第7話確認に出発

 オーデションを受けた日から、一週間が経つ。


「それじゃ、いってきます」


 今日は土曜日で学校はない日。

 電話連絡を受けていたビンジー芸能務所に、オレは再度向かうのだ。


 さて、玄関でしゃがんで靴を履くとするか。


「お兄ちゃん! ユキも保護者として付いていく!」


 そんな時、いきなり背後から、拘束ハグをしてきた少女がいた。


「おいおい、さすがそれはダメだろう、ユキ?」


 抱きついてきたのは妹のユキだった。

 今はもう中学三年生だが、昔から子どもっぽいところは治っていない困った妹だ。


「えー、それならユキもお兄ちゃんと同じく芸能人になる! そうしたらお兄ちゃんといつも一緒にいられるから!」


 ユキは子どもっぽい上に、兄離れができていない。

 オレが出かける時は、いつも一緒に同行したがる。また家でオレが自主練している時も、幼い時から一緒に真似していたのだ。


「ユキが芸能人に? まぁ、可能性はオレよりもあるかもしれないけど……」


 中身は幼い妹だが、目鼻立ちは整っている。顔は美形な部類にはいり、笑顔が絶えないチャーミングなジャンルの女の子だ。


 “妹バカ”だとオレのことを思っている奴もいるかもしれない。

 だが実際のところユキは中等部の中でもトップクラスに可愛いらしく、同級生の男子にかなりモテているのだ。


 同級生や他校生に何人も告白されているが、ユキは何故か全部断っているという。というか女友だちはいるが、男友達は皆無らしい。

 これは兄として悲しいような、嬉しいような、なんか複雑な心境だ。


「あと、ユキ……そろそろ離れてちょうだい。オレ、ちょっと恥ずかしいだんけど……」


 今のユキは薄い部屋着の格好で、しゃがんでいるオレの背中に抱きついてきている状態。


 その……なんというか、女性らしいユキの身体のラインが、オレの背中に当たっているのだ。


「えー、なに言っているの、お兄ちゃん! 普通は兄妹同士はこれくらいスキンシップするんだよー!」


「いやいや。さすがに中学三年と高校一年生で、ここまでスキンシップしている兄妹はいないだろう?」


「だって、しょうがないじゃん! ユキはお兄ちゃんのことが好きで、将来結婚するんだから!」


「あっはっは……またその話か。何度も説明するけど、残念だけど兄妹同士では結婚できないんだぞ、ユキ?」


 ユキは幼い時から『将来はお兄ちゃんと結婚するの!』といつも言ってくる。

 もちろん幼い子どものよくある戯言なのだが、中学三年になった現在でも変わらないので、少しだけ兄と心配なところもある。


「でもお兄ちゃんとユキは血が繋がっていないから、結婚できるんだよ!」


 ユキが口にしているように、彼女とオレは血が繋がっていない。

 とある事情があってオレは幼稚園児時代に、この家の養子縁組的になった。そのためこの家の誰とも血は繋がっていないのだ。


「いやいや、たとえ血は繋がってなくても、結婚はできないんじゃないかなー、ユキ?」


 たしか法律で親族者同士の婚姻はできないはず。これでユキも諦めるだろう。


「えー、そんなことないよ、お兄ちゃん! だって民法の第734条に『直系血族又は3親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない』って書いてあったから、ユキとお兄ちゃんは法律的には大丈夫なんだよ!」


「えっ……そうなの⁉ というか、いつの間にかそんな民法に詳しく⁉」


 妹ユキはそれほど学校の成績は良くない。

 だが自分が好きなジャンルに関しては、とことん熱中していくタイプ。今回も民法のことをいつの間にか調べて、概要部分の全文を暗唱していたのだ。


 我が妹ながら、なんと恐ろしい子……。


「だから、もう逃げられないよ、お兄ちゃん!」


「いやー、それはさすがに……あっ、遅刻しちゃう! いってきます!」


 民法まで出されて、こっちの分が悪くなってしまった。オレは時計を見るフリをして玄関を飛び出していく。


「あっ、お兄ちゃん⁉ もう、また逃げられちゃった」


 後ろでユキがほおを膨らませているが、今日は構っていられない。

 何しろ本当に時間はけっこうギリギリ。急いでビンジー芸能に向かわなければいけないのだ。


(ふう……電車には間に合った。この分だと時間的にはギリギリ間に合いそうだな。でも、本当にどうして、オレは合格したんだろう?)


 事務所に向かう電車の中で、改めて疑問が浮かんでくる。


 先週のオーデションの直後、家に事務所から合格の電話連絡があった。その翌々日には正式な契約書の各種も、郵送で家に届いていた。


 契約書に詳しい義父に確認してもらったが、書類はすべて不備がなく怪しいところはない。

 つまりオレは本当にビンジー芸能事務所に合格していたのだ。


(でもオーデションでは、あんなに失態をしたのに、どうして合格を? もしかしたら芸人枠や配信ライバーとして合格したのかな? 事務所についたら聞いてみよう)


 ビンジー芸能は小規模ながら、芸人部門やネット配信者部門にも手を出している。

 もしかしたら俳優として合格していない可能性も高い。

 とにかく書類だけでは相手の意図が分からないので、改めて確認しないとな。


 ◇


 そんなことを考えて移動していたら、いつの間にかビンジー芸能に到着。

 先週と同じように雑居ビルのエレベーターに乗り込む。


「あっ、今日は誰もいないな? いつもはこんな感じなのか」


 エレベーターを降りた先には誰にいない。先週はオーデションがあったから、受付や待機椅子があったのだろう。


「えーと、事務所の人がいるのは、こっちかな?」


 受付看板を頼りに事務所内をウロウロ散策する。

 でも、ウロウロしても誰も見つからない

 小規模事務所だからスタッフが足りなくて、外出しているのだろうか?


「あっ、そうだ。あの面接会場にいってみよう」


 先週の面接会場も同じ階にあった。一面が鏡張りで、レッスン場のような場所だった。


 同じフロアのレッスン場前に移動していく。

 あっ、中に人の気配がある。

 複数の誰かが、中で話をしているぞ。


「あの……すみません、失礼します。一応、合格の連絡を受けた市井ライタと申しますが、誰か事務所の人がいますか?」


 ノックをして自己紹介しながら、おそるおそるレッスン場に入っていく。


「あっ、いた!」


 レ見たことがある事務所スタッフが、レッスン場の中にいた。

 先週のオーデションで面接官の人で、オレの肩を揺すってきた女の人だ。


「あの……オレは市井ライタと申します……あっ、すみません、取り込み中でしかた⁉」


 中に入って気がつく。

 レッスン場には他の人もいた。

 若い女性が二人組で、面接官の人と何やら強い口調で話をしている。


「あれ? あの二人は……?」


 若い女性二人にも見覚えがあった。先週に一度だけ見た顔だけど、忘れてはいない。


 彼女たちは同じくオーデションを受けた女子高生、チーちゃんをイジメていた二人だった。


「ん⁉ あんたは、あんときのオタク君⁉」

「あんた合格していたって、どういうこと⁉」

「どうしてあんな奴が合格して、私たち二人は不合格んですか⁉ 納得がいきません!」


 どうやらマズイタイミングで来てしまったようだ。


 興奮状態の不合格者の二人と、説明をしていた面接官の間に、オレは挟まれてしまうのであった。

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