善人でなければいけません
研究室のメンバーと話してきた。その人は一人暮らしで友達も多そうではなかったので寂しさを感じていたのだろう。研究室のパソコンの起動が遅いだとか私のやっている作業の話だとかよく話してくれた。その人が帰るのにあと10分待つというのでもっとその人が話したいと思っているだろうと「私も待ってようかな?」と言った。するとその人はその人は「私が10分待とうが待たないが自由だ」といった。私は後ろめたさを感じながら「そう」と言った。私としても社交的な人を演じなくていいので正直、安堵してしまった。
どうにも今朝読んだフロムの本の中にあった「それぞれの人は自分自身の欲望に従っていると確信させられている。近代の大量生産が商品の標準化を要求するように、社会過程は人間の標準化を要求している」と言う言葉が私を引き止める。研究室のメンバーと話しているときもチラチラと考えがよぎる。こうして話すことも私の社会への合一のためなのか?と。そう思うとこうやって話すことも社会にへの迎合だと感じ、なんだか身が入らない。「ああ」とか「うん」とか「へえ」とかそういう当たり障りのない返事しか出来なくなる。話す意味を見いだせなくなる。そんななのに社会に求められる自分を演じようとするから大変形式的で痛々しい会話になってしまったしその妥協でここまで話したんだから相手と一緒に帰らなければ行けないという圧力でそんな気は無いのに言ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます