校舎を黒に染める

世界が見えなくなりそう。

そして自分のメンタルの弱さに愕然とする。


先ほど朝ごはんをおばあちゃんの前で食べていた。

私は朝のトーストにジャムを塗ろうとして棚の中のスプーンを取った。

そして席に戻るとおばあちゃんに棚が開けっ放しになっていると注意されてしまった。

私としてはどうでもいい細かいことは気にしないので8、9割しまっていればしまったものだと考えるしなんども使う邪魔にならない引き戸の棚は開けっ放しでもいいと思っている。


しかしそれを口に出すことはできなかった。

おばあちゃんの言うことは当たり前とか正論とかいうことだ。

それを私もわかっていたから返す言葉がなかった。


でも私はこの時、フロムの言う世界への分離を感じざる負えなかった。

まず、「私の考えていることが口にしてはいけない」ということ自体が世界に自分は理解されないという孤独を告げた。

次に自分の行っていたこと、「あそこまではいいでしょ」と当たり前になっていたことが間違っていると否定された感覚、それには不意打ちを食らわざる負えなかった。

それは以前、父に度々されていたことに近くおばあちゃんをそんなものと思いたくないからだ。


私はこんな小さいことに傷つくめんどくさい人間であるだろう。

けれどこんな私がフロムの言う世界と合一するにはどうすればいいのだろう。

自分にため込んでおくのも分離を感じる。

めんどくさいやつだと思われてももし先ほど感じたことを言えば合一になるのだろうか?

どうする…私…



おばあちゃんにあの時考えていたことを言ってきた。

そしたら「○○はそういうかんがえだったの」と笑いながら言ってくれた。

正直、おばあちゃんはこういう緊張する場面では笑ってごまかそうとする。

でもまあそのおかげで「私はよく使う引き戸の棚は閉める必要がない」と「閉めておくより開いたままのほうが効率的だ」と冗談っぽく力説することが出来た。

話した後は今すぐにでも場を終わらせたい気分だったが服がGUで買うと安いという当たり障りのない世間話をすることができた


今は複雑な気分であるがさっきよりはマシだ

なんとなく神に許しを得たような気分だ

だが欲をかくとおばあちゃんの当たり障りではない部分を知りたいのだ

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