話すことが恐い

私は人は異なるということに絶望していた。

いや私が特に人と異なるということではなく人と人同士が異なるということに。

同じことを体験すれば人は同じ反応、同じ考えをするだろうとは考えていた。

しかし我々は誰一人として同じ体験をしていない。

それなのにどうして分かり合うことができるのだ。

見ているものはみんな違う。自分の見ているものを話したがる。

だとすれば私たちは何を話せばいいのだろう。

だが私たちは本当に見ているものが違うのだろうか。

私たちは本当にずっと同じものをみていないのだろうか。

それは違う。

私たちは話をするとき、同じものを見ている。

何か話題となる目を向けるものを向け、自分の立場を表明している。

確かに話をしている時、いつも同じものを見ているとは言えない。

私の言ったことについて何も言わず話題を変えられることがあるからだ。

そういう時、私は胸が張り裂けそうになるのをこらえなくてはならなくなる。

しかし多くの場合、そうではない。

私と相手は同じことに向かって語り合っている。

そのとき私と相手は私たちということができるのだろう。

私よ。お願いだからいい人をいい人と見てほしい。

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