第7話 呪われし姫と、愛のキス。

アンルースの部屋は薄暗く、天板からカーテンが閉められていた。

中までエルヴァンに付き添ってもらうことが出来なかった為に、今はアンルースを見下げるようにウイレードと2人で立っていた。


「では、ルーゼン……」


ウイレードが口を開いたが、ルーゼンは動こうとしなかった。

と言うより、動けないでいた。


眠るアンルースを前に、ルーゼンの中に支配していたのは『嫌悪』だった。


ルーゼンとアンルースは『清い交際』だったのだ。


ルーゼンの家は古い伝統やこだわりを大事にしている家紋だったため、結婚する前の男女が交わると言うことは言語道断と教えられ育ってきた。

そのため8年の婚約期間、アンルースの手に触れた事も両手で数えられてしまう程度。


それでもルーゼンは満足していた。

大事に大事に育んできたと思っていた。

触れ合うだけが恋愛ではないと、そう信じてきたから。


『だが、アンルースは違った。』


自分が父や祖父の教えを破り、アンルースに手を出していたとしたら。

アンルースは50人もの恋人を作ることはなかったのだろうか……?


アンルースを前にため息ばかり吐くルーゼンに、ウイレードが背中に手を置く。


突然触れられたことに体がびくりと反応したが、ゆっくりとウイレードを見上げる。


「……すみません……早くしなくちゃって言うのは分かっているんですけど……」


もう感情のダムが崩落してしまったのか、ルーゼンの瞳からたくさんの雫が落ちる。

ウイレードも辛そうに顔を歪め、ルーゼンを抱きしめた。


「……すまない。君1人に責任を押し付けているな……」


「……いえ、これは、ボクの責任です……

婚約者を蔑ろにしてしまった、結果なので……」


ポロポロと流れる涙を必死で袖で拭うが、止まらずウイレードの胸に落ちていく。


「ルーゼンの責任ではない。

これだけは、断言できる……。

アンルースを放置し、甘やかした我々家族の責任だ。

……だが、呪いを解く鍵はルーゼン、君にかかっている。

例え目覚めても、目覚めなくとも、君のキスで一歩状況が進むのだ……。

……分かってくれ……君が責任を感じる必要はない。

……許してくれ……。」


ウイレードの瞳が揺れる。

泣き出しはしなかったが、立場的にも辛いのは同じなのだろうとルーゼンは思った。


ウイレードの胸から顔をあげ、もう一度ゆっくりと涙を拭う。

そして頬を軽く両手で叩くと、気合を入れた。


「……わかりました。いきます。」


ルーゼンはそっとアンルースの眠っているベッドの横に跪く。


聞こえる小さな呼吸音。

深い眠りに浸り切ったかのように、ピクリとも瞼は動かなかった。


閉じた目から綺麗な長いまつ毛が目に入る。

本人が気にしていた、小さめの鼻。

そしてうっすらと開いたピンク色の唇。


指先で乱れた前髪を整えると、そっとそのまま頭を撫でた。


ルーゼンは無言でゆっくりと目を閉じ、顔を近づける。

アンルースと初めてで……最後のキス。


もう彼女に触れることは、ないだろうと。

唇が触れる時に、彼女と自分の恋が終わった音がした。



「……」


ルーゼンの唇がアンルースから離れる。

じっとアンルースを見つめるが、アンルースは目を醒さなかった。


ルーゼンからため息が漏れる。


結果は『やっぱり』だった。

分かってた。

やはり自分はアンルースの一番ではなかったのだった。


前もって自分を言い聞かせていた分、ショックは少なかったが……。


ゆっくり立ち上がると、ウイレードの顔を見た。

多分とても申し訳なさそうな顔をしていたのだろうか、自分を見つめるウイレードの表情が辛そうだった。


「……ウイレード殿下、すみません、やはりお役には……」


ルーゼンが口を開いた瞬間、脳裏に声が響いた。


『2回目。残り、あと1回。』


頭に響く、鼻にかかった可愛らしい声。

この声は、アンルース!?


ウイレードも聞こえたのだろう、思わす2人で顔を見合わせた。


「なっ……!殿下、何故2回目なんですか!?」


ルーゼンは思わず声を荒げてしまう。

ウイレードも知らなかったような反応に気がつくが、もう精神的に限界が来ていたのか、その場で軽くパニックを起こしてしまい、とうとうルーゼンはその場に倒れてしまった。



***



気がついたら応接間のソファーに寝かされていた。


「……気がついたか?」


ウイレードの声にルーゼンが起きあがろうとすると、ふらりとよろめいてしまう。

バランスを崩しソファーから落ちそうになるところを、側にいたエルヴァンが支えてくれた。


「……あの、あれはどう言うことでしょうか……?」


震える声でウイレードに聞いてみる。

ルーゼンの質問にウイレードも動揺していた。


「……わからん。アンルースの部屋は今誰でも入れる場所ではない。

お付きのメイドも許可なく入れる上地ではない。

誰かが忍び込んでアンルースに1回目のキスをする事は、流石に考えにくいのだが……」


ウイレードも焦っている。

だってこれでチャンスはあと一回のみだから。


「もう、ボクはどうすれば……!」


アンルースがこのまま死んでしまうと言う恐怖。

婚約者としての愛はこと消えたが、幼い頃から知っている彼女には妹を見るような情も残っている。

ここで死なせるにはやりきれない。


「とりあえず、アンルースの部屋はこれまで以上に厳重に管理する。

とりあえずルーゼン。

私は国王に報告し今後どうするかを検討する。

その結果が出たら、また相談していいか?」


「自分がまだ役に立てるなら……」


と呟いて、ゆっくりと頷いた。


「今日は2人とも疲れただろう。

とりあえずもう夜も遅いし、このまま休んでいって欲しい。

ここは殿下、左隣をルーゼンが使ってくれ。

……明日また昼食時にでも話をしよう。」


そういうとウイレードは従者を呼び、足早に部屋から出ていった。


ルーゼンとエルヴァンだけになった部屋は、気まずい空気が流れる。

なんだか気まずそうに、会話もなくシーンとしていた。


この空気を切ったのはルーゼンだった。

流石にもう、心身共に限界を超えていた。

とりあえず頭の中に詰まった出来事を、整理して考えたかった。


ゆっくりと立ち上がると、エルヴァンの前に立った。


「……じゃあ、ボクは隣の部屋に行くよ。エルヴァンも、ゆっくり体を休めてね。」


そう言うとルーゼンはドアノブに手を掛けた。

開けようとした扉が、伸びてきた手に阻まれ閉められた。


「えっ……?」


思わずルーゼンが振り返りエルヴァンを見上げる。


とても近い距離にある親友の顔。

辛そうに歪んだエルヴァンの顔が、ルーゼンに縋るように見つめていた。


「……ごめん、少しだけ俺に時間をくれないか……。」


そういうと扉を抑えていない方の手で、ルーゼンのジャケットの裾を掴んだ。


まるで小さな子供のような、今にも泣き出しそうな顔しているエルヴァンに、ルーゼンは少しだけ微笑んだ。

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