わたしが、蝋燭になるまで

紫鳥コウ

わたしが、蝋燭になるまで

 1


 蝋が、溶けている。炎は、揺らがない。


 蝋燭が、目の前にある。手は、届かない。見ているだけ。朝陽が、蝋燭をななめにきりぬき、炎は、うっすらとしてしまった。けど、消えない。影がくるのを待つ。少しずつ短くなっていく、あの蝋燭に、わたしはなりたい。



 2


 目が覚めると、鼠色ねずみいろの空。


 パソコンに映しだされている、掲示板。ペットボトルが、あちこちに倒れていて、水滴のにおいがする、気がする。ゲームのコントローラーは、積まれた漫画のうえに。買ったままの、カミソリ。


 さようなら。今日で、さようなら。


「お母さん」

「……」


「マッチ、どこにある?」

「マッチ?」


「生まれかわるの」

「あんた……」


「お母さんに、恩返しがしたいの」

「かあさんは、あんたが生きているだけでいいの」


 蝋燭になりたい、とは言えなかった。蝋燭になってから、お母さんに、わたし、蝋燭になったよと、言いたい。


 とびきりの笑顔で、言わせてください。大好きな、お母さん。わたしはきっと、蝋燭になりますから。


 部屋の片付けをした。たくさんのごみ袋が、本棚の横に積まれていった。窓を開けると、ぬるい風。わたしの長い黒髪も、今日で最後。さようなら。


 マッチは、仏壇の下にあった。蝋燭も、あった。


 でも、蝋燭に火をつけたいのではない。わたしが、蝋燭になりたいのだ。


「どうしたの、急に?」


 ドアのところに、お母さんが立っていた。泣きそうな顔をしている。手が、震えている。それを見ると、なんではやく、蝋燭にならなかったのだろうと、後悔してしまう。


「あのね、かあさんは、あんたが働けなくても、生きているだけで、幸せなの。だから、そんなこと、しないでちょうだい」


 お医者さんに行きましょう、そう、涙を流して、お母さんは言った。わたしも、泣いた。ごみ袋のなかに詰め込んだ、ペットボトル。ラベルが剥がされていない。わたしは、お茶ばかり、飲んでいたらしい。


 夜、わたしは、そっと家をぬけだした。



 3


 自転車にまたがった。けど、ペダルをこぐことが、できなかった。高校一年のとき、それが、最後に自転車に乗ったとき。


 わたしは、靴のひもを、いまだしうる、最大の力で結びなおして、月の見えない夜のたもと、街灯のあかりをあび、歩いた。十一時十六分、だと思う。感覚だけど。


 こころの傷が、ひりひりして、毎日、泣いていた。叫んでいた。なぜ、わたしは、器用に、生きられないのだろうと。失敗に慣れてしまうことを、失敗した。白旗をあげる手は、引力に勝てない。わたしは、ダメな子。


 けど、ひとは、恋をすることがある。どうしようなく、ひとを好きになる。たとえ、かなわぬ恋であれ、市中引き回しみたいに、どこまでも、つきまとう、気持ち。


 ブランコに乗ってみる。こぎかたを、覚えていない。横に、揺れてしまう。気分が、わるくなる。はきたくなってしまう。いつか、危ないからやめなさいと、注意されるくらいに、高くまで、こいでみたい。


 なんとかたどりついた、洋風の一軒家。インターフォンを押すと、カメラがめつけてくる。でてこない。押す。でてこない。押す。でてこない。押す。


「……どなたでしょうか」


 ようやく、でてきた。あのひとの、声だった。うしろから、警察をよびましょうよ、そんな相談がきこえてくる。


めぐみくん?」

「……」


楠木くすのき。高校が同じだった、楠木琴子くすのきことこ

「すみません……」


 通話は、切れてしまった。


 長い髪の子が好きなんだよね、という恵くんの言葉。高校一年のときの、五月。わたしの恋は、打ち首。橋の上でさらされる。ああ、すっきりした。これで、最後のくびきから、解放された。


 あとは、蝋燭になるだけだ。



 4


 この川、まだあったんだ。へんな感想。けど、わたしは、尻餅しりもちをついて、斜面をくだっていく。草のにおいは、いや。でも、なつかしい。赤色のランドセルを、思いだす。


 川が流れている音は、たしかにしている。暗やみに慣れた目が、そこに水があることを、教えてくれる。


 昨日は、雨だった。


 もしかしたら、これを、奇跡と呼ぶのかもしれない。なんて、思ってみるけれど、奇跡なんて言葉を使えば、思考が止まってしまう。考えぬけば、説明できる。あらゆるものが。


 それは、わたしが、この歳になって気づいたこと。


 マッチ棒を、たくさん、ムダにした。なかなか、火をつけることができない。けど、めげない。わたしは、残りの一本をすったとき、髪の毛があつくなるのを、感じた。


 あ、火がついた。


 わたしの髪は、燃えていく。こげくさい。一度も、ばっさりと切らなかった髪。そのおかげで、わたしは、蝋燭になることができた。


 燃えている。わたしは、蝋燭。


 希望と勇気。扉を開ければ、光の世界。


 働くって、どんな営みなのだろう。なんだか、笑ってしまった。


 わたしの初デートは、きっと、動物園。

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