第13話 だぁれ?
自信に満ち溢れた美貌。大輪の花を思わせる、匂い立つかのような乙女。
赤い唇を笑みの形に吊り上げて、ラファエロに向かって明るい声で言った。
「行きましょう。他からの誘いはすべて断っているの。わたくしにはあなただけよ、ラファエロ。だというのに、こんな時間まで姿をくらませていて、何をしていたのかしら? エイルがいなければあなたを見つけられないところだったわ」
豪奢なフリルとレースのふんだんに使われたドレスの裾を軽く持ち上げて、意外なほどの素早さで通路を進んでくる。
ラファエロが、アリスの前に立った。背に隠すような動きだった。
「フローラ様。ここはあなたが来る場所ではないですよ。美しい花がたくさんありますが、虫もたくさんいます。虫は苦手だったのではないですか」
「あなたがわたくしを守れば良いだけじゃない。はい、解決」
媚びのない、さっぱりとした口調。押し付けがましくもないが、人を使うことに慣れているのがよくわかる。
フローラと呼ばれたその乙女は、ラファエロの前に立つと、さっと身をかがめながらアリスをのぞいてきた。
「だぁれ?」
「薬師です。材料の採取にきていました」
アリスは咄嗟に、聞かれてもいない用件まで捏造して、はきはきと説明してしまった。材料の採取の予定などなかったので、完全なる言い訳。だが、この相手にもう一度尋ねさせる手間をかけてはいけない、という直感があったせいだ。
果たして、フローラはにこりと笑った。猫を思わせる可憐さ。腹に一物あると思わせる、油断のなさ。
「噂は聞いているわ、薬師の君。ハートフォード出身のご令嬢なんですってね。王弟であるグリムズの魔手から逃げてきたのだとか」
(詳しすぎる)
耳にした瞬間、アリスは頬を強張らせた。ただの事情通ではない。国境でラファエロを出迎えた騎士団には、箝口令が敷かれている。噂などという中途半端なものが出回る隙はないはずなのだ。少なくとも、建前の上では。
ぐるぐると返答に悩んだアリスであったが、実際には数秒もおかずに歯切れよく答えていた。
「ご令嬢、ではありません。平民身分で、ハートフォードでは市井で暮らしておりました。ご縁があって現在この王宮に置いて頂いておりますが、あくまで薬師としてです。仕事のためであって」
「良いのよ、そんなに固くならないで。ラファエロがご執心なのだと聞いているわ。浮いた噂のひとつもなかった生真面目な王子殿下が、ずいぶん気にかけていると。本人にお会いしてよくわかったわぁ。可愛いわね、あなた」
扇を出してぱらりと広げて、口元を隠しながらあくまで柔らかな口ぶりで言う。黒の瞳には、きらきらとした面白そうな光が浮かんでいた。
ラファエロが、さりげない動作でアリスを再び背に隠した。
「悪趣味です、アリスをからかうのはおやめください。フローラ様が用があるのは俺だけのはず」
「あら。つれない態度ね。同郷のよしみで気になっちゃっただけよ。わたくしの叔父上が迷惑をかけたみたいで申し訳なかったわねって」
(叔父……?)
アリスは目を瞠る。
自分から口をきいて良い相手かわからず、尋ねることまではしない。一人で、これまでの会話をざっと頭の中でさらってみてる。やがて行き着いた記憶に「あ」という形に口を開いた。
フローラ。面識はないが、
もしそうであれば、問題の人物である「グリアム王弟殿下」とは叔父と姪の関係にあたる。
(事情に詳しいのはそのせい? でもなぜ、ハートフォードの姫君がエキスシェル王宮に)
考えて、我ながらつまらないことを、とすぐに思い当たってしまった。
これ以上ないくらい釣り合う男性に向かって、晩餐会のエスコートを願い出ているのだ。つまり、この国の王子に対して。二人の距離感を思えば関係性は自ずと知れる。事情通である理由も。
公式発表がされているかまではわからないが、二人はおそらくこの王宮内において公認の関係。いわゆる「婚約者同士」に違いない。
ラファエロにかばわれている場合ではない、とアリスは正面を見たまま後退する。
「どこへいくの?」
目ざとく気づいたフローラに尋ねられる。
「まだ仕事が。殿下、どうぞ行ってください」
「アリス」
ラファエロは肩越しに振り返り、何か言いかける。その続きを聞かないように、アリスはさらに後退した。
(何も聞きたくない。べつに、言い訳をされるような間柄ではないのだし。婚約者を放り出してまで、本人の目の前で私に話しかけないで)
「ラファエロ。今日は席を外すわけにはいかないだろ。ぐずぐずしていないでさっさと行け」
それまで、フローラの背後で黙っていたエイルがついに口を出した。王子殿下に対する物言いとしてはやや問題があるが、ラファエロはそれを咎めることはない。
「せっかく時間ができたのに、少しも話すことが」
「時間、出来てなかったんじゃないか。アリスと話したければ、自分の処理能力を上げてもっと早く仕事を終わらせてから来るが良い。今日のところは、残念だったな」
取り付く島もないエイルの言い分に、ラファエロは言葉を詰まらせる。
すかさずフローラが、扇をぴしりと畳んで宣言した。
「そういうことだから、行くわよ」
「わかりました。……アリス、話はまた今度。まだまだ話すべきことがある」
すでに距離を置いていたアリスを振り返り、ラファエロが未練を振り切るように微笑んできた。その笑みを目にした瞬間、アリスはきゅっと胸が痛むのを感じた。
(行ってしまう)
故郷を出てきてから、知らないひとの間でずっと過ごしている。その中にあって、ラファエロもまた決して旧知の間柄ではないが、顔を見ればやはりほっとする。声を聞くと安心する。
もっと話したかったと、実感として惜しむ気持ちもあった。
だが、気づかなかったふりをしてアリスもまた微笑み返した。
「ご丁寧にありがとうございます。私には構わず、どうぞお急ぎください」
それ以外に、どう言えと。
ラファエロは「うん」と力強く頷いてから、フローラに向き直る。その背後に佇むエイルに向かって「俺がいない場でアリスにみだりに話しかけるな。求婚などもってのほか」と言い捨てて、歩き出した。
すれ違いざま、エイルはちらりとラファエロに視線だけを向けて、しれっと「論外。俺の求婚は殿下には関係ないので口出しはしないように」と言い放った。
「エイル」
「うるさい。いま言い争いをしている時間はない。さっさと行け」
あしらうエイルに、ラファエロは何か一言、二言告げてから立ち去る。
その背をアリスは立ち尽くして見守っていた。
完全に二人がドアを出て行ってしまってから、それまで黙っていたエイルが視線をくれた。
「晩餐会、俺も出席することになっている。エスコートする相手はいない。アリス、一緒に」
「まさかご冗談を。私、何も持っていません。晩餐会に出るような……」
ドレスも靴も。
着の身着のまま祖国から逃げてきて、今は仕事着を支給されているが、贅沢なものは何もない。
先程のフローラの装いが正装なのだとすれば、アリスが手持ちをどう組み合わせても、同じ場に出入りを許される格好にはならないのが明白。
アリスは困惑を隠さずにエイルを見つめたが、エイルはひくことなく、きっぱりと言い切った。
「君も行くんだ、アリス。心配しなくても、必要なものは俺が用立ててあるから」
今からの準備だから、時間はないけどね、と付け足しながら。
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