「蜘蛛」が囲う「蝶」

 来た、遂にこの金曜日と言う日が。


 あの誘いが昨日の事とは思えない。


 長かった。


 昨晩が。


 授業が。


 そして今行われている終了のホームルームが長い。


 更に、今日やった調理理論、栄養学、公衆衛生はほとんど頭に入っていない。


 ただ、黒板の内容をノートに書き写しただけだ。


 次のテストは絶望的だな、フフ。


 そうだ桑藤さん、成績比べをしたことが無いから俺は知らないが、君は結構勉強が得意だったりしないかい?


 そうだったらついでに、君の身体を教えてもらうついでに勉強も教えておくれよ。


 俺はこの学校に来るまで勉強をしたことが無いから、やり方を知らない。


 特に現状成績は困っていないけどね。


 代わりに別の事を教えてあげるから。


 ヤバイ、このボルテージが上がっていく感じ・・・。


 制御の利かなくなったボイラーの様に、メーターがどんどん上昇する!


 モノ凄い期待で心拍数が落ちないのを実感している!


 楽しみで仕方ない。


担任「報告が無ければ、今日は終わるぞー。 号令」


号令担当「起立」


 ガラガラと椅子が引かれる音がする。


 もうカバンを背負い出す男子もいる。


 外に出る準備で、前髪をいじる女子もいる。


 俺は今日をこらえたぞ! ジョ〇ョー!!!


 石井さん、石崎さん、大島、佐藤コンビ・・・終わったよ。


 第三部完!!


号令担当「お疲れさまでした!」


全員「お疲れさまでした!」


担任「はい、お疲れー」


 担任が手にしている「誰も中身を読んだ事の無いあの謎の書物」をパタンと閉じると、全員がワラワラと動き始める。


 俺はカバンを手にし、教室から出る準備をする。


 出口に向かう途中、桑藤さんに小さな声でこう伝える。


海人「じゃ、後で」


 横目で桑藤さんと目を合わせる。


桑藤「うん」


 桑藤さんも小さく返答した。


海人「おいっすー、おさきー」


佐藤コンビ「おっつー」


 その後、教室の後ろ側に向かって手を振る。


海人「またねー」


石井・石崎「ばいばーい」


 おっしゃああああああ通例儀式おわりいいいいいいい!


 俺は自由だああああああああ!


大島「おい、この後付き合えよ」


 なあああああああにいいいいいい!? 面倒なやつに捕まっちまったー!!


 ダメなんだ大島、今日はどうしてもダメなんだよ!


 説明する時間ももったいないが、ヘソ曲げられるのが一番面倒だ。


 多分うちのクラスで喧嘩が一番強いのはお前だ大島、キサマとはモメても何も良い事が無い。


海人「行かなきゃいけないとこがあんだ今から、悪いが」


 大島の顔色を軽く伺うが、そんなに変化はないようだ。


大島「なんだ、バンドか?」


 今日はやけに普通じゃないか大島、助かるよ正直。


海人「楽器屋から昨日電話がかかってきて、注文していたボーカルエフェクターが届いたから取りに来いって」


 これは事実で、明日のスタジオ練習に持って行きたいのでどうしても今日取りに行かなけらばならないのだ。


 桑藤さんに後でと伝えた理由もこれだ。


 紙玉のやり取りで桑藤さんは既に知っている。


 この後の事もやり取り済みだ。


 ついでにバイトも休んでいる。


大島「ボーカルナントカは知らねーけど、しゃーねーな、クタバレ」


 何でいっつもこーゆー事言うんでしょこの子は。


海人「うるせーなバカ、また月曜な」


大島「おう」


 無事脱出いたしましたワタクシ。


 その後の事も突っ込まれていたら面倒だった、ヤレヤレだぜ。


 5分後、電車が来る。


 これに乗れればかなりの時短になるのだが、果たして間に合うのか?


 デデンデンデデン、デデンデンデデン。


 間に合うんだけど。


 隣駅で降り、島村楽器へ向かいエフェクターを受け取る。


 これだけでもテンションが上がるのに、今日はこの後、俺の欲求を満たす為のイベントが控えているのだ!


 降りた駅へ引き返す。


 待ち合わせは久里浜と言う駅。


 ここは俺の地元近くで、良く知っている場所だ。


 遊び相手の桑藤さんは、研ぎをやってから来ると言うので恐らく時間がかかるだろう。


 でも今回誘ったのは俺だから、駅前で待っていようと思う。


 久里浜駅に着いた俺は一度改札を出て、ホームから降りてくる人を眺められる位置に立った。


 そこは改札を出て丁度目の前にある大きな四角柱の柱を背にした位置で、改札へ向かう人の顔が見える絶好のポジションだ。


 そうだ、そう言えばまだ桑藤さんをどうやってカラオケまで連れて行こうか決めていなかった。


 ここのカラオケを選んだ理由は「うちのクラスの生徒があまり来ない地域」である事を俺は知っているから。


 誰かに見られ、変な噂をされるのは俺も桑藤さんも望んではいない。


 そして目的のカラオケ屋さんには、とある特徴がある。


 2名用の小さな部屋がいくつか用意されているのだ。


 この部屋は料金も安い為、我々学生にはとても助かるお部屋なのだ。


 つまり、いかがわしい目的で俺がそこを選んでも、桑藤さんは全く気にもしないで部屋に入るだろうと予想している。


 しかも今回俺は、カラオケ代を全部支払うつもりでいる。


 桑藤さんはお礼のつもりで来るはずなのに、俺に手厚くされたら萎縮するに違いない。


 そこで俺の攻撃が始まる訳だ。


 チョコレートやポテチを食べながら、気まずい雰囲気をメロソーと共に飲み込んでいただくとしよう。


 ・・・で? 何て言ってカラオケに誘えばいいか。


 そんなに考えなくても来てくれるかな?


 そうだ、桑藤さんは既に俺の誘いを受けてくれている訳で、この後カラオケに連れて行くくらい大した事ないだろう。


 それでも単身の女の子をカラオケに誘うなんて初めての経験だし、独特のむず痒さと言うか、とにかく落ち着かない。


 ふぅ、緊張して何もできないのが一番情けないだろうが。


 今からイメージトレーニングをしておく。


 どんな雰囲気になったらどんな話をして、手を出してと言って握ってみるとか。


 こんな雰囲気にまでなってしまったら、太ももに手を這わせてみるとか。


 ・・・おや、隣からいい匂いがする。


 ライブハウスで嗅いだことがある匂い、確かヴェルサーチのブルージーンズだなこれは。


 誰だ、俺の思考を香りで邪魔するやつは。


 と、横を向いてみる。


桑藤「おまたせ」


海人「え!?」


 びっくりした!


 首が軽くブルブルっと震えたほどに。


 柱を背にし、俺と同じ方向を向き、両手でカバンを持った姿勢で俺の横に桑藤さんは立ってた。


海人「なん、いつからいたの?」


 大抵の人間がこの状況ではこんな事を聞くだろう。


 逆にこの質問をしない人がいるのだろうか。


 桑藤さんはくすっと笑った後、こう答えた。


桑藤「ちょっと前だよ。 三波君怖い顔で考え事してたから黙ってた」


 忍びの者かよ・・・全く気が付かなかった。


 香水の香りがしなければ、まだ気が付いてない所だと思う。


 この位置で待ってた意味が全くないではないか。


 桑藤さんに遊ばれる側になるとは・・・不覚なり。


 それはそうと、桑藤さんって香水とかつける人なのか。


 ・・・下の名前、何だっけ?


 今日はソレ、知らないとまずいだろう。


 まぁ、後で便所行ってベル見ればいいか。


 確かまだ斎藤さんのメッセが残ってるだろう。


 ところで・・・


海人「桑藤さん、すっごくいい香りする」


 ・・・しまった!


 普通に心境を声に出したぞ今!!


 バカなの?


 ねぇ、バカなの? 俺変態かよ!!


桑藤「えっ、あ、言われた事ない」


 あからさまのもじもじを始める桑藤さん。


 目線も完全に落ちてしまった。


 あ、やば、メチャ照れてるかわいい。


 あれ? うっすら化粧してるな桑藤さん。


 ポニーテールから見えるうなじも何故か大人っぽい。


 ・・・ヤバイ、カラオケ行く前に変な空気作り始めてるー!


 俺の作戦毎回適当過ぎだろ!


桑藤「・・・嬉しい、ありがと」


海人「ありがとうって、いや・・・」


 いやいやいやこの漂う空気よ!


 早いんだよなぁ、展開が。


 まさかここまで早くこんな空気になるとは。


 まずいなコレ、とにかく部屋に連れ込もう。


 駅前にずっといては流石に良くないしな。


 これから向かうカラオケをクラスの子が使っていないのはリサーチ済みだが、駅前は見られる可能性がある。


海人「・・・おしゃ、じゃ行こうか」


桑藤「うん」


 ・・・どこ行くか聞かないんかーい。


 俺も言わないんかーい!!


 ダメだこの空気、でも追い詰めるんならとことんやった方がいいのか?


 前に雑誌で読んだ、疑わしい「女子に効く♡ 紳士的なナントカ!」を試してみるか。


海人「あー、カバン持とうか? なれない場所でカバン持ってんの億劫でしょ」


 ・・・さて、どう答えるのか。


 どんな反応をするのか。


桑藤「ダメだよ、三波君おっきい荷物持ってる」


 ・・・。


 バカヤロー!


 エフェクター持ってたの忘れてたー!!


 この状況で桑藤さんのカバンも持ってたら、俺いじめられてるみたいじゃねーかよ!


 そんな事桑藤さんがやらせる訳ねーだろ!!


 バカなの?


 ねぇ、バカでしょホント!!


海人「う、ぬかったぜ」


 また声に出てしまう俺。


 くっ、マズイ、これは緊張している時のアレだ。


 だが、桑藤さんは笑ってくれた。


 しかしいい匂いだなー桑藤さん。


 ウチの学校のルールに、香りの強い物の使用は禁止と言うものがある。


 手荒れの激しい生徒が使うハンドクリームの香料ももちろん、女子に人気のフレグランスコンディショナーも禁止だ。


 いい匂いのする生徒は、入り口で返されるレベルだ。


 普通の学校ならちょっと厳しいレベルだが、我が校は調理師学校、食材や料理に影響しかねない「匂い」に関しては徹底して排除しているのだ。


 何が言いたいかと言うと、失礼な言い方だが、学校での桑藤さんはこんなにいい匂いがする訳ないのだ。


 つまり、どこかで香水を付けてきたはずなのだ。


 校内で化粧する事もできないはずなので、その時、香水も一緒に・・・。


 あ、研ぎをしてから来るって・・・なるほど、そう言う事だったか。


 俺の用事が入ってしまった事は逆に、桑藤さんにとっては好都合だったという訳だな。


 なんて考え事をしていたら、カラオケ前に来た。


 ここまで無言で歩いてきてしまった・・・桑藤さんのクールダウンにはなったか? と振り返ると・・・。


 どうやら桑藤さんはダイエーに行った時と全く同じ距離感でついて来てたらしい。


 んー、なるほど。


 これはもう桑藤さんが男性と歩く時に置く普通の距離なんだと認識しよう。


 では、今日の戦場へ、イクゾー!


 でっでっでででで、かーん、でででで!


海人「おしゃ、カラオケ行こう桑藤さん」


 パチンコ店の上にあるカラオケ屋さんを指さす。


 ここに知り合いは誰も来ない、ここからはずーっと俺のターンだ。


桑藤さん「えっ、カラオケ?」


 はっ、桑藤さん、困った顔してる!


 まさか、桑藤さん、まさか、音痴だからとか言わないよね?・・・。


海人「あっ、桑藤さん苦手だった?」


 嫌いとか言わないでくれ、頼む・・・計画がっ!!


桑藤「カラオケ、行った事ないから」


 えええええええええええええええええええ!


 ででで! 出たあああああああ!!!


 斜め上だったー!


 それは想定外です!


 カラオケに行った事が無い人種がいたー!!


 たいちょー! 希少種です! 亜種がいますたいちょー!!


 誰がそんな事予想するかね?


 クソッ! 気遣え俺、甘い言葉をかけるんだ・・・。


海人「えっ、やめとく?」


 そう言っちゃうのか俺ー!


 やめたくない!


 行こうよカラオケ!!


 イチャイチャしようよ!!!


桑藤「んーん、良いよ」


 ずこーーーーーーーーーーーーーーーー


 何だったんだよ今のは一体・・・。


 そして事前に考えていたわざわざ狭い部屋を選ぶ口実やらなにやらは、初めてのカラオケの前では全く無意味になった。


 作戦って一体・・・。


 階段を上り始める。


 桑藤さんを先に上がらせるとおパンツ気になっちゃうだろうから、俺が先に上がる。


 俺もやっぱりソレは目のやり場に困るし、手で隠されながら上がられるのも正直癪に障る。


 中に入り、受付で部屋を選び、フリータイムの料金を払う。


 ここは部屋料金だけ先に支払うタイプのカラオケボックスで、飲み食いする料金は都度部屋でまた支払うタイプのカラオケ屋さんなのだ。


 桑藤さんはこのシステムを知らないので、金額を言われた時にカバンをゴソゴソしていたが、そもそも払わせる気が無い俺はさっと支払いを終わらせてしまう。


 どうだい? ん? どうなんだい桑藤さん?


 焦るだろう? 戸惑うだろう?


 まだ付き合いは浅いが、君が穏やかな心境でいられないであろう事は予測済みなんだよ。


桑藤「三波君、お金・・・」


 財布からかなりの額を出し、俺の返事を待つ桑藤さん。


 だがね、受け取ると思うのかい? 俺がそのお金を。


海人「良いの、誘ったの俺だから」


 もう目線も合わせないで、部屋に向かおう。


 ここからは散々いじめさせてもらうよ桑藤さん、俺はもう心の中でも謝らないからね。


桑藤「今日は私のお礼なのに・・・」


 まだ何か言ってるから、ちょっと強めに言ってやめさせるか。


海人「もう、落ち着かないからお財布しまって。 ほら、お部屋ココ。 レディーファーストだよ」


 とか言っているが、この部屋は先に入った人が壁側に追いやられ、もう一人にどいてもらわないと席も立てない程狭いのだ!


 どうするね? 桑藤さん、ココへ先に入ってしまうのかい?


桑藤「うん・・・ごめんね? ありがとう」


 複雑な表情を浮かべながら、ドアを開けている俺に促され部屋に入る桑藤さん。


 何はともあれ、





 よ う こ そ 我 が 鳥 か ご へ 。

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