一皮剝ける海人氏

 ほんの少しだ。


 このカラオケでお互い目を合わせたまま沈黙の時間が流れた。


 桑藤さんは座ったまま、立っている俺が放つプレッシャーを目力で押し返してくる。


 強い意志を感じるよ桑藤さん。


 譲れない場所へ俺は足を踏み入れたんだね。


 だが、俺はそんな君をそもそも植民地と考えてる訳であるから、仕方ない、こうなったら全面戦争だ。


 しかしこの先は、先ほどまでのチャラチャラした応対ではすべて跳ね返されてしまうだろう。


 そしてそれ毎に空気が悪くなり、今回の戦略は失敗に終わるんだと思う。


 そうはさせない。


 俺が今日と言う日をどれだけ大切に思っているか君には解らないだろう。


 決意の固さで、俺は対抗させてもらう。 


 さて、しかしどうしたものか。


海人「んー、今日誘ったの俺だし、桑藤さんが気にする事じゃないよ?」


 ちょっと声のトーンが低かったか?


 シリアスに近づいた、これは失敗だ。


桑藤「でも、海人君にばっかりお金使わせてたら、お母さんに怒られちゃうもん」


 なんかさっきっから妙に子供っぽいイントネーションで話すな桑藤さん。


 駄々こねてるみたいでかわいいぞ、もうちょっと見ていたい。


 が、機嫌を悪くさせるつもりはないし、納めるのが先決か。


 ・・・今、気になる事が一つある。


 いや、大した事ではないし、現状何の価値も意味もない事柄なのだが。


 桑藤さん、俺の事なんて呼んでる?


 三波君、確かそう呼んでいたはず。


 だが、今、確かに、桑藤さんは俺を「海人君」と呼んだ。


 俺はいつからそう呼ばれている?


 なんて呼ぼうがいいんだ別に、本当に。


 ただ、三波君と海人君の違いは何なんだ?


 何で急にそう呼んだ?


 ダメだ、思考を逸らすな。


 迎え撃て。


海人「お母さんは怒らないよ、何で怒るの?」


 ちょっと腕組んでみる。


 いやダメだろうそんなことしたら。


 俺が説教始めるみたいじゃねぇか。


 すぐに手をテーブルに置く。


 四つん這い姿勢で顔を桑藤さんを近づけているようになってしまった。


 何をやっているんだ俺は。


 焦りか?


 落ち着け俺。


桑藤「・・・怒るもん」


 目をそらされた。


 あらあら、完全なる駄々っ子になっちゃった。


 あれ?


 俺いつから優勢になった?


 ・・・待てよ、そうだよ、桑藤さんはそもそも攻撃タイプじゃないじゃないか。


 防げればいくらでも反撃はできるんだよ。


 じゃあ、ここからは俺のフェイズだな。


海人「桑藤さん、お父さんいる?」


 桑藤さんの横に座り直す。


 桑藤さんは何でそんな質問をされているのか解らない様子で、キョトンと俺の目を見てる。


 ここからは目をそらさないで話をしようと決めた。


海人「俺、親父がいないんだ」


 嘘をついてる訳じゃない。


 初めから偽りの自分を続けているつもりもない。


 だから君が親の事を持ち出し打って出るなら、同じ土俵に立ち、それに答えるまでだ。


海人「周りが女ばっかの家族で、だからか、母ちゃんには自分でできる事を女の子にやらせるなって言われてるんだ」


 事実。


 真実。


 素直に受け止めてもらいたい。


 決着をつけたいんだ俺は。


 さっきのモードに戻ろうよ桑藤さん。


 俺は早く君の身体を物色したいんだ。


海人「一人しかいない親の言う事だから、悪いけど、桑藤さんにはお母さんに怒られてもらうしかないかな」


 言葉が足りないが、これでほとんど伝わるだろう。


海人「でも桑藤さんがお母さんに何て言われているのかは、なんとなくわかる気がするから」


 うんうん、わかる、解るよー。


 そして君もお母さんも、とてもいい人であろう事も。


 だ か ら 君 は 俺 の 餌 食 に な っ て い る ん だ よ 。


海人「だから、じゃあこうしよう、今日は俺の番、次は桑藤さんの番でどうかね?」


 いかがかな? と言わんばかりに、桑藤さんの前へ左手を出す。


 どうぞ、君のフェイズだ。


 どう来てもそれに答えるまでだ、全力でぶつからせてもらう。


桑藤「ずるい」


 ・・・?


 ずるい??


 それだけ???


海人「くっ・・・ひひひははは!!」


 それか!


 君の反撃はそれで終わりか!?


 拍子抜け所じゃないよ桑藤さん。


 思わず吹き出してしまった。


海人「フフ! 何がずるいのよ、代わり番こじゃダメなの?」


 フランクに戻ってしまった。


海人「次に桑藤さんが誘ってくれた時に俺が世話になればいいって事でしょうよ、フフフフ!」


 って言ってまたすぐ吹いてしまう。


 軽く涙が出てきたので人差し指で拭う。


 ずるいだって・・・ケッサクかよ!


桑藤「笑う所じゃないもん」


 まだ膨れてる。


 トドメでも刺しとくか。


海人「え、次また俺と遊ぶのヤダとか?」


 桑藤さんの顔を覗き込む。


桑藤「今日みたいだったらヤダ」


 同じことを言う。


 やれやれ、勝負ついたな。


海人「次は桑藤さんの番だから」


 もう一度手を前に出してみる。


桑藤「・・・わかった」


 そう言うと桑藤さんはうつむいたまま左手をちょこんと俺の左手へ置いた。


 犬の「お手」みたいだなコレは。


 その手を軽く握って。


海人「約束約束」


 と軽く上下に動かす。


 おや?


 キタ・・・やったぞ、初めて桑藤さんに触れた!


 偶然だが、やった!


 すんなりと、自然に。


 大収穫じゃないか!


 女の子の手を握ってるぞ俺!


 やれる、やれるぞ!!


海人「ところで」


 俺はついさっき、思いがけない新兵器を手に入れたんだ。


 ちょっとお見舞いするから喰らってみておくれな桑藤さん。


海人「さっき桑藤さん、海人君って呼んだけど」


桑藤「!!!!」


 目の大きさが2倍くらいになる桑藤さん。


 のけぞるように、しかし俺を直視する様な姿勢で。


 効いた! 効果はバツグンだ!!


 あからさまに動揺しているぞ!


 コレだコレだ!


 こう言うのを待ち望んでいたんだ俺は!!


 楽しい時間が始まるぞぉ?


 逃がさないよ、身も心も。


 今は君の手を完全にキャッチしているし・・・ふふ。


海人「あそーだ思い出した!」


 サラリーマンが帰宅直前にやり残した事を思い出すかの如く、言葉が出た。


 俺がちょっと大きめの声でそう言い放った瞬間、桑藤さんは右手で俺の左手首を握った。


 桑藤さんの左手をつかんでいる俺の左手首を。


 どうしたんだね桑藤さん、左手を引き抜きたいのかい?


 僕の手はそんなに強く君の手を掴んではいないよ?


 両手で力を込めなくても、左手を引けば僕の手から逃れられるだろうに。


 混乱しているのかな?


 まあいい。


 俺が叫んだのには理由がある。


 俺の中でパズルのピースが噛み合うように、以前の出来事が記憶で蘇ってきたからだ。


 桑藤さんと一緒にクレープ屋さんでお話ししていた時。


 確かあの時、俺がこゆちゃんに見られないかビクビクしていた時、君は言ったんだ。


 「なんか、海人君忙しそう・・・あ」


 そう言ったよね桑藤さん。


 あの時の君の「あ」には肝を冷やされたのを今でも鮮明に覚えているよ。


 結局何の「あ」だったのか分からず終いだったし、深くは考えなかった。


 あの「あ」は、誰かに気が付いた時の「あ」ではなく、思わず俺の名前を言ってしまった事に気が付いた時の「あ」だったんだね。


桑藤「・・・何?」


 疑心暗鬼の図。


 何を言われるのか、不安かい?


 大きく深呼吸してから桑藤さんが言った「何?」の後は、何であっても衝撃がすごいだろう。


 心して受けられよ。


海人「ごめん、気持ち悪いかもしれないけど、俺の名前呼んでみて」


 何ていじめがいのある展開なんだ!


 絶対に大人しく従うぞコレ。


桑藤「三波君・・・」


 そっちを言ったか。


 まぁそうだろうね。


 では参ります。


海人「さっきは海人君って呼んでくれたよね?」


 桑藤さんは何で俺がそんなに呼び方を追求するのか不思議に考えているだろうか?


 ものすごく興奮している自分に気が付いた時、俺は少しだけ冷静さを取り戻そうとする。


 もはや壁に倒れ込んでいるような姿勢の桑藤さんがうつむきながらうなづいたのを確認し、


海人「うん」


 と、一度会話を切った。


 そして再開。


海人「なんで、呼び方変えたの?」


 敵陣に到着した歩が、成って行くのが解る。


 次々に王を取り囲んでいく。


 動かなくていいのかい?


 攻められ続けてていいのかい?


 君の手駒には桂馬しかないのかい??


 ヤ バ イ 超 楽 し い 。


 桑藤さんは何のリアクションもなくなってしまった。


海人「ん、恥ずかしいの?」


 直球を投げる。


桑藤「うん」


 俺の左手首を掴んでいた右手を素早く自分の股の間にズボッと入れる桑藤さん。


 依然、俺と桑藤さんの左手は繋がれたままで、机の上へ置かれてる。


 おっ、おっ?


 桑藤さん、顔が赤くなってきたー!


海人「俺の下の名前知ってたんだ」


 今更だが聞いてみる。


 リアクションを、はよ!!


桑藤「照奈ちゃんが・・・」


海人「へ?」


 何故アイツの名が?


桑藤「照奈ちゃんがいっつも、か・・・三波君の事海人氏って呼んでて」


 海人氏・・・。


 俺は何だ? どこかの役員かなんかか?


 スーツが似合いそうだな。


 てか、また言いかけたな。


 こりゃ頻繁に呼ばれてるな裏で。


海人氏「で、斎藤さんとは俺の事海人って呼んでるって事ね」


 桑藤さんはうなづき、表情にジワっとした笑みが出た。


 少し和らげようか、攻めすぎると疲れちゃうかもだし。


海人氏「好きな呼び方でかまわんのですが、どっちか一つじゃないと気になっちゃうなー」


 間違いなく。


 天井を見上げながら提案を出してみる。


海人「じゃあ、これからは下の名前で呼んでよ」


 また目を大きく開いて俺の顔を見る桑藤さん。


桑藤「だっ! 恥ずかしいよ恋人でもないのに」


 グーにした手を口元に持って行く桑藤さん。


 わぁ、女の子っぽい仕草。


 グーにした指の第一関節と第二関節の間の匂いを嗅いでいるようなポーズと言えばわかりやすいか?


 男子は臭い物触ってもそんなポーズ取らないだろうな。


 そんな事を考えていると、俺が握っている桑藤さんの左手はうっすらと汗ばみを感じ始めている。


 桑藤さんさー、まさか自分からハマりに来るとは思わなかったよ。


 そんなこと言ったら、俺はこう言うしかないじゃない。


海人「でも桑藤さんは、恋人でもないのに俺の事名前で呼んだよ?」


 もうニヤニヤが止まらない。


 そして桑藤さんは完全に俺を直視できなくなった。


 だからちょっと顔を近づけてこう言った。


海人「俺の目の前で」


 そう伝えると桑藤さんはぎゅっと目を瞑って囁く。


桑藤「ごめん」


 圧勝だった。


 もう完膚なきまで叩きのめした気がする。


 何か、俺、このまま桑藤さんを口説いてみたいんだけど。


 そんな事していいのか?


 根拠はないけど、何か落とせそうだぞコレ。


 ・・・いや、やめよう。


 むしろ、やめろ俺。


 戻れなくなる。


 俺の目標はこゆちゃんとイチャイチャできるようになる事だろ。


 準備だけだ、実戦はこゆちゃんでやらないと意味がない。


 そうだ、まだやっていない事もあるんだ。


 最低でもそこまではやっておかないと。


海人「桑藤さん?」


 名前を呼ばれれば相手の目を見るでしょ桑藤さんは。


 そういう子だよね?


桑藤「はい」


 弱々しい声。


 かわいいなぁ、振り絞って出した声がそれかい。


 もう何発か喰らってもらっていいかな桑藤さん。


海人「斎藤さんが俺の事名前で呼んでるって事実を俺が知っちゃってよかったの?」


 桑藤さんは数秒考えた後、はっとした表情を浮かべた。


 おやおや、仲間内だけの秘密だったのかい?


 そりゃそうでしょうね、当の本人である俺がそんな風に呼ばれている事を知らないって事は、言っている本人達が伏せていたってコトな訳だから。


 困っちゃって言葉を失ってしまいましたね桑藤さん。


 でも大丈夫だよー桑藤さん、助け船を出してあげよう。


 トラップだけど。


海人「あーあ、しーらないんだー」


 つないでる手を上下に振る。


 桑藤さんはまだつないでいたという事を再認識し、そっちにも意識を持って行かれているようだった。


 ほいだら、助け舟出すからねー、まんまと乗ってくださいよー。


海人「なんて、大丈夫、内緒にするから」


 繋いでいない方の手で、桑藤さんの左手をポンポンと叩く。


海人「だからさ、お願いがあるんだけどさ」


 と、桑藤さんの左手を見ながら答える。


海人「聞いてもらえる?」


 今度は目を見てお願いする。


 桑藤さんは少し口を開いた後、声を出した。


桑藤「何?」


 聞き返されちゃった。


 んー、思い切って飛び越えてみようかな。


 ハードル上げて。


 今ならいけそうな気がしないでもないんだよな。


 次があるとは限らないし。


 いや、ある事はほぼ確定してるけど。


 言ってみるか、恥ずかしいけど。


海人「桑藤さんに、いじわるしたいんだけど」







桑藤「え?」

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