第3話

12年が過ぎた。


娘はゲームの専門学校を卒業し、キャラクターのデザイナーとして小さな会社に就職した。母親のユリに似て、絵を描くのが好きなのだ。


そう言えば、アオイの名前もユリがつけた、花の名前だな。


俺はユリと二人で初めて海外旅行した、ギリシャを思い出して顔がほころぶ。


白壁のホテルの脇の花壇に、昼過ぎになると急に咲き誇る白く美しい花があった。名前を聞いてもわからなかったが、その後、日本語名があることがわかったのだ。ユリはその花をたいそう気に入っていた。

 

 あおい。それが、娘の名前だ。


アオイは先日、「結婚したい人がいる」と、元同級生のひょろっとした男を家に連れてきた。


俺がユリと結婚したのはお互い24歳の時だ。俺たちも結婚が少し早いのでは?と周囲から言われることもあったから、アオイが連れきた男が真面目で誠実そうだったから、俺はこころよく許した。


 ……ユリにアオイのこの笑顔を、見せてやりたい。


ユリがいなくなったことは、俺にとっては神隠しにあったように感じられていた。あのあとすぐ、探偵事務所にも依頼したが、全く痕跡がつかめなかったのだ。


今までのことを思い出し、こんな情けない父親で我慢したこともいろいろあったに違いないアオイにすまなく、胸がいたんだ。


結婚式の招待客を決めるという日、アオイが話がある、と俺に正座してきた。こんな真剣な顔の娘は初めてだ。

俺も姿勢をただす。


「パパ、あのね。ママを、結婚式に招待したいの」

「え?」


俺は真っ白になった。アオイの口から、ユリと定期的に会っていること、ユリは隣駅近くに男とずっと暮らしていること、が聞かされる。


頭が麻痺したように、何も感じられない。


「パパ、ごめんね。ママのこと許してあげて。私の花嫁姿を見てもらいたいの」


 アオイが懇願してくる。


俺はたぶん、もちろんだ、お前の一番キレイな姿をママに見せなくては、話してくれてありがとう、今まで苦しんでいたんだね、とかいうことを言葉にしたんだと思う。


それから先は、記憶がとぎれとぎれだ。


結婚式に来たユリは、少し老けていたが、相変わらず色白で、きゃしゃで、綺麗だった。泣きながら今までのことを謝るユリに、俺は、生きてくれていて嬉しい、とか、幸せなのか?とかいうことを言ったんだと思う。


ユリとの離婚届を出し、俺は会社を辞めた。もう、なにもかもどうでもよかった。引き止められたが、事情を社長に話すと、「元気になったらいつでも戻ってこい」と言ってくれた。


アオイとユリの思い出のつまった家にも住んでいられなかった。引っ越しをし、郊外のアパートに移りすんだ。


幸い在宅仕事は軌道に乗り、専門職として食うに困らないだけ稼いでいた。


俺は引きこもり、時々、近所の山に登ってぼうっとしたりして、過ごした。



「パパ、久しぶり。赤ちゃんが出来たの」


1年後、アオイから連絡が入った。俺は電話をし、おめでとう、と言って祝い金を振り込んだ。


会いに行くことはまだ、出来なかった。


アオイに会うのが怖い。どんな罵声を浴びせてしまうのか。


俺は怒りを爆発させたいと思う反面、こらえなければ、と感じていた。


そして、娘の幸せを祝えない俺はそれでも父親か、と葛藤した。



 1年が過ぎた。


 俺は決心し、孫の顔を見たいとアオイに連絡した。アオイはとても喜んでくれた。


俺は在宅仕事先に打ち合わせに行き、昔の職場に顔を出して、その帰りに、アオイの家近くの駅に立った。今日は、娘の誕生日だ。


約束より、2時間近くも早い。コーヒーでも飲むか。


久しぶりに降り立つ駅だった。幸い、昔訪れたことのある、雰囲気のいいレストラン兼茶店のような店が、まだ、ある。


俺はそこに入り、窓際の席に案内される。


店は昔のままで、奥は半個室のような席がいくつかある。


俺はコーヒーを頼み、スマホを見て時間をつぶす。すると、奥の席からわいわいと、すこし騒がしい声がする。


なんとなく、そちらに顔を向け、俺は……。

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