10.Surprise

 ――安心できたことなんて、今まで一回もなかったけれど、それでも休まなきゃいけない時がある。不安の中ででも休息を取らなきゃ動けなくなるっていうのは、人間の不便なところのひとつだろう。


 束の間のセーフハウス。

 私たちはベルの病院へ転がり込んで、ようやく一息つける状態となった。今はただ、『クリーピーローズ』の成分分析の結果待ちだ。

 今は待合室に3人とも放り出されたわけだが、いきなりなにもやることがない、となると手持ち無沙汰になるもので、私は壁に寄りかかって、時計をぼうっと見ていた。

 緊張続きの糸が一気に切れたからか、それとも朝に呑んだ『錠剤』の副作用が今更になって現れたのか。大きい疲労感が体を襲った。


「――……ふわ……ぁ」


「……おい、大丈夫かイト? ふらついてるぞ、こっちで寝るか?」


 ……これはいけない。

 少し身体が怠くて、あくびをしてしまっていたみたいだ。ハリは自分が座っていたソファから立って、心配そうな顔で私にそこに座るよう促してきた。

 なんなのだろうか? 今までこんなこと一度だってなかった。疲れた素振りなんて、誰かに付け入るスキを与えるだけだから、絶対にしないようにしてるのに。

 いつもと違う自分に困惑したからか、素直にハリのそれに甘えればいいのに、私は強がって、首を横に振る。


「いいから座ってろよ。お前こそ慣れないことの連続で、へとへとのはずだろ」


「……すまない、俺のせいで」


「……なんだよ、何謝ってんだ? 謝ったらまた迷惑かけ放題ってか?」


「いや、そんな……そうだな、無神経だった。悪い」


 バツが悪そうに目を細めて、ハリはまた私に謝った。言いようのない罪悪感が湧いてくる。


「……だから、謝んなって」


 あぁ、バカ。私は一体何をイラついてるんだ? ただハリに、そんな顔しないでほしいだけなのに。

 『大丈夫だ』って、『気にするな』ってそう一言、ハリに言えば済む話なのに。

 謝ろうとしても、なんでか上手く言えなくて、私はハリからつい、目をそらしてしまう。


「不機嫌だねえ、イト? まあ、どうせまた後先考えずに強めの『錠剤』を飲んだのだろう?」


「いつか絶対、過剰摂取オーバードーズで死ぬよ、イト? あ、ハリくん気にしないでね。コイツ薬が切れたらいっつもイライラして、誰かに八つ当たりすんだから」


 ベルが診察室から出て来るや否や、ニヤニヤしながらそんなことを言ってきた。非常にウザイ。

 ルーラまでそれに乗っかってくるものだから、二乗でウザイ。ただでさえ『錠剤』の副作用でイラついているのだから、勘弁してほしい。


「うるせえバカ。それよりどうなんだよ、ベル先生? 結果は?」


「待ちたまえ、そんな30分やそこらで成分分析なぞできるはずなかろう」


「しらばっくれんなよ。アンタなら、もう結構いいとこまでいってるんじゃないか?」


「……進捗70%というところだ」


 さすがだ。偏屈な変態モグリだが、やはり腕だけは特級品らしい。


「……ねえイト。そもそもなんでロジーの薬を勝手に持ち出したりなんてしたのさ? ばれたらただじゃ済まないの、わかってるでしょ?」


 ルーラから聞かれたその質問で、私は今朝のことがフラッシュバックした。

 思い出すのは、あの二人組。ハリをどっかから拉致ッて来て、ロジーの『クリーピーローズ』をくすねようとした。あのチンピラ共だ。


「……そもそもだ。なんで今朝の二人組は、せっかく高く売りつけられた薬を出し渋ったんだ? そんなことしたら脳天吹き飛ばされることぐらい、日陰の世界で生きてるならわかってるはずだろ」


「あー、言われてみれば……」


 私がそう言うと、ルーラも納得したようだ。

 少なくとも裏の人間同士においては、契約というのは厳に順守すべきものだ。破った者は罰を受ける。死か、もしくは死んだほうがマシだと思うような罰を。そうやって、この場所は最低限の秩序が保たれている。

 しかも相手はあのロジーババアだ。高額の取引を不意にしてまで、やつに盾突くリスクに比べれば、それで得られる金など微々たるものだろう。

 では何故、あの二人組はその『鉄の掟』を破ったのか? その解答自体は、実に簡単なものだ。


「薬を使って、もっと稼げる方法を見つけたってことか。そんなやばいリスクを飲み込めるくらいの」


 意外なことにハリが、私と同じ結論に辿り着いていた。


「そうだ。……ここからは勘だけどな、あの『クリーピーローズ』、ロジーの入れ込みようからして、相当ヤバい薬だと思う」


「……ちょっと待ってくれ。君、それが本当なら、成分分析している私も相当危険な立場ではないかね?」


 ここにきて、ベルがようやく気付いたらしい。もう遅い、諦めてこっち側についてもらおう。

 ベルもそんな意図を私の顔から読み取ったのか、盛大に溜息を吐いた。


「……報酬は弾んでもらうしかあるまいな?」


 ベルはそう言って、ぐるんとハリの方を見た。連鎖でもしているのか、ハリもまた、盛大に溜息をこぼした。

 すまん、ハリ。ちょっとだけ身体を張ってくれ。


「それで? あとどのくらいで終わりそう?」



「そうだな、あとは……………………ッ」



「……ベル?」



 何故か中途半端なところで、ベルは話すのをやめた。

 ベルの顔からにやけ面が消える。その目は、私じゃなく、外を見ていた。


「イト」


 一瞬の静寂

 遠くから車の音

 降りる音

 大量の足音

 撃鉄を降ろす音





 しまった!





「伏せろぉッ!」





 私の叫びを、轟音がかき消した。


 ガラスが割れる音

 機関銃の音

 跳弾の音


 爆音と、衝撃の暴力


 それらがまぜこぜになって、私たちの鼓膜を襲った。




「ストップ、ストーップだっつってんじゃん!」




 どこかからか、轟音に紛れてそんな声が聞こえた。

 聞き覚えのある声だった。ここじゃ絶対、聞きたくない声。

 その声がして間もなく、重火器の音はぴたりとやんで、衝撃も失せた。


「クソ……無事か!?」


「ああ……たく、なんてこった。私の病院が……」


「ゲホッああもう、最悪!」


 身を低くして、周囲を見回す。どうやらベルもルーラも無事だ。


 ……まて、アイツは?

 ハリはどこだ!?




「久しぶりだな、『オトコ女』」




 声がする方向を、私はとっさに見た。


 そこにハリはいた。


 銀髪の女から、ククリナイフを首に当てられた状態で。


「……リネン」


「やだぁ、イト。私のこと無視しないでよぉ」


「ラミー……」


 最悪だ、クソ、しくじった。

 『よっぽどマジにキレたやつでもない限りここに来ない』? チクショウ。


 いるだろうが、ぶっちぎりでキレた奴らが。


「わあ! ホントにイケメンじゃぁん! こりゃ帰った後が楽しみだねぇ」


「触るなラミー。コイツはすぐママのところに持っていく」


「……イト、逃げろ」


「……黙ってろ、ハリ。すぐ助ける」


 リネンとラミー。絶対に会いたくなかった、特に今この場では。

 何でバレた? いつバレた? いや、今考えるのはそれじゃない。


「そいつを離せ」


 今はハリを守ることだけ考えろ。


「……ラミー、黒髪黒瞳を連れていけ」


「あいあーい。さ、お姉ちゃんと一緒に行こーねぇ」


「クソ、イト! さっさと逃げろ! アイツらを連れて!」


 ああもう! 黙ってろって、頭が真っ白になるだろうが!


「安心しろ、殺しはしない。手足の3、4本は覚悟してもらうかもしれないがな」


 リネンはそう言って、私の目の前に立つ。

 奴はポケットから『錠剤』を取り出し、噛み砕く。

 そして、二刀のククリナイフを構えた。


「……ああそうかい、じゃあお前は頭だけにしといてやるよ」


 銃を構える。

 『錠剤』を取り出して、飲み込んだ。


 奴がククリを振りかざす。


 私はそれにただ



 撃った。

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