過去に臨む

過去に囚われるというのはどうにも悪いこととされる。

しかし過去をどれほど遠ざけたとしてもそれは盗人のようにこちらを睨むのだ。

この盗人が存在しない、もしくはナイフなり何なりで防衛手段をもっていないというのはどれほど恐ろしいことか。それがなければ僕は何をすることも恐ろしくて手が出ない。


その恐ろしい過去というのは1つのことによって起こされたものではない。

フルーツジュースのようにいろんなものが組み合わさって起こされた事象だ。

高校の不登校、父親からの追い詰められたこと、友人への不信、高い目標を何一つ成し遂げることができない焦り、学力不振の劣等感。

後から聞いたのだが母はこの時、宗教のようなものに献金もしていたらしい。


これだけあるともう普通に暮らしていることなど不可能なことは明快なのだ。

僕はどれほど辛い運命を背負っていたのだろう。

もうどうしようもないという言葉がこれほど相応しい状況はこのとき以外に知らない。


そして今の状況もそれに少しずつ近づいているのを感じる。

新入社員には過酷なノルマ、会社での上司からの圧力、同期への不信、友人との疎遠。

あのときほどではないがナイフがのどに当てられているように感じる。

ああ、どれも会社関係ではないか。自身の生活の矮小さに呆れる。


しかし、そう。ぼくはこの状況に振り回されながらもそいつの対処法を学んできている。

それは自身が大切にしている価値という存在だ。

音楽でもいいし、アニメでもいいし、小説でもいいし、ゲームでも、友達でも、酒でもいい。

その対象は本当になんでもいいのだ。

依存症とか言われたっていい。

大切なのは自身を囲む価値という感覚なのだ。

それさえあればなんだっていい。

この世のすべてがくだらなくなって何も大切なものがなくなって行きついた先。

それでも自身を動かすものを見ればいい。

それで他人に評価されることはないだろう。

しかし、そんなことどうだっていいではないか!

おまえが価値を感じるものを信じればいい。

それは何も見ることができず、何も言うことができず、指先を動かすこともできなくなったとしても。

気が付いたら価値は私を受け入れてくれる。


相も変わらず恐怖は私を睨む。

しかし、横に目をやるとで価値がこちらを覗き込んでくれる。

それこそが私の辿りつくべき場所なのだ。

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