第2話 呪われた婚約者。
手紙を握り締め、呆然と立ち尽くしているルーゼンに、彼を探して歩き回っていたエルヴァンが血相を変えて走り寄ってきた。
顔面蒼白で今にも倒れそうなルーゼンの肩を抱くと、とりあえずテラスにあった長椅子へ連れて行く。
おぼつかない足でよろよろと歩くルーゼンを支え、なんとか移動し座らせた。
そして震える手に握られた、今にも落としそうな手紙を引き取ると、ルーゼンの目線を自分に合わせるように顔を自分に向ける。
そして手紙を指差し『読むぞ』と目で合図した。
血の気のない顔でゆっくりと頷くルーゼンをそっと自分の肩に寄せ、片手で抱き抱えるようにしながら手紙に目を落とした。
『昨日出した手紙の返事にしては早すぎるし……』
昨日も手紙を書いていた。
ニヤニヤと嬉しそうな様子はいつもと同じように浮かれていた。
本当に好きなんだろうなとわかるほどのニヤケ様だった。
ましてはさっき出した手紙がもう着くはずもない。
だが、この手紙は……。
緊急を知らせる赤い封筒に国の封蝋印。
印からいってルーゼンの家紋ではなさそうだから、家族の不幸ではなさそうだが……。
手紙に目を落とす前に色々と悪い方に推察してしまう。
ルーゼンのこの様子は3年間一度も見たことない状態だったこともあり、エルヴァンも手紙を見るには勇気が必要になってしまった。
何せエルヴァンにとってルーゼンは『命の恩人』だったから。
正直3年前にこの学園に入るまでは、エルヴァンは傲慢で自分勝手な王子だった。
全ての事を自分がやらずとも、全部誰かがやってくれる。
欲しいものだって人だって、なんでも思い通りで生きてきた。
初対面のルーゼンのことも正直、どっかの貴族のガリ勉箱入り息子だとしか思ってなかった。
だがルーゼンと知り合って、国を背負う王子としての今の自分が、このままだとダメなんだと気付かされたのだった。
そこからはエルヴァンは変わっていく。
人に対し思いやりを持つことができ、国を背負う人間としての自覚が芽生えた。
そのことに関してエルヴァンの父である国王も、ルーゼンにとても感謝してたぐらいだった。
だがエルヴァンの根本的な『いい加減』なところは治っておらず、特に女性に対しては奔放で、あちらこちらに『遊びの恋人』がいたのだった。
それに関してはルーゼンにいつも叱られてたが、『学園を卒業したら辞める』と聞き入れることはなかった。
実際本当に卒業するまではと思っていたので、そろそろ過去を清算する予定ではあったのだが、後にエルヴァンはこのルーゼンの忠告を聞かなかった事をひどく後悔する事となる。
憔悴しきっており、なすがままに自分に体を預けているルーゼンに視線を落とし、緊張で喉が鳴る。
そしてグッと覚悟を決めるように手紙を開き、読み始めた。
『ルーゼン・サイマン殿
来週に帰国の予定だということだが、一刻も早い帰国の準備を。
婚約者であるアンルース王女が倒れ、意識不明となった。
至急戻られよ。
緊急の為、ゲートの許可を申請した。ーーーーーウイレード・ステンヴァー』
婚約者……アンルース王女……!?
エルヴァンの心臓をジワジワと冷やしているのはルーゼンの婚約者が意識不明なことではなく、婚約者の名前を見たからだ。
「アンルース王女と、婚約してたのか……?」
じわりと浮き出る汗が背筋を冷やす。
婚約者の名前が出たことに、ルーゼンはゆっくりと顔をあげ、エルヴァンを見上げた。
そしてゆっくりと項垂れる様に頷いたのだった。
ルーゼンを支える手が震えてくる。
その震えに気がついたルーゼンがそっとエルヴァンの手に触れた。
「僕のために……君も同じ気持ちになってくれたのか?」
今にも泣き出しそうなルーゼンを思わず抱きしめた。
だがこれは慰めるためではなく、自分の顔を見られたくなかったから。
『今俺は、絶対ひどい顔をしている……』
それを悟られないように、強くルーゼンを抱きしめた。
「……すぐに帰国しよう。俺も父上に連絡を取り、ゲートの許可をすぐにでも出してもらってくる。」
ルーゼンの顔を見ないように静かに離れ、立ち上がった。
「……ありがとう」
消え入りそうな声でルーゼンが答える。
その声にまたエルヴァンの心臓を凍らせた。
「ともかく俺は城に戻るが、明日の昼過ぎまでには帰ってくるから。
すぐにでも出れるように荷物を簡単でいいからまとめとけよ。
積み込みやまとめる手伝いもすぐに手配する。
俺が戻ったらすぐ出発だ。
……だから、いいか?まだ倒れるなよ。」
エルヴァンはそういうと早足でホールへと戻っていった。
右手には先ほどのルーゼンへの手紙を握り締めながら……。
かろうじて繋がっている意識を奮い立たせ会場を出ると、寮へと戻る。
どうやって戻ったのかはあまり覚えていないが、何度か転んだようで着ているスーツが所々泥だらけになっていた。
部屋の電気をつけ、ベッドの側に置いていた大きな鞄を床におき、荷物をまとめ出す。
手が震え、上手く畳めない服を無理矢理でもカバンに詰め込む。
うまく頭が働かず、そばにあった花瓶までも鞄に詰めようとしたところに、エルヴァンが手配してくれた人員が部屋へと入ってきた。
ベテラン風のメイドがそっとルーゼンから花瓶を引き取ると、机の上に戻してくれた。
無表情のまま座り込むルーゼンをそっとベッドの脇に座らせると、そのメイドの指揮を元に部屋の中は一気に慌ただしくなった。
そこからはとても早かった。
シングレスト王家の紋様のついた馬車に、次々と荷物が積まれ運び込まれていく。
カラカラに干上がった喉から苦いものが込み上がってきて、思わず吐きそうになるがかろうじて耐える。
喉を押さえ唾液を飲もうとするも、ただ乾いた音が鳴るだけだった。
苦しそうなルーゼンに気付き、メイドがコップに水を注いで持ってきた。
それを口に含むがどうにも飲み込めず、そのまま吐き出してしまう。
「ルーゼン様大丈夫ですか?」
心配そうにルーゼンに触れようとするメイドを手で制し、苦しそうな顔で『大丈夫だよ』と微笑んだ。
その様子を見て、その場にいた全員がルーゼンに同情した。
いつも微笑み明るそうな顔が青白く変わり、まるで正気をなくしている様だったが誰も手を差し伸べようとはしなかった。
ルーゼンは人よりかなり容姿が整っており、その容姿は男女問わずに魅了した。
そしてそれを奢ることなく、明るく親切で人当たりも良かったのもあり、常に人に恵まれていた。
なのでそんなルーゼンに恋に落ちる人も少なくないのだが、自国においてきた婚約者に操を立て
一途に思う姿もまた、ルーゼンの周りの評価を上げていた。
こんな時でも異性に対して清廉潔白な態度で、メイドでさえ自分に触れさせることはなかったのはこの界隈の間では有名な話となっていた。
メイドの差し出された手がぎゅっと握られ、静かに下げられたのを申し訳なさそうに見つめていた。
「積み終わったか?」
ルーゼンの背後から息を切らしたエルヴァンがやってくる。
額に滲む汗が首元まで垂れていた。
それを乱暴に肩でぎゅっと拭う。
「積み終わったらすぐにでも出るぞ。ゲートを先に開けてもらってきた」
ルーゼンがポケットからハンカチをだし、エルヴァンに差し出す。
それをサッと受け取るが、汗を拭くふりをして視線を逸らす。
相変わらずエルヴァンはルーゼンの顔をまともに見ることが出来なかった。
「もうほぼ終わった。
エルヴァン、こんな状態だから……その、多分結婚式はないと思うんだけど……」
青白い顔のルーゼンが言いにくそうに下を向いた。
だがそれを遮るように、エルヴァンが口を開く。
「大丈夫だ、お前が心配だから俺もついて一緒に行く。国王からの許可も貰っている。
お前が落ち着くまでついていてやれってさ。」
エルヴァンの言葉にルーゼンは目を潤ませながら、小さく『ありがとう……』と呟き、そっとハンカチが握られている手を取った。
エルヴァンの罪悪感が体から溢れ出しそうになる。
それをグッと飲み込むように喉を鳴らすと、ルーゼンの手を引いて部屋を出て馬車に乗り込むと、夜に溶るように馬車を走らせた。
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