第9話芸能事務所

 前世ではビンジー芸能を落ちていたはずのトップアイドル“大空チセ”。

 なぜか同じ事務所に合格していた。


「これからよろしくお願いいたします、ライタ君! とりあえずここだとアレなので、事務所の人のところにいきませんか?」


 どうして歴史が変わってしまったのか原因が分からない。もしかしてチーちゃんは前世では一度ビンジー芸能に合格してから、他の大手芸能事務所に移籍していたのだろうか?


 いや……そんな情報はネットでも見たことがない。それならどうして?


「ライタ君?」


「あ、うん……そうだね。いこうか!」


 だが今は不自然な行動を、怪しまれるのはマズイ。何も考えていないフリをしてチーちゃんと一緒に移動する。


「あれ?」


 レッスン場にはもう誰もいなかった。おそらくオレが遅くなったので、別の場所に移動しているのだろう。


 奥にある事務所に向かうことにした。

 将来のトップアイドルと一緒に歩くのは緊張するが、気合い入れて冷静なふりをする。アイドルオタクであることを隠しつつ行動だ。


 事務所の中には入っていく。


「……あら、ようやく戻ってきたのね、市井ライタ君?」


 事務所の手前には、ミサエと呼ばれていた女性スタッフがいた。強面社長は一番奥の席で、スポーツ新聞を読んでいる最中だ。


「おはようございます! 先日のオーデションを受けさせていただいた大空チセです!」


 芸能界は挨拶に厳しい場所。事務所に入って開口一番、チーちゃんは深く頭を下げて挨拶をする。


「あっ……市井ライタと申します。よろしくお願い……します?」


 慌てて真似してオレも挨拶をするが、挨拶の途中で気がつく。

 なぜなら自分はまだビンジー芸能に正式に入所していない。


 本当に自分は合格したのか? 今日は確認にしにきただけなのだ。


「えっ、ライタ君? もしかして……他の事務所とかでも合格していたりするの?」


 そんなオレも微妙な雰囲気を察したのだろう。チーちゃんが驚いたような顔で向けてきた。かなり悲しそうな表情だ。


「いやいや、そんな訳ないよ! オレが受けたのはここだけで、第一志望はビンジー芸能だよ! でも……本当に自分が合格できたか、半信半疑なだけで。ほら、先週のオーデションの時……オレ、なんか変なことやっちゃったから……はっはっはっ……」


 チーちゃんに説明しながら、また恥ずかしさが込み上げてくる。

 普通はオーデションの直後に、あんな変なことを言って逃げ出したりはしない。明らかにオレは奇行なことをしていたのだ。


「そんなこと、なかったよ! ライタ君の演技は本当に凄かったです! 私は見たことがない映画だけど……なんか、演技を見ているだけ、実際の映画のワンシーンが浮かんできました、あの時は……」


 チーちゃんはジッとオレのことを見つめてくる。まるで信仰する神でも崇拝するようだ。

 つぶらな大きな瞳でジッと見つめられると、オレが吸い込まれしまいそうになる。


「ほほう……嬢ちゃん、アイドル志望のクセに、前回のコイツの演技が“見えて”いたのか?」


 強面社長が新聞を読むのを止めて、いつの間にか近くに来ていた。嬉しそうな顔でチーちゃんに訊ねている。


「あっ、はい……上手く説明できませんが、ライタ君の演技は、なんかこう表面上の演技じゃない感じでした。なんというか、内側から演じている……そんな感じでした」


 前世でトップアイドルの大空チセは、映画やドラマにも何本も出演していた。そのためアイドルの能力だけはなく、役者としてポテンシャルも高いのかもしれない。

 抽象的な説明を口にする。


「『内側から演じている』か? ガッハッハ……なかなか上手い言い方だな、嬢ちゃん! もしかしたら演技をやらせても面白いかもな。だが、とりあえず最初はアイドルとしての基礎を叩きこんでいくぞ」


「あっ、はい、よろしくお願いいたします! えーと……」

「オレ様はこのビンジー芸能事務所の社長の豪徳寺だ」


「ありがとうございます。よろしくお願いいたします、豪徳寺社長!」


 強面社長は豪徳寺という名前だった。見た目の怖さと違和感のないピッタリした名前だ。

 でも豪徳寺組長の方が合っているよう気もする。


「私は専務の一之瀬よ。よろしくね、大空チセちゃん」

「あっ、はい! こちらこそよろしくお願いいたします、一之瀬専務!」


 ミサエと呼ばれていた女性は、専務職の一之瀬と名乗っていた。三十代っぽくて女性らしい体つきの人だ。


「それじゃチセちゃんは、こっちの書類を確認してね」


 彼女が事務仕事の責任者なのだろう。チーちゃんに正式な契約書や確認事項の書類を、用意している。


「……で。ライタは、どうする? ウチに入るのか? 入らないのか?」


 先ほどまで笑みを浮かべていた豪徳寺社長、急に鋭くなった視線がにこちらに向けられる。


 うっ……まるで猛獣のような鋭い眼力だ。


「ちょ、ちょっと、社長⁉ 何を怖がらせて聞いているんですか⁉ その『ライタ君はウチの金の卵になるかもしれない』って言っていたじゃないですか⁉」


 一之瀬専務が慌てながら、何やら社長に止めている。小声で事務所内でのことを話し出す。


「ああ、そうだった。だが、いくら才能があっても、本人にやる気がなければ宝の持ち腐れだ。そういうヤツをオレ様は芸能界で腐るほど見てきたからな。お前も、そうだろう?」


「それはたしかに……分かりました。あと社長を信じます」


 二人のやり取りは終わる。

 豪徳寺社長は再びオレに顔を向けてくる。


「さて、最後にもう一度だけ聞く、市井ライタ。正直なところ“お前ほどの男”なら、他のどの大手芸能事務所でも大歓迎されるだろう。それを聞いてもなお、お前は本当にウチみたいな弱小芸能事務所に入りたいのか?」


 社長の顔は相変わらず怖いが、その表情は真剣だった。自分たちの事務所のデメリットを提示しながらも、本気で選択を訪ねてきたのだ。


「オレは……皆さん言っているように、自分に芸能人としての才能があるとは思えません。でも絶対に断言できることがあります。オレが入りたいのは一ヶ所だけ……地球上の中でこのビンジー芸能しかありません!」


 相手は本気だった。だから自分も本心で応える。


 今世でオレが生きている最大の目的は、アヤッチこと鈴原アヤネの突然の死を防ぐこと。そのためには彼女の側にいて、謎の死の原因を解明する必要がある。


「大手とか弱小とか関係なく、この事務所こそ……オレがいなければいけない場所なんです!」


 そしてアヤッチの側にいるためには、彼女の所属するビンジー芸能に、自分も入所する必要があるのだ。

 自分の想いの強さを精いっぱい言葉にする。


 はぁはぁ……


 あっ、しまった⁉


 思わず熱っぽく語ってしまったぞ、オレは。

 自分の推しとか、強い想いに関して、どうしてもオレは早口饒舌で語ってしまうクセがあるのだ。


「市井ライタ君……あなた……」

「ライタ君……」


 案の定、女性である専務とチーちゃんは言葉を失いっている。きっとドン引きしているのだろう。

 もちろん社長もドン引きしているに違いない。


「ふう……『この事務所こそがオレがいなければいけない場所』……か。そんなにウチのことを熱く言ってくれたのは、お前が初めてだぜ……それじゃ、これからよろしく頼むぜ、ライタ!」


 だが社長は今までに見たことがない満面の笑みとなる。オレの背中をバンバン叩きながら嬉しそうにしている。


「市井ライタ君……あなたって子は……うっ……」


 更に専務はハンカチで目を抑えている。何かに感動して、溢れ出した涙を拭いているようだ。


「ライタ君……本当にすごい……」


 チーちゃんも目をウルウルさせながら、敬愛の表情でオレのことを見ていた。


「へっ……?」


 いったい何が起きたのだろう?

 よく分からずオレは声を出してしまう。どうして二人ともこんなに興奮しているのだろうか。


「それじゃライタ。契約書や手続きのうんぬんは、ミサエちゃんに聞いて、今週中にやっておけ。仕事はオレ様の方で探しておくから」


「えっ、はい。それじゃ、お願いします、社長?」


 何かよく分からないが、いつの間にかオレは入所したことになっていた。


 まだ頭は混乱したまま。だがこれで第一の目的である、ビンジー芸能の一員になることができたのだ。あまり深く考えずに前向きにいこう。


「あと、ライタ……この応募書類によるとお前は、皆腰高等学園にいるのか?」


「えっ、はい。そこに入学したばかりです」


 社長が見ている書類に書いてあるように、オレが入学したのは前世と同じ皆腰高等学園。特に何の特徴もない近所にある普通の高校だ。


「それなら今週中に堀腰高等学園に転校しておけ」


「へっ……入学したばかりで、別の高校に転入ですか⁉」


 まさか社長の指示に、思わず聞き返してしまう。どうして高校を転校しないといけないのだ?


「これからお前は忙しくなって、学校を休む日も多くなる。だから芸能活動に特化した堀腰学園に入るのが一番だ」


「あっ⁉ なるほど、そういうことですか!」


 社長の説明を聞いて、ようやく転校しなければいけない理由に気がつく。

 芸能人は普通の高校生とは違い、平日にも仕事が入ったりする。


 そのため芸能活動を授業科目として単位と認めてくれる、特別な学校に入るのは芸能人としてベストと言われていた。

 芸能活動をしながら単位も修得でき、高卒の実績も得られるからだ。


「お前の今いる高校とは、堀腰は同じ系列の学園だから、すぐに転入手続きもできるはずだ。親御さんへの連絡と転入必要な証明書類は、こっちで出しておくから、安心しろ」


「あ、ありがとうございます。……ん? 待ってください。堀腰高等学園で芸能活動するためのコースって⁉」


 事情に理解したことで、ようやく気がつく。

 自分が今週中に転校する場所は、“とあること”で有名な場所なのだ。


「ああ、そうだ。お前が転校するのは堀腰高等学園の“芸能科”、日本でも数少ない芸能人に特化したコースだ」


「えっ――――や、やっぱり⁉」


 まさかビッグネームに思わず言葉を失ってしまう。


 堀腰高等学園の“芸能科”……日本中のアイドルオタクの憧れの聖地の一つに、まさか自分が転校することは夢にも思っていなかった。


「えっ……もしかしてライタ君、ウチの学園に転向してくるの⁉ 嬉しい……これからよろしくお願いします!」


「あっ、そうか。チーちゃんとも同級生になるんだね、オレは……えっ、えっ――――⁉ チーちゃんとも同級生に、オレがぁああ⁉」


 こうして一介のアイドルオタクだったオレは芸能事務所に所属。


 日本中から集まった芸能人が通う、堀腰高等学園“芸能科”に転校することになった。


 ――――アイドルオタク心臓が止まらずに、授業を受けることができるのか、オレは⁉

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