第8話 ルーゼンとエルヴァン。
もう夜は幾分も更けている。
あと数時間もすれば明ける時間に、ルーゼンとエルヴァンは向かい合って座った。
冷めた紅茶のポットがサイドテーブルに置かれているが、カップにお茶を注ぐ気分にはなれなかった。
緊張してるのか、しきりに喉を押さえるエルヴァンに、目の前の覚めたお茶より水の方がいいだろうと、ベッド傍の水差しから水を注いできた。
エルヴァンはそれを受け取ると一気に飲み干した。
そして膝に手を付き深々と頭を下げる。
「……本当にごめん、弁解の余地はない。
結果的に君の婚約者と関係をもってしまった事……」
エルヴァンの言葉を遮るように、ルーゼンが言葉を発する。
「一国の王太子ともあろう人が、簡単に頭を下げてはいけない、じゃなかった?」
少し冗談めかして言うルーゼンだったが、エルヴァンの表情は崩れなかった。
「今そんなことは関係ない。自分の大切な友人に酷いことを……」
「……」
一瞬、悪態をついてこの謝罪を誤魔化そうとしたかった。
正直今も整理ができず、頭の中はパニックだった。
手紙が来てからここに辿り着くまで、ルーゼンもエルヴァンもほとんど一睡もしていなく、そんな頭で考えたところで何も頭に入ってこないのは当然だった。
だが今は妙に落ち着いていた。
アンルースにキスをして、自分が彼女の一番ではなかった事がわかったことで、すべてがなんだか諦めてしまったような感覚に陥っていた。
諦めるというか、『全てが終わった……』ような。
彼女との婚約も、もう全て夢だったような気もしてくる。
無言で見つめているルーゼンに、エルヴァンはさらに顔色を悪くした。
こっちもこっちで『全てが終わった』と思っていることだろう。
そう思うとなんだかエルヴァンが可哀想になってくる。
『彼はそれでもまだ自分を諦めていないのだろうか?』
顔色は最悪だが、全てを諦めている自分とは違う瞳の色が見えた。
ルーゼンは重い口を開く。
「えっと、今思っている事を素直に話すとさ。
君は何も知らなかった……だけじゃ、納得できなくて……ボクの中でわだかまりが残っているんだ。
だから安易に許すと言う気持ちが湧いてこなくて……巻き込んだのはこっちなのに、何が何だかどうなっているのか分からないけど、でも、ボクの方こそ、ごめん。」
そういうとルーゼンもエルヴァンに頭を下げた。
下げた頭に目を見開きながら、エルヴァンがますます苦しそうな表情を浮かべた。
「そんな……!当たり前だ、そんなの……
実は王女の危篤の手紙を読んだ時、初めて名前を知った時から気が付いていたんだ……。
着くまでに何度も言おうとした。
……だがルーゼンの辛そうな顔を見ると、言えなくて。
女遊びを咎められた時に辞めておけばよかったんだ。まさか、こんなことになるとは……今更だけど、心の底から後悔している……。」
顔をあげたエルヴァンの瞳は涙で濡れていた。
それを隠すように親指で鼻を擦り、俯いた。
「……ボクの中でね、ルースは……本当に何も知らない小さな少女だったんだ。
無邪気で、ちょっと我儘が過ぎる時もあったけど、それでも可愛い妹のような存在だった。
初めて会った時、王家のお茶会に呼ばれて母と一緒に出席した時にね。
本来ならウイレード殿下の側近を選ぶ会だったらしいんだけど、ルースがボクの容姿を気に入ってくれたとかで、ボクと婚約したいって駄々こねて大泣きで。
ルースはボクより二つ下で、あの時……まだ8歳だったかな……。」
ボソボソと思いつくがまま昔話を始めるルーゼン。
エルヴァンはそれを黙って聞いていた。
時折寂しそうに声がうわずっていたが、それは聞かないふりをした。
「最初はボクも10歳の子供だっただし、婚約なんてよくわからないし。
両親も王家からの打診だったけど、断ろうと思ってたらしいんだよね。
しかもルースは別の公爵の子息と婚約が決まってたらしいのだけど、そこを破棄してボクが婚約者として決まってしまった。
最初は戸惑ったけど、こんな強く望んでくれるならと、僕が折れた感じで受けることにしたんだ。
まぁ元々断れる雰囲気ではなかったし、両親も返事に困ってたから、迷惑かけたくなかったんだ。
でも思った以上にルースはボクとボクの気持ちを尊重してくれたし、絆されたというか……。
長い事一緒にいると情も出てくるし、可愛いと思うようになってね。
守ってあげなきゃいけないって、苦手だった剣術も習ったし。
……なんかうまく言えないけど、ボクもちゃんと大事に思ってたんだよ……。」
「……よく、知ってる。」
エルヴァンは3年間その様子を見てきた。
体調が悪くとも、課題が詰まってようとも、ルーゼンは『婚約者』に手紙を書き続けた。
そして返信が来る度、その様子を話している姿を見てきた。
「……本当にごめん……。」
だからこそ、エルヴァンはもう謝ることしか出来ないでいた。
頭を下げるエルヴァンを辛そうに見つめ、ルーゼンは眉を寄せる。
「ボクの一体何がいけなかったんだろう。
……そして、何を間違えてしまったんだろうか……」
下げたままだった顔をあげると、ルーゼンが肩を震わせて泣き出した。
最初は声を殺して肩を震わせていたが、段々としゃくり上げる声が漏れる。
エルヴァンは静かに立ち上がり、そっとルーゼンの横に座る。
そして、優しく彼を抱きしめた。
「……ルーゼンは悪くないよ。」
『むしろ、悪いのは俺であるし……』
心の中でつぶやく。
親友をこんなに泣かせているのも、自分の行いのせいもある。
「そんなの気休めだよ。現に結果はこうなった。」
自分を責め続けるルーゼンを自分から離し、向き合った。
そしてじっとルーゼンの目を見つめた。
自分の言葉の潔白を信じてもらうために。
「違う、君のせいじゃない!」
少し強い声でいう。
じゃないとルーゼンはこのまま自分を攻め続けるだろう。
エルヴァンの否定にルーゼンは目を逸らし、下を向いた。
「じゃあ原因はなんだろ?」
ポタポタと雫が溢れる。
それはいくつもルーゼンの膝へと落ちていった。
俯いたままのルーゼンを再び自分の胸に引き寄せると、エルヴァンは口を開いた。
「……原因は王女自身だ。」
「ルース自身……?」
抱きしめられたままのルーゼンが少し顔を上げ、エルヴァンを見上げた。
涙で濡れた水色の瞳がすでに赤くなっている。
その瞳で見つめられ、エルヴァンも涙が込み上げてくるのを堪えながら言った。
「そもそもルーゼンが知ってる王女も勿論本物で、ウイレード殿下がいう王女も本物だ。
だがどちらが『本性』かは本人じゃないとわからないし、今眠ったままだから何も原因なんてわからない。
今わかる事実は、王女が全て起こした事じゃないか。
誰の命令でも指示でもなく、王女が望んで起こした『結果』なんだよ。
ただ一つ言えるのは、恋人がたくさんいたとしても、ルーゼンの近くにいるやつに嫉妬して貶めようとするぐらい、お前のことを『想っていた』のは事実だ。
これを愛とか呼ぶとちょっと歪みすぎているけど……。
ごめん正直に言うけど、不謹慎だと思ったら殴ってくれてもいい。
ただ、君と彼女が結婚しなくてよかった、と……ちょっと思った。
仲良い友人にまで嫉妬して罠に嵌めるなんて、こんな歪んだ愛し方する女と結婚したら、お前絶対監禁されて二度と外に出られなかったんじゃないかと、思っている……。」
『罠に簡単にはまった自分はもっとバカだと思うけど……。』
エルヴァンが不貞腐れる様に視線を外す。
そしてブツブツと小さな声でこぼした恨み節に、ルーゼンは思わず吹き出してしまう。
涙でぐちゃぐちゃになった顔で笑う自分が、なんだかストンと腑に落ちて、スッキリした気がした。
『どっちが本当のルースじゃなくて、どっちも本物か……。』
そう思うとなんだか納得した。
人間誰しも2面も3面もある生き物だ。
それは理解している。
自分にだって、他人に知られたくない顔ある。
できれば争い事を避け、スマートにカッコつけて、澄まして生きていきたかった。
そしてこんなことが起きないとわからなかった『いろんな感情』も。
年甲斐もなく、人前で我慢できず泣いてしまうほどの感情を持ち合わせていたことを、自分自身知ることが出来たのだ。
「……はは、ありがとう。」
照れ臭くなりエルヴァンから離れると、服の袖で涙を拭った。
そしてふと考え込む。
「でも、ルースがボクを愛していたなら、何故キスで呪いは解けなかったんだろう?」
ルーゼンの言葉にエルヴァンも腕組みをして考える。
「呪いをかけたやつが本当のことを言っているとは限らないのではないか?」
「……どう言うこと?」
ルーゼンはエルヴァンに促され、キスした状況を詳しく話した。
話し終え、じっと考え込むエルヴァンを見つめる。
『キスをした時、2回目と響いたルースの声。
愛するもののキスでは呪いが解けなかった事。
そして49人の恋人の自分が知ってるだけの事を……』
2人で色々と話し合った。
手紙に書かれていた『たった1人の、愛するもののキス』の定義とは。
49人の恋人と自分との違いを考えると、一つの案に辿り着く。
「……もしやプラトニックはダメだったってことかな?」
ルーゼンの言葉にエルヴァンがびくりと体を震わせる。
「……プラトニック?」
ひどく驚いているエルヴァンにルーゼンは肩をすくめた。
「……ボク達は結婚するまで清い関係を貫くと言う約束だったってこと。だからこれが初めてのキスだったし。」
「……」
黙り込み、またなんともいたたまれない表情を浮かべている。
その表情でなんとなく察したが、『この件でまた謝ったら絶交ね?』と釘をさすと、大きく何度も頷いた。
やっぱり、な。
わかっていたが、ルースと親友の『交友』があった事実を再確認するのは、正直気持ち悪い。
自分にはもうルースと今後の『交友』を作る気は微塵もない。
正直ルースがひどく汚れたものに思えてしまい、もし無理矢理でもそう言う機会に持ち込まれたとしても、触ることすら不可能だろうと思う。
そしてこの件を闘争心あふれる家族が知ったら『王家と全面的に戦争になりかねない』と、胃がキリキリと痛んだ。
サイマン侯爵家は代々、王家の盾となり戦ってきた家紋だった。
今は普通の侯爵家であるが、代々伝わる戦闘術の知恵があり何かのきっかけで戦争となると、それなりに貢献は出来る事だろう。
また別の次元でも、王家には貢献してきた歴史を持っている。
明日ウイレードと話したあと、どのみち実家へとは帰らなければいけない。
ルースの危篤の知らせは内密に届いているだろうから、家族がルーゼンからの報告を待っている事だろう。
予定していた結婚式は中止だろうし、結婚直前の皇女の婚約破棄などこんな世間が飛びつくような話題は他にはない。
正直自分の名前に傷がついても構わないが、サイマンの名前が傷つくことは避けねばならない。
自分に非がなかろうとも、『皇女に浮気されて捨てられた子息』は、今後の婚姻はもう難しくなりそうだ。
「……弟に爵位を譲って、ボクは田舎に引き篭もるかな……」
「そこまで思い詰めているのか!?」
ルーゼンの深いため息に、エルヴァンはまた責任を感じ、死にそうな顔をした。
窓の外から鳥の声が聞こえ日が差し込む頃、いつの間にか気絶するように眠っていたルーゼンがハッと目を覚ます。
隣のソファーで眠っていたエルヴァンを揺さぶり起こした。
「エルヴァン、そろそろウイレード殿下との約束の時間だ。」
少し眠れたのと号泣したのとで、昨日よりは頭が冴えている気がする。
その分まぶたはメチャメチャ重くなっているが。
感情は表に出し発散しないといけないのだ、と学んだ気がした。
とりあえず、殿下と話す前に情報を整理しなきゃいけないなぁと、エルヴァンを揺り動かした。
何度か揺ると、パチリと紫色の瞳が開き、こっちを見た。
まだ眠そうな顔で体を起こしたエルヴァンに、ルーゼンは言った。
「話をまとめよう。」
まだ起き切っていない目を擦りながら、エルヴァンが大きく頷いた。
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