第28話 デミー・ノリスという男。

デミー・ノリスの突拍子のない自己紹介から、そこらあたりから記憶がほとんどなかった。

なんともよくわからない感情で、今日の出来事をリセットされてしまったような感覚。

確かに色々ありすぎて、強烈すぎて……逆にすべて忘れ去られたいという防衛本能のような……。


彼とあれから何を話したのか思い出せないほどに。


なのでハレス・ミーノンとマークス・カルトンには話も聞けていない状態でのお茶会はお開きに。

『アンルースの機嫌が悪く今日は出てこれない』という理由にため、そんなに長くは引き止められないというのも事実だ。


お茶会だけの目的でこの国に来たアーノルド、ラントは暫く城に滞在する予定で(アンルースのお腹の子の情報にもいち早く対応するため)警備は引き続き慌ただしくしていた。

ジグはうちに一緒に帰ろうとしたが、すでに身分は『ジェイグレン王子』なので、そのまま城で捕獲されてしまって涙目だった。


まるで親と引き離される子犬のような目でルーゼンを見ていたが、どうすることもできなくて可哀想な気持ちになる。

エルヴァンの方はルーゼンの客人としてこの国に来ているため、普通にルーゼンの家に帰れるので、ジグがずっと『ズルイズルイ』と泣き叫ぶのを困った顔で見ていた。


51番目の恋人こと、デミー・ノリス。

ウイレードに報告した後、お茶会が終了と共に速攻で執務室へと連行されて行った。

ルーゼンとエルヴァンも後に続く。


執務室の入ると、今年1番の不穏な空気を纏ったウイレードがいた。

自分の机に両手で頭を抱え、いつものポーズである。


「……それで、どういうことなんだ?」


ウイレードがデミーに問う。

デミーはニコニコと微笑みながら、その場に立っていた。


「……君のことはどこからも報告されていないのだが?」


要は『資料に載ってない恋人』だという事。

国をあげて調べたのに、一つも名前が上がらなかったのも可笑し過ぎるのだ。


疑うウイレードにも動揺せず、ニコニコしながら丁寧にお辞儀した。


「発言をお許しいただけますか?」


デミーの言葉にウイレードが頷いた。


「まずは自己紹介失礼します。

ノリス伯爵三男、デミーと申します。

15の時から見習いから入城し、護衛騎士として城に努めて4年となります。

6ヶ月前にアンルース王女付きの護衛の任につき、その頃からお付き合いさせていただいております。

アンルース王女と付き合っていた証拠をお見せしてもよろしいでしょうか?」


デミーは両手を後ろに組み、騎士としての立ち振る舞いを見せている。

発言も行動も、ウイレードにお伺いをたててからと謙虚な姿勢を見せているが……。


ルーゼンにはなんとも胡散臭く見えた。

ニコニコと笑う笑顔にしても、この規則や礼儀に則った会話にしても、だ。


丁寧なデミーに対してウイレードの機嫌はすこぶる悪く、頭を抱えたまま睨みつけている。

機嫌の悪さを全面に出し、デミーに向かって『好きにしろ』と言わんばかりに手を振った。


その合図にデミーは嬉しそうに微笑んだ。


そして『失礼します』というと、シャツのボタンに手をかけたのだった。


『……なんで脱ぐ!?』


ルーゼンは思わずギョッとしてシャツをはだけさせるデミーを止めようとしたが、逆にデミーに制される。


「これをご覧ください。」


シャツを片方だけ脱いだ状態。

はだけたシャツから鍛え上げられた上半身が露わになったところで、鎖骨の下あたりを指さした。


指を指す方に3人の視線が集まる。

じっと目を凝らすとそこには小さな歯型がついていた。


「……え?」


おもわずルーゼンはそれをじっと見つめた。

え?歯型?

意味がわからず見つめたままのルーゼンに、デミーは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


その笑みがあまりに不気味で、一瞬ルーゼンは怯んで後ずさった。

今までの愛想のいい笑顔とは違い、気味が悪くなったからだ。


「これは王女の歯型です。

初めて結ばれた夜、彼女は自分の所有物としての記念に、私に歯型を刻まれました。

私はそれが嬉しくて思い、そのまま色を入れ、形に残した次第です。」


わざわざ一歩下がったルーゼンの耳元に近づいてきた。


『綺麗でしょ?』


そう言われ、思わず耳を塞ぎ睨みつける。


綺麗なんて思わない。

いくら好きだからと言って、噛まれた歯形を保存して残すなど、正気ではない。

そしてそれを自慢げに見せびらかすのだ。


デミーの言葉と笑顔に吐き気がした。


ルーゼンの引き攣った顔に気がつき、ウイレードが後ろの騎士に命じてルーゼンからデミーを引き剥がす。

引き剥がされる時に見た笑顔がまた、とても気持ち悪かった。


そんなルーゼンに構わず、デミーはニッコリとウイレードを見ると再び口を開いた。


「他にもあります。」


そう言ってはだけたままだったシャツを乱暴に着ると、ズボンのポケットから一つのカフスを出してみせた。

それを手のひらに乗せ、前へと差し出す。


ルーゼンはもう近寄りたくなかったので困ったように騎士を見ると、騎士がそれを手に取り、近くへと持ってきてくれる。


アクアマリンの宝石が入ったカフスの片割れ。

宝石の周りは金でできていたが、留金のあたりに古い傷が見えた。


ルーゼンもウイレードも、そのカフスに見覚えがあった。

それはアンルースが祖父からもらったもので、形見だと大事にしていたカフスだった。


アンルースがそのカフスをルーゼンに見せるときに言った言葉をふと思い出す。

宝石箱から取り出した二つのカフス。

それを取り出しながらアンルースは恥ずかしそうにルーゼンを見上げた。


『これはお母様からお祖父様の形見だってもらったの。

中に入ってる宝石綺麗でしょ?

ルーゼンの瞳の色と一緒だから、これがいいって言ったの!

将来あなたのお嫁さんになったら、これを指輪に加工してもらうから、一緒につけてね?』


吐き気が強くなり、思わず立ってられなくなる。

その場に座り込むルーゼンにデミーは勝ち誇ったように微笑んだ。


まるでルーゼンより自分が愛されていたという自信に包まれているような態度。

そんな簡単な罠にはまり、言い知れない敗北感に包まれる自分にも情けなかった。


側にいた護衛騎士に支えられ、デミーから少し離れたソファーに座らせてもらう。

ルーゼンはもうデミーの方を見なかった。

この男は自分にとって『害』でしかないからだ。


護衛がデミーにカフスを返すのを見ながら、ウイレードはじっと黙っていた。

ルーゼンの瞳と同じ色の宝石。

妹がそう言って大事にしていたことも。


ルーゼンの様子に、デミーに対して怒りが湧いてくるが、自分が感情的になることが一番こいつの思う壺だと思い、冷静を保っていた。


「……それを盗んでないという証拠は?」


ウイレードの言葉に、デミーは先程の笑顔が崩れる。

明らかに不機嫌そうに顔を顰めた。

そしてキッと睨みつけるようにウイレードを見た。


「歯型を鑑定してください。

僕の仕事上、他にバレたら一緒にいられなくなるからってアンルースが言うから内緒にしてたんだ。

……あ、でも他の騎士仲間に聞いてください。

僕らの関係は騎士同士には周知されてた筈です。」


ルーゼンの側にいた騎士の方をデミーが見る。

騎士は何とも言い難い表情を浮かべ、そっとウイレードに耳打ちした。


「……何故今まで報告しなかった?」


ウイレードは怒りをあらわにして騎士の胸ぐらを掴んだ。


騎士は抵抗もせず、『……すいません』と小さく呟いた。

この様子だとどうやら彼は知らなかったようだ。


ウイレードについている護衛は特に優秀な騎士が選別されている。

時期国王なのだから、当たり前と言ったらそうかもしれない。


反対にアンルースについている護衛は、正直なところウイレードの護衛よりは劣る。

政務をしない王女に付く護衛は、ウイレードの護衛とグループと『系統』が違うようだ。

例えるなら血統書付きの犬と、野良犬ぐらいの差が出てくる。


グループが違えばウイレードの護衛が他のグループの噂なんて知らなくても仕方ないのだろうが、この騎士からすれば王女の護衛が団結してこんな事実を隠していたなんて、クビも覚悟しなきゃいけないぐらいの不祥事だ。


ウイレードに睨まれ小さくなる護衛を横目に、デミーがまた胡散臭い笑顔を浮かべる。


「殿下、そんなに先輩を責めないであげてください。

王女が私を守るために、他の騎士に命令してそうなっただけなので、先輩は知らなくて当然です。

勤務上頻繁に交代してもらうのに知っていただけなので、ほんの一部の騎士やメイドだけです。」


悪びれもなくいうデミーに神経を疑う。

この様子だと、彼は勤務をするという名目で情事重ねていたに違いない。

それを穴埋めるために、他の騎士たちに知らせていたのだ。


「……どうかしてる。」


思わず口から出る本音。

デミーを見ないままのルーゼンに、デミーは鼻で笑った。


「3年もほったらかしていて今更何を。

王女の愛は私のものだ。

彼女は私を一番に愛していると言った。

彼女は私と結婚すると、そう約束していた!

だからこそ、これを片方くれたんだ。」


ぎゅっと握ったままだったカフスを再びルーゼンに見せる。


「……彼女を取られて悔しい?

全部自業自得だよ!」


デミーはそういうと、楽しそうに肩を振るわせた。


『取られて、悔しい?』


本心を言ってしまえば悔しいという感情はない。

ただこのアンルースに関しての『事実』が自分にはついていけてないだけなのだ。


だがこんなに自分に意味なく張り合ってくるデミーにはとても腹が立っていた。


『コイツは本当にアンルースを愛していたのか?』


この話が事実でアンルースがデミーを一番に愛していたとしても、デミーがアンルースを愛していたとは到底思えなかった。


ただ王女が自分を愛してくれているという『野心』や『自慢』のためだったのではないか。

もしそうなら、アンルースが可哀想だとルーゼンは思っていた。


怒りに震え、デミーを見る。

怒りに満ちた目で自分を見るルーゼンに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

その笑みを見た時、ルーゼンはデミーに対して一つの疑いにたどり着く。


「まさかお前がルースに呪いをかけたのか!!!」


ルーゼンは怒りで我を忘れていた。

そう言いながらデミーに掴みかかるが、すぐさま護衛が飛んできて間に入る。


「……呪い?」


デミーはキョトンとした顔でルーゼンを見る。


「王女は妊娠の体調不良で寝込んでいるのではないのか?」


ルーゼンとデミーはハッとした顔をする。

同時に気がついたのは、別の事でだった。


ルーゼンは自分が怒りに任せて重要機密を喋ってしまったことにハッとした。

デミーがハッとした理由はわからないが、暫く考え込んだと思うと執務室から飛び出してしまった。

騎士がすぐ追ったが、デミーの方が早かったようで、あっという間に見えなくなる。


「……ウイレード殿下……申し訳ありません!」


自分のしでかした事に体が震える。

だがウイレードは決してルーゼンを攻めはしなかった。


「とりあえずアンルースの部屋の警護を!」


そう騎士に指示すると、ルーゼンの肩を支え再び座らせる。


「ルーゼン、大丈夫だ。自分の責任だと思わなくていい。

まさかデミーがそういう態度に出ると予測できなかった私の過失だ。

彼は多分アンルースの部屋に向かったあろう。

だが絶対会わせることはない、大丈夫だ。」


ウイレードの言葉にルーゼンは少しだけホッとする。


***


デミーが消息をたった事により、城が騒めき慌てていた。

それっきり彼の姿はどこにも見えなくなったのだった。


ウイレードが直接アンルース周辺の護衛やメイドから再び聞き取りをすることになった。

最初怯えて知らないと言っていたメイドや騎士も、ウイレードの護衛騎士から叱責され、本当の事を話す。

アンルースからキツく口止めされていたこと。

その件でデミーに良いように扱わられていたこと。


そしてデミーの話の裏が取れる。


妊娠の噂もどうやらデミーが広げたということがわかる。

そして自分が父親だということも付け加えて……。


結果アンルース付きの護衛もメイドも見直されることとなった。

彼らは口止めされていたとはいえ、『雇い主』からの信頼は無くなったのだ。


アンルース付きの護衛はすべて交代することとなり、引き継ぎや細かいやり取りに見慣れた顔が新しい顔になった。

メイドに関しては口止めに関わっていた一部のメイドを変更という形になったが、これに関してかなり慌ただしくなった。

デミーはこれをもしかして狙っていたのかもしれない。


そしてそのバタバタとしている状態で、アンルースの容態が急変したという報告が飛び込んできた。

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