13.Reflex

「ああもう、痛いっての! ホリョの扱いも満足にできないわけぇ!?」


「黙ってろルーラ、この裏切り者のアバズレが!」


 最悪だ。

 私は横で、リドーの手下のチンピラと口喧嘩しているルーラを見ながら、そんなことを考えていた。

 病院で捕まってから、もう数十分ほどは経っただろうか。私たちは車に乗せられて、今目の前にある、反吐が出るような屋敷に連行されていた。

 全く最悪だ。1日に2回も、あのババアロジーの巣に入らなくちゃいけないなんて。

 後ろの方を見ると、ベルも私と同じように銃を突きつけられて、苦笑いでやれやれといったような顔をしていた。勘弁してほしいという気持ちだけは、どうやら私とあいつとで合致しているらしい。

 しかし全く、雨だと言うのだから傘くらいはさしてほしい。こっちは腕まで縛られているのだから。


 重々しい玄関の扉が開く。

 中からわずかに匂ってくる、ガーベラの香り。私は顔を僅かに歪めた。


 扉を開けた先、私の目の前には、ロジーが立っていた。


「お帰りなさい。随分と時間がかかったわね?」


 全部を見透かすような、まるで勝ち試合のチェスでも打ってるような顔をして、ロジーは私に笑いかけた。

 『おかえり』だと? ジョークにしちゃあんまりにも最低だ。


「ハリ、と言ったかしら? あの子もお待ちかねよ、イト」


 ハリ……! クソ。


「お前! アイツに指の一本でも触れてみろ! 話すのもおぞましいような殺し方をしてやるぞ!」


 そう言った途端、いきなり腹部を蹴られる。私に銃を突きつけてた、リドーの仕業だ。


「ウグッ……!」


「口の聞き方に気をつけな、便所坊や」


 私はそれに言い返すこともできず、その場に伏して、無様に咳き込むしかなかった。

 クソ、こいつも絶対殺してやる。


「リドー、程々にしなさい?」


 ロジーが一切表情を変えずそう言うと、リドーは焦ったような、怯えたような態度で「ハイ」とだけ言った。


「……さ、中に入りなさい。体が冷えたでしょう」


 ロジーはそう言うと、屋敷の奥に引っ込んだ。私たちも同様、ではないが、チンピラ連中に引っ張られ、ロジーの屋敷へと食われていった。



「まったく、イト。貴方は本当に良い子ね。まさか、あんなにすごい手土産を持って来てくれるなんて」


 屋敷の中を歩きながら、前を歩くロジーは顔こそ見えないものの、実に上機嫌にそう宣った。

 私はそれに何も答えない。きっと返答などハナから求めてなかっただろう。ロジーは続ける。


「それに、その子が『クリーピーローズ』と同時に手に入るなんてね。あんまりに出来過ぎてて笑っちゃうわ」


 ロジーはわざとらしく肩をすくめていった。それが何を意味するのか、よく分からない。

 どういうことだ? ハリとあの『錠剤』に、因果関係なんてないはずだろう。


「……少し聞いても良いかな、ママ・ロザリア」


 私が考えていると、後ろにいるベルがそう聞いた。


「おい、余計な口を開くな!」


「いいわ」


 怒鳴るチンピラを諌めて、ロジーはベルを見る。


「何かしら、ベル博士?」


「どうせ知ってるだろうから言うが、私はあの『クリーピーローズ』を成分分析したんだ。完全にではないがね」


 ロジーはそれを聞いて微笑む、ベルは続けた。


「そこまで調べた限りでは、はっきり言って、私の病院を壊すほど価値のあるものとは思えなかったよ」


「……へえ、というと?」


「あれは、ただの媚薬だ。それも市販されているようなレベルのね」


 ベルのその言葉を聞いて、私は目を見開いた。

 媚薬? ただの媚薬だと? そんなことがあるのか?

 じゃあなぜ、ロジーはこんなにあの薬に拘っているんだ?


「具体的にいえば、主な有効成分はシルデナフィルクエン塩酸・・・・・・すなわち、バイアグラだ」


 バイアグラ。その名前は私でも聞いたことがある。確か、世にも珍しい男性用の媚薬だったはずだ。元々は狭心症の人間のために作られたと言うのを、パルプ誌か何かで見た記憶がある。


「無論、男性用の薬品だし、滅多に出回らない代物だ。しかし、それでも一般的なオフィスレディが少し背伸びさえすれば買えるんだぞ。よもや貴女のような上流階級の更に上澄みが、手に入らないはずもあるまい」


「……まあ、貴女ならそう思うでしょうね」


「ただ、確かに奇妙な部分もあった」


 ベルは、そう言って縛られた手の片方、その人差し指を静かに立てた。


「先程も述べた通り、バイアグラに含まれる成分はシルデナフィルクエン塩酸。だが、あの『クリーピーローズ』という薬は、それ以外にもいくつか『まったくわからない』成分が入っていた」


 誰もそれに反論をしない。

 少しの静寂。

 ベルは続けた。


「あれはなんだ? まったく未知の性質を持っていた。貴女はあれで、一体何を望もうというのだい、ママ・ロザリア?」


 ベルはロジーを見据える。それにロジーは何も答えない。アイツはただ、全てを小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべて、ベルの視線を一身に受けるだけだった。

 何秒ほどそうしていただろうか。ロジーは静かに、口を開いた。


「解いてあげなさい」


 なんの前触れもなくそんなことを言った者だから、私は思わず面食らってしまった。チンピラ連中もそれは同じなのか、困惑しながら、またはロジーの顔色を伺いながら、私たちの手の拘束を解いていった。


「……貴女たちはもういいわ。リドーだけ残して、残りは解散しなさい」


 拘束を外すのをみると、ロジーは私たちに銃を突きつけていたチンピラ連中にそう言った。当然それに不必要に逆らう奴などおらず、連中は私たちとリドーを残して、ゾロゾロと屋敷の奥に姿を消していった。


「……見せたいものがあるのよ。こちらに来てくださる?」


 そう言って奴は踵を返して、リドーを連れて地下へと続く階段を降っていった。


「……どうする? 逃げるかね?」


 ベルのその問いに、私はただ首を横に振った。


「ハリが捕まってる。アイツを助けなきゃ」


「……無事かなあ、ハリくん?」


 私の言葉に、ルーラは小さくつぶやいた。

 無事でいてくれなきゃ困る。必ず連れて逃げ出すんだ。今度こそ、必ず。

 是非もなく、私たちはロジーに従って、地下へと降りていった。



 初めてきた者なら、1階の豪華絢爛な見た目から、この部屋は想像もできないだろう。地下は薄暗く、コンクリートが打ちっ放しになっている、殺風景という言葉を体現したような場所だ。

 私はここに何度も来たことがある。思い出したくもない記憶だが。


「ここよ。ほら、あそこ」


 ロジーが指を刺すその先。


 そこには、ハリがいた。

 憔悴しきった状態で。


「ッ……ハリ!」


 私は思わず、ハリに近づく。

 それをなぜか誰も止めない。あのリドーですら。

 けれども私は、そんなことを気にしてる余裕もなかった。


「大丈夫か!? 怪我したのか? アイツらに何をされた?」


「……イ、ト」


 ハリは、弱り切った顔を上げて、私を見てきた。




 ……なんだ? なんだ、この感じ?




 違和感があった。まるで、脳に強い信号は走ったような。脳が何かを直接命令しているような、そんな感じ。


「ダメだ、逃げろ……。アイツら、お前で……」


 なんだ? ハリの声が遠くなる。鼓動が急に速くなる。

 私は、何をするんだったけ?


「お前で……試す、つもりだ。ここにいちゃ、ダメだ……」


 ハリを見つけて、その後、どうしなきゃいけないんだっけ?


 何言ってるんだ、そんなの決まってるだろ。


「イト、離れ……!」




 犯せ。




 ハリの言葉を聞く間もなく、私は抱きしめて。

 その口を、自分の口で塞いだ。


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