信号は赤と青

意見の相違、そうとしか言えなかった。


昨日久しぶりに妹2人とカラオケに行った。

以前はカラオケという場の雰囲気が苦手であった。複数人で密室にされそこから離れることはできない。しかも自分のよく聞く歌は現実を逃避して狂う人が題材だったり、社会に反抗する題材だったり自分を卑下する人が題材だったりが多い。その上好きな曲は大体ボカロが多いしボカロの中でもボカロ作曲者を直接聞く人である。ボカロ作曲者が作った曲をカバーする「歌ってみた」という動画では結構流行りに乗る人が多いので自然と知ってる人が多くなる。しかし私は数多いる作曲者を散発的に聞く。そうなると周りに好きな曲を知っている人がなかなかいなくなる。その場に誰も知ってる人がいなく歌がサラッと流される時の空気には吐き気と恥を覚える。


そんなカラオケに対するトラウマを抱えながらも先日のようの会社のオンラインの交流会で知った人との相互理解の幅の広さ、人の苦労に対する興味からカラオケに行ってもいいかなと思い行くことになった。

結果は最高だった。ある程度妹と共通で知ってるボカロ曲やアニメの主題歌も歌いながら自分しか知らないような曲を歌う。まあ自分しか知らない曲の時は割とスルーされたかもしれないが最近は怒りやあきらめといったものを扱う曲でも流行ることがあったので歌える曲の幅の広がりにもなり気兼ねない雰囲気になった。

まあそれ自体は心底安心したとともに世界とつながるような温かみはあった


しかし問題はその後だった。

帰り際に父が、私が屑だと思っている父が仕事で部下が上手くいっていないらしいという話になった。なんでもコンビニのフィギアのくじで思い入れがある仮面ライダーが出たらしくそのめぐりあわせに泣き出してしまうぐらいメンタルに来てるらしい。その話のながれで父の話を聞いてあげてほしいからこの後、実家に来てと言われた。


正直、私は父のことが大嫌いだ。調子のいい時はいい顔して悪い時は電気がつけっぱなしだとか連絡が遅いとか、なんでもないことを大げさに怒り出したりする。私はそういう人間がこの世で一番卑怯で横暴なことを父に教えられたのだ。今、祖母の家に住んでいるのもそういう理由があってなので顔も会わせたくない。それを父をいたわってほしい?

その妹たちだって父に理不尽に怒られている母や私を見てきたし、それほどでもないがムカつくことはあったはずだ。

最近おとなしいからとかあんまり怒らないからだとか言っていた。しかしそれだって前に父にあった時に私がこれまでの父の横暴を「お前が悪い」と初めて本人に詰め寄ったからだ。


それを妹は知らない。

それに自分たちがいかに父の暴力の被害者になっているかというものを忘れている。

いくら今機嫌がよかろうと半年前に母が顔にあざを作り、2か月まえに妹が顔をぶった人間と変わらないのだぞ。


なんでそんなやつに一番割を食わされた私がいたわってやらなばならないのだ。


そういうのを言葉には出せないが内に秘めていた。

このカラオケも自分と世界がつながる経験になると考えていた。

前日に飲みにいったときもその思いで「もしかしたら受け入れられないかもしれない」と心の片隅に抱きながらも大方人の人間味あふれる苦労を知りたいという人への興味を保っていたつもりであった。それは逆の立場で言うとそういうポジティブじゃないことも自分が感じたことを表現できるという安心のもと話をしていた。


だけど…

だけどだけどだけど先に私とは絶対に相いれないこと、父の話を聞いてあげるということを口に出されたら私はそれを否定しなければならないじゃいか!!

そうなるとどうしても私とあなたは違うということを痛感しなければならないじゃないか、、

私はどうすればいいんだ!


そんなどっちつかずにしていると半ば強引に両手を引いて実家へ連れ出し始めた。

ああ、もう何がなんだかわからない…

そうして心ここにあらずで話していると実家に帰ってから祖母のいる今住んでいる家に母に送ってもらえるという話になった。それを確認しようと母に電話すると幸運にも母は酒を飲んでいるから送れないことが分かった。

それを理由に祖母の家に帰るというと今度は駅までの道を塞いできた。しかしそれでも「いやー行かないからー」となよなよ断っていると年が上の妹があきらめて「じゃあもういいよ」と言った。

私はそれでも綺麗に場を収めようと「こんど行くから」といったが妹は冷めた顔で「絶対来ないじゃん」といった。私は不意を突かれたがとっさに「お父さんのいないときに」と付け足した。

それでなんだか楽しかったはずなのに妙な虚無感を感じながら信号を渡って別れた。


私はどうすればよかったのだろう…

今回に限っては本当に答えという答えがなにも浮かんでこない。



いや、本当はわかっている…

涙が出そうだ。


あの時自分を折って場の雰囲気に押し流されて、妹たちに懐柔されなくてよかった。

よく自分に嫌なことをしたやつにも慈悲をもって許すことは美徳とされる。

だからこそ私は迷った。そこまで追い詰められているなら…と。

けどそれをやったにしてもそれはこの場に押されてやったことに過ぎない。

それが私がそれでも許そうと悟ったならそうあるべきだ。

だが私は昨日のその瞬間、うんと飲み込める自分ではなかったのだ。

確かに世界と人と自分は同じであるということを信条にしていた。

場の雰囲気もそれを望んでいた。

けどそこで自分を偽ってもうわべだけの取り繕った自分は自分ではない。

そこに世界とともにある安心などない。あるのはまたもや従属の上の虚無を感じる私と話を聞いてもらって、自分の思い道理になって満足なまわりだけだ。


私は断るべきだった。

信条である世界との合一は世界に迎合することではない。

偽りのない自分を世界に映し出すことであり、世界に自分を与えるものだ。

そうでないならほかになにも意味などもたない。

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