11.Snatch
『錠剤』。
正式名称は、『錠剤型特化第1類医薬増強剤』。
それは昔、ほとんどの男性が消えたこの世界において、女性だけで社会を回すためにつくられた、苦肉の策である。
非常に即効性、有効性の高い身体強化を望める女性専用の薬品であり、元々は軍隊などで、女性兵士を最大限運用するために開発されたものである。
その効果は実に様々だ。筋力増強、視覚聴覚の鋭敏化、恐怖心の希薄化、痛覚鈍化、治癒力の強化、などなど。それは、我々の現実世界で存在している、男性の社会的役割を代替するのに十分すぎる効果を持っている。
無論、そこまでの強大な力を、何の見返りもなしに求められるべくもない。
『錠剤』はその突出した効果と共に、非常に強い毒性、中毒性を持つ。『錠剤』の過剰摂取で脳がイカレて廃人になった者、急性中毒になって死んだ者、飲んだ瞬間に血を1リットルも吐いた者。『錠剤』の犠牲者の名を書き連ねるとすれば、辞典みたいに分厚いノートを買ったってまったく足りやしないだろう。
そのため、現在一般的な病院などで手に入るものは非常に濃度を薄めた物のみで、濃度の濃い『錠剤』は裏社会でのみ使用、売買されている。
裏社会での『錠剤』は、濃度ごとにカテゴリー区分が設けられている。個人の許容量に合わせてこれを服用するのだが、裏社会では過ぎた力を求めるものは当然多く、前述した惨事になることは決して少なくない。
――――イトとリネンが用いた『錠剤』は『カテゴリー:A5』。
――――効果、危険性共にトップクラスのモノである。
◇
世界がストップモーションに見える。
きっと走馬灯とはこういうものなのだろう。
だがそれはきっと、向こうも同じなのだ。
ククリナイフの刃が、私の目の前にあった。
「クソッタレ!」
紙一重で躱す。毛先がわずかに切られたのが見えた。
距離をとって、転がるような姿勢のまま、私は引き金を引く。
照準は、リネンの顔。
撃鉄が降りる。
リコイル。
それを3回。3発。
「チッ……!」
リネンは舌打ちをしながら、ククリを素早く振る。共に聞こえたのは、甲高い音、跳弾。
弾きやがった、この距離で撃った銃弾を。本当に人間かよ……。
「どけ! お前の相手してる暇なんざねぇんだよ!」
こんなことしている間にも、ハリが連れて行かれてる。
チクショウ、もうアイツの姿が見えない。ラミーに連れて行かれたんだ。あの女、ぶっ殺してやる。
「ドライブに行きたいなら免許証を渡せ、腕ごとな」
どうやらリネンは、何が何でも私とやり合いたいらしい。そんな暇ないっつってんのに。
……変わんねえ、コイツは。初めて会ったときから、何も変わんねえ。
「……ハッ、10年早えんだよ、『お嬢ちゃん』」
私がそのワードを口にした途端、リネンの眉間にしわが寄る。
飽きるほど、見てきた表情だ。
「……お前は前からそういう奴だよ、イト。そうやって、いつも他人を見下しやがる」
あからさまに語気が強くなる。それは誰から聞いても、憎悪に満ちていた。
「後から来たくせに、当たり前のようにリーダー面しやがる! 私のことをガキみたいに扱いやがって!」
……コイツは本当に、いやになるほど変わっていない。私のことが気に入らなくて、私のことが憎くてたまらなくて、隙あらば殺してやろうと考えている。単純な力量は上がってるが、そこらへんは少しも変わってない。
「銃を構えろ! 二度と歩けないようにしてやる!」
大声で、リネンはククリを構えてそう叫ぶ。
お前はそういう奴だよ。こんだけ手勢を引き連れているのに、わざわざ決闘みたいなことして。きっと自分で
リネン、お前は強いよ。私への殺意が、お前をそこまで成長させたんだろうさ。大したもんだ、本当に。
だから、お前は負けるんだよ。
「離乳食を卒業したら勝負してやるよ。『お嬢ちゃん』」
瞬間、リネンが突進してくる。
ククリナイフを振りかぶって、ものすごいスピードで向かってくる。
もはや眼で追いきれない。
きっとブチ切れているに違いない。
最初に言ったセリフも忘れて、リネンは私を殺りに来てる。
コンマ1秒後には、何もしなければ、私の首は飛んでいることだろう。
ほら、やっぱり我を忘れて『首を切りに来た』。
「ッ……!?」
私はリネンの腕を掴んで、刃が首に届く寸でのところで止めた。それが予想外だったのだろう、リネンは見るからに焦った顔で、眼を見開いていた。
「言ったろ? 10年早え」
私はそう言って、リネンの腿に銃口を向け。
引き金を引いて、撃った。
「ウグッ……!」
リネンはうめいて、その顔を歪ませる。露出した白い足から、赤黒い液体が飛び散った。
「安心しろ、動脈は避けてる。『錠剤』ありなら、一晩で治るさ」
私はそう言って、リネンの腕を離す。すると力が抜けたみたいに、リネンはバタリと仰向けになって倒れた。
「……殺してくれ」
「……急いでるっつってんだろ」
クソ、一晩に2錠。完全に過剰摂取だ。効き目が切れるまであとどれくらいだ?
さっさと残りの手勢を片付けて、追いかけねえと
ドン
「ッ!? ……あッ……!?」
なんだ、激痛? 後頭部に? 何かで殴られた。ダメだ、倒れ……。
「やっと油断してくれたねぇ、坊や?」
この声……リドー、豚女め……!
「なんの、つもりだ……リドー……」
「そりゃこっちのセリフさ、リネン。血が上ってくだらない決闘ごっこなんかして。何のための手勢だい、ばかばかしい」
リドーは倒れてるリネンの髪をわしづかみ、顔を自分の方に向けさせる。
「使えないんなら黙ってな。この役立たずが」
「……チクショウ」
リドーはにべもなく、リネンを離す。今度は私の方に近づいてくるみたいだ。
手に持ってるもの、鉄パイプか。あれで殴られたのか。
「なあ、イト? 手勢ってのはもっと有効に使わなきゃね、あんな風に」
そう言うと、リドーはあごを使って、向こうを見ろとジェスチャーをする。私は嫌な予感がして、その方向を見た。
……なるほど、有効だ。反吐が出るくらいに。
「……イト、ごめん」
やはり防ぎきれなかったのだろう。ルーラとベルが、リドーの手下たちに銃を突きつけられていた。
「立ちな、イト。立てるんだろう? アイツらの穴を増やしたいってんなら、別にいいけどね」
選択肢はなかった。
私は急激に重くなった身体を何とか立たせて、リドーを睨み付ける。
頭から血が流れる。それが目に入って、片方が見えなくなった。
「ギャハハハ! 懐かしいねぇ、昔の『便所』そのものじゃないか!」
「……とっとと煮るなり焼くなり好きにすればどうだ?」
私がそう言うと、リドーは鼻で笑った。本当、やることがいちいちムカつく豚だ。
「焦るんじゃないよ。屋敷に戻ったら、お望みどおりにしてやるさ。あの男と一緒にね」
そう言うと、奴は手下を2人呼び出し、私を拘束させた。
ハリ……。
ごめん、守れなかった。
助けるから。
必ず助けるから。
「車に乗せな。あのガキ共もだ。撤収するよ」
やつの命令通り、手下のチンピラ共は、私たちを外に連れ出し、車に押し込んだ。
外は、いつの間にか雨が降っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます