15.Temptation
雨が降りしきる中。
パトカーのサイレンが、遠くから響いてくる。
繁華街の光が、縦に細長く、けれど鬱陶しいほど眩しい。
リネンはそんな路地裏の、ゴミ箱の横で倒れていた。
「こんなトコにいたのぉ? きったなぁい」
リネンの耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。彼女にとって、今は聞きたくなかった声だった。
彼女は忌々し気に眉をひそませながら、顔をあげた。
そこにはラミーが立っていた。いつもと変わらない軽薄な笑い顔で、彼女を見下ろしている。
「……何の用だ? 後始末か?」
彼女はそう言いながら、ボディバッグにあるククリナイフの、その柄を手に取る。
「違うってぇ、迎えに来ただけ。首切るんならとっくにそうしてるっての」
ラミーは「ハァ」とため息を吐いて、リネンに肩を貸して無理矢理立たせた。
「たく、勝手に移動しないでよねぇ。探すの面倒だったんだから」
「バカ言うな。あのまんまだったら、どっちにしろ留置所に行って、今ごろ晩飯にありついてたさ」
拗ねたように口を叩くリネンを、ラミーは実につまらなそうな顔をして、横目で見た。
「イトみたい。その言い方」
「……次同じこと言ったら、なます切りにしてやる」
「ハイハイ」
ラミーは、睨み付けるリネンを軽く流しながら歩き始める。歩く先は、繁華街の光とは反対の方向。薄暗い闇の中へ。
「……リネンさぁ、マジでいいの?」
「なんの話だ?」
「本当にこのまま、あの男の子をロジーババアに渡していいの?」
ラミーは自分の顔をリネンに向けた。リネンはそれに見返すこともせず、ただ顔を伏せているだけだった。
「当たり前だろ、私たちはのし上がるんだ。あの黒髪黒瞳さえ手に入れば、組織もデカくなる。私たちだって、その中で幹部になるのも夢じゃない。世界中がひれ伏すであろう組織の、幹部にだ。そのためには何だってしてやるさ」
どこか酔ったように、欲に溺れたように、リネンはそう宣った。
ラミーの顔は先程と同様、酷くつまらなそうな、冷めたような表情をしていた。そんな顔をしながら、彼女は言った。
「バカじゃないの?」
「……なんだと? て、うわ!?」
リネンが低い声で聞き返した途端、ラミーは彼女を肩からはがした。当然、バランスを崩したリネンはその場に尻もちをついてしまう。
「お前、何のつもり……」
「なぁにが幹部さ! トップに媚びへつらって、男娼共の上前ハネるのの何が面白いんだよ!」
まるでセキを切ったような話しぶりで、ラミーは捲し立てた。
リネンは驚いていた。ラミーがこんなふうに怒るのを見るのは、初めてだったから。
「アンタさぁ、ボスになるって言ったよね? イトもロジーも潰して、私がトップになるんだっつってたよねぇ? それが何みみっちいこと言ってるわけ?」
「う、うるさい! お前に何がわかるって……!」
「私は! アンタをボスにするためについてってんだよ!」
ラミーはリネンの胸ぐらを掴んで、そう叫んだ。
「ボスになるんでしょうが! 南国に豪邸建てて、遊んで暮らすっつったでしょうが! ちゃちいこと言って妥協してんじゃないっつーのこのヘタレ!」
リネンはそんな彼女に何も言えず、睨み付けはしたが、その口は噤んだ。
少しの静寂。
ラミーは息を整えて、続けた。
「チャンスは転がってるじゃんか。来世があったってもう望めないような、ドデカいチャンスがさ」
「……お前、まさか」
リネンは息をのむ。
「ママから奪うつもりか? 自分の言ってる意味が分かっているのか!?」
リネンは目を見開いた。ラミーの言っていることは、それはすなわちママ・ロザリアを敵に回すということだ。
彼女はラミーの正気を疑った。ラミーはリネンの言いたいことを理解したうえで、彼女を睨み付けた。
「なにさ、ビビってんの?」
「そうじゃない! そうじゃないが……そんなの自殺行為だ」
「……案外、そうでもないかもよ?」
ラミーは言いながら、リネンの胸ぐらを離して、代わりに彼女に手を差し伸べる。
リネンはそれに何も言わず、ただ手を掴んで、その場に立った。
やや気まずいような間が少し。
リネンはラミーに聞いた。
「どういう意味だ?」
「さっき、ババアの屋敷にいたときに聞いたの。アイツ、今日の10時から出掛けるみたい」
「出かける? どこにだ?」
「多分、他の組織との会合だと思う。いつも通りだとすると、2時間ちょっとは出ているはず」
リネンは考える。ママ・ロザリアが外出する。これはつまり、レックスを含めた複数の精鋭たちが護衛として出払うということ。結果的に、屋敷の警備が比較的薄まるということになる。
「……本気なんだな?」
「しつこいなぁ」
ラミーは口をとがらせてそう言った。いつの間にやら、完全にいつもの調子に戻っている。
リネンはそれだけ見て、長い長い溜息を吐いて、言った。
「……まずは銃と『錠剤』の補充だ。ツテがある、来いよ」
「そう来なくっちゃぁ」
ラミーはそう言って、いつもの軽薄な笑みを浮かべる。
二人はそのまま歩いて、闇の中へと消えていった。
◇
私はきっと、取り返しのつかないことをしたんだと思う。
きっと、軽蔑されて当然のことをした。
神様、もしいるのであれば、どうか私を許さないで。
「……ふん、おやおや、『マグロ』になっちまったみたいだねぇ、イト?」
リドーが、鉄パイプを持って私を見下ろしている。
多分私は仰向けに倒れているんだと思う。きっと、あいつの持っているやつで、結構な回数を殴られたのだろう。
「う……ひっく……」
横を見ると、ルーラがしゃくりあげて泣いていた。相当乱暴されたらしい。服はほとんど剥かれて、肌には打撲痕がいくつも見られた。
私も同じような状況だった。両手に手錠をつけられて、それを頭の上にある、水道管か何かに縛り付けられていた。服だってもはや、その機能をなさないくらいにボロボロだ。
「……てくれ」
「あん?」
「殺してくれ……」
私はか細く、無意識にそう言った。それは腹の底からの本音だった。
私はハリに、最悪なことをした。
私が軽蔑した、汚れた大人たちとまったく同じことを、ハリにしてしまったのだ。
もう嫌だ。もうたくさんだ。
どれだけ汚れたって、汚す側に回るくらいなら、死んだほうがマシだ。
「へえ、殊勝なことを言うようになったねえ? そうだ、じゃ、ビール瓶を突っ込んで、どれだけアンタの可愛いのに入るか試してみるかい?」
嗜虐的で下卑た笑いをしながらそう言うリドーに、私はむしろ、安心さえしてしまった。
ああ、そうだ。そうやって好きなだけ汚してくれ。
救われようとしたのが間違いだったんだ。
もう、変な希望を持たずに済む。
「……ねえ、お姉さん」
おそらくその声は、ハリのものだった。私がそっちを見ると、私たちと同様縛られながら、リドーを挑発的な眼で見ていた。
「……なんだい坊や、その目は? アンタも後で丁寧に相手してやるから、楽しみに待ってな」
「後でじゃなくて、今がいいなあ。そんなマグロ女より、絶対楽しいと思うよ」
「……へえ?」
……なんだ? ハリは何をする気なんだ?
諦めて、ロジーの庇護に入るつもりなのだろうか。
……その方が良いかもしれない。こんな汚れた女にそばに居られるよりかは。
「いいだろう? 俺の舌はもっぱら評判なんだ、絹のような心地良さだってね」
そう言って、ハリはゆっくりと舌なめずりをする。それは酷く、蠱惑的で、艶めかしくて、目が離せない。
「だからさ、手錠を取ってよ。いいでしょ? 気持ちよくしてあげるからさ」
「……いいだろう。ちょっとでも変な気を起こしたら、いくら男でも容赦しないからね」
リドーはハリの様子に、生唾を飲み込みながらそう言った。
奴は手錠の鍵を持って、ハリに近づく。
私は再び、ハリの方を見る。
きっと気のせいだろう、縛られているはずのその手元から、一瞬光が反射したように見えた。
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