんと最近見た顔が2人。壊された大扉と、その奥にある地上へと続く階段をバックに、そこに立っていた。
「……なんだその恰好、ふざけてるのか?」
「はろ~、さっきぶりぃ!」
リネンとラミーが、重装備でそこにいた。
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