第5話 呪われし姫の現状2

暫く沈黙が続いたが、振り絞るような声で話し出した。


「ルーゼン……聞いてほしい。

……俺は、君の婚約者が王女だとは知らなかったんだ……!」


瞳を揺らしながら、エルヴァンを見つめているが、誰の言葉も一向に頭には入ってこない状態。

だがこんな時でも、現在のアンルースの容態がどうにも気になって、彼女に『会いたい』と思ったのだった。

どう言う気持ちで『会いたい』と思っているかは、自分でも分からなかったが……。


「……この件に関しては頭を整理する時間が欲しいです。」


ドス黒く輝きを失ってしまったような瞳でウイレードを見上げ、ルーゼンはそう言った。


視線を外されたエルヴァンはひどくショックを受けている。

許してもらえるとは思っていなかったが、だが話せばわかってくれるのではという仄かな期待もあった。


こんなことならルーゼンに忠告された時に女遊びをやめていれば、今にも倒れそうな親友を支える権利は貰えていただろうが……。


膝から崩れ落ち、冷たい床に座り込むエルヴァンを気にする様子もなく、ルーゼンは続けた。


「……話を続けてください。」


とても冷たい声だった。

幼い頃から知っているウイレードでも聞いたことのない様な声だった。

誰もが一瞬怯むほどの声。


「……アンルースと婚約して何年だろうか。」


ふとウイレードが言った。


「僕が10歳の時に婚約したので、そろそろ8年になります。」


それをルーゼンが答える。


「……そうか。」


とウイレードは口元を押さえた。


「アンルースが最初に男性と交遊を始めたのは今から2年前になる。

14歳の時だな。」


2年前。

自分が留学をして1年後と言うことか。


「ルースは僕を待てなかった、と言うことでしょうか?」


『ルース』

呼び慣れた彼女の愛称が口から出た。

だが愛を込めて呼んでいたその名前もなんだか今は、冷たく無機質なものに感じていた。


ルーゼンの言葉にウイレードは声を荒げた。


「いや、そうではないだろう!

いや、本人が意識不明だから、確かめようがないが……。

幼い頃から君たちを見てきた兄の立場から言わせてもらえるなら、それはない。

ルーゼンが帰ってくるのを心待ちにしていただろうし、結婚式の準備も、それはもう誰が見ても余念がなかった。」


「ならば……なぜ……!」


ウイレードの言葉を遮るように悔しそうに拳を強く握りしめた。

自分の愛が足りなかったのか?

どれだけ課題に追われていても、寝る時間を削ってでも、週に一度は必ず手紙を書いた。

自分ができる事は惜しみなくやったつもりだったのだ。


それなのに彼女は他の男達と『交友』していたと言うこと。

正直に言って、自分の知っているアンルースがわからなくなってきた。


そんなルーゼンにウイレードは静かに首を振った。


「さっきも言ったが……ルーゼンの前のアンルースは『純粋で無垢』『無邪気で可愛い』少女だと思う。」


ウイレードの言葉に静かに頷くルーゼン。

だがエルヴァンはその言葉に『えっ?』と言わんばかりに顔を上げた。


その反応を分かっていたのか、ウイレードはゆっくりとエルヴァンに頷いた。


「エルヴァン殿下、今のイメージを聞いて反応したと言うことは……あなたの前でもそうじゃなかったと言うことですね。」


ひどい顔色のエルヴァンがウイレードの言葉に頷き返した。


「……俺の中の彼女は……」


チラリとルーゼンの方に視線を送ろうとして、すぐさま俯く。

自分が出そうとした言葉に、きっとルーゼンは『婚約者を侮辱した』と思うかもしれない。

だからこそ、ルーゼンの顔を見ることが出来なかった。


エルヴァンの反応に助け舟を出すようにウイレードが代わりに答える。


「小さい頃からアンルーズはルーゼン以外の人間には、ひどく嫉妬深く残酷な女だった。」


『残酷』と言う言葉に驚くルーゼン。

信じられないという様に口元を包むように手を当て、眉を寄せる。


「アンルースは小さい頃から気に入らないメイドや騎士、周りにいる同じくらいの子供に対して当たりが強かった。

王女という立場が災いしたのだろう。

時には叶えることもできない我儘を言ってみたり、それが叶わないと物を投げて傷つけたり。

そして何より……ルーゼンに近づくものを決して許さなかった。

……知らなかっただろう?」


『この人は何を言っているんだ。』


ルースが自分に嫉妬深いのは知っているつもりだったが、それは自分の中で『許容できる範囲だけ』だと思っていた。

自分が知らなかっただけなのか?

自分の中のルースは……


『それは本当にルースなのか?』


言葉を発しようと口を開けるが、ハクハクと息が溢れるだけで、言葉が出てこない。

思わず自分の首をぎゅっと掴んでしまう。

その時グッと苦しそうな声が口から漏れた。

その声にエルヴァンが顔を上げ、ルーゼンの方を見た。

先ほどより顔色が悪くなってきているルーゼンに心配そうに見つめるエルヴァン。


慌てて駆け寄ろうと手を伸ばすが、躊躇した。

ルーゼンが一度もエルヴァンと視線を合わせなかったからだ。


『……酷だろうが、ここで時間をかけるべきではないな』


今にも倒れそうなルーゼンを見て哀れに思ったが、アンルースの容態が一刻を争うこともあり、意を決するようにウイレードは大きく息を呑む。


「そして、その『嫉妬』に関してはエルヴァン殿下は被害者かもしれないのだ。」


エルヴァンは自分の名前が突然呼ばれ、びくりと肩を引き攣らせる。

その言葉にルーゼンも驚いたように顔を上げた。


「君から届く手紙の中で、君が学園で仲良さそうにしている友人2人の話を読む度に、発狂し暴れ、殺したいぐらい嫉妬していたからな……。」


『ルースがエルヴァンに嫉妬して発狂して暴れていた……!?』


おぼつかない頭で必死に今聞いている言葉を紡いでいく。

なぜアンルースが顔も知らないエルヴァンに嫉妬なんて……。

しかもエルヴァンは男だ。


理解が追いつかず、ルーゼンは頭を抱える。


「何度も言うが、アンルースはとても嫉妬深く残酷な女だ。

アンルースは君から手紙を貰うとすぐ、君の手紙から出てくる名前の人物全てを入念に調べせさせていたのだから、エルヴァン殿下のことを知っていたはずだ。

君の部屋に付くメイドや騎士の名前まで調べていた程だよ。

そしてそれを全て知っていても、エルヴァン殿下に自分がルーゼンの婚約者だとは言わなかっただろう。

大方もっと深い関係になり、体だけじゃなく心も奪ったところで、エルヴァン殿下にネタバラシをし、背徳感を背負わせて二度と修復できない様にしたかったのかもしれないな。」


その言葉に思わず背筋がゾッとした。

ウイレードが言っている人物は、それは本当にアンルースだったのか。

自分が知っている可愛い無垢な婚約者だったのか……?


ルーゼンが知っている8年と言う月日の彼女が全て、ひっくり返されたパズルのようにバラバラと崩れ落ちていく感覚。


この後に及んでウイレードが自分に嘘を言うはずもない。

何よりこの公正証書の書類の束は、多分揺るぎないだろう。

エルヴァンは自分のせいで巻き込まれてしまったのか……。


視線を合わせることが出来ないままでいた『親友』の方を見た。

視線に気がつき、今にも泣きそうなエルヴァンがルーゼンを見る。


3年も一緒にいたが、こんな表情は見たことがない。

いつも自信満々で、なんでもそつなくこなす彼の泣き顔なんて……。


「……ル、ゼン……ほんと、に……すまな……」


絞り出そうとする張り裂けそうな声に、思わずルーゼンはエルヴァンにしがみついた。

この顔をさせているのは、ボクだ。

そう思うとしがみついた手に力が籠る。


「ボクのせいで……君を巻き込んでしまった……」


ルーゼンの言葉にエルヴァンは首を振る。


「……いや、俺が……」


絞り出す声に泣き出しそうになる。


『一体ボクの何が悪かったのか。』


ルーゼンはアンルースにそう尋ねたかった。


『君は何がしたかったの?

本当はボクの事が嫌いで、苦しめたかったのか?』


ルーゼンは自慢じゃないがアンルースと婚約してから一切他の女性に目もくれず、アンルースだけを一途に愛していた。

……つもりだった。

望む限り側にいたし、留学だって将来の2人のことを考え、納得してくれた話だとばかり思っていた。


どんどん『アンルース』と言う人間が分からなくなってくる。

自分の中で纏まらない『彼女に対する聞きたい事』だけが溜まっていく感覚。

そんなルーゼンを他所に、ウイレードは言葉を続けるのだった。


「2年前、突然アンルースが男漁りをし出した。

気がついた時にはもう君以外に49人の恋人を作っていた。」


「……よんじゅう、キュウ……?」


桁が大きすぎて、思わず……ドン引いた。

同じくエルヴァンも目を見開いていたので同じ気持ちだろう。


「漏れがなかったら49。君を入れて50人だ。」


「……ゴジュウ、に、ん」


「50……」


ルーゼンとエルヴァンの声が重なる。


「君以外は全て肉体関係がある、『恋人』だ。」


「……」


もう言葉も出ない。

唖然……と言うよりもう自分とは関係ない、御伽噺でも聞いている感覚だった。

まさか自分の身に起きている話だとは、到底思えなくなってきている。


ウイレードの話は淡々と進んでいく。


「アンルースは49人もの恋人を作り、その中の誰かに恨みを買い、呪いをかけられた。」


「呪い……?」


「そうだ。

その呪いのせいで、眠り続けている。」


身体中の空気が抜けていくように、ソファーへと深く倒れ込む。

スケールのデカさにもう気絶しそうだ。

それでもギリギリのところで踏みとどまる意識で、必死に考えていた。

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