第12話 温室でのひととき

 ドアから廊下に出る前に、ラファエロが左右を確認する仕草をした。


(何か気になることでも?)


 まるで潜入中の隠密行動のように、不審な挙動。アリスが微かに眉をひそめて様子をうかがっていると、ラファエロはさっと振り返って、小声ながら力強く言った。


「よし、いない。行こう。少し急ぐ」

「はい」


 誰がいないのか。どこへ行くのか。気になることはあったが、急ぐと宣言された以上、余計なことは言わずにアリスはラファエロに続いて部屋を後にした。

 早足で進む広い背を追いかける。廊下を突っ切って曲がり、どんどん進む。裏庭へと通じるドアまでたどり着く。ラファエロは、衛兵に軽く挨拶して、そのまま外へと踏み出した。


 夕暮れの光の差す中、水のせせらぐ清涼感ある音が響いていた。


 石畳の細道が、灌木や花壇の間にすっと伸びている。

 道の先には噴水。彫刻の施された二段の円盤から水が噴き上げ、水盆を伝って石床に落ち、噴水を中心に四方へと穿たれた細い水路を流れていく。


 会話もないままラファエロは歩み、噴水の横を通り過ぎた。せわしない足取りのまま、さらにその奥にある夕日に染まった白亜の建物へと向かう。

 ゆるやかなカーブを描く壁面に、アーチ型の掃き出し窓が並ぶ温室。薬師の管轄で、薬草によっては夜中に開花する花を使うもの、或いは早朝に朝露と摘むことで薬効が高まるものがあるので、昼夜問わず採取や手入れでひとの出入りがある場所でもある。

 ガラス張りの入口ドアの前で、ラファエロはようやく息を吐き出した。

 肩越しに振り返り、穏やかな声で言う。


「あまり時間をとれなくて、すまない。本来は客人として遇するべきアリスに、仕事までさせてしまって。働きぶりはエイルから聞いている。強制的に休ませないと、倒れるまで働くんじゃないかと」

「そんなことは。エイル室長は大げさなんです。休みはきちんと取っています」


 アリスがきっぱりと答えると、ラファエロは目元に柔和な笑みを滲ませた。


「初めて会ったとき、アリスは夜に倒れた。直前までは普通に話していたのに、いきなり。アリスは自分の限界をわかっていない」

「そ、それは。たしかに、そういうことも、ありましたが」


 話しながらラファエロがドアを開け、二人で連れ立って温室に入った。

 高いドーム型のガラス天井も、夕焼けの色。種々の木々や花の間に整備された通路を歩き出したラファエロは、いくらも進まないうちに立ち止まった。

 辺りには誰もいない中、アリスを真摯なまなざしで見下ろして口を開く。


「改めて、最近のアリスの仕事に関しては礼を言いたい。安価な特効薬の開発というのは、我が国でも以前から力を入れていた分野だ。王宮では俺の管轄で。それが、信用していた人間の中に詐欺師が紛れ込んでいた。詐欺行為に気づいたものの取り逃がし、俺とエイルで後を追う形になった。エイルはいずれ薬師の長になる身として。俺は、王位継承にも遠い身で比較的自由に動けるという理由で。結果的に、隣国のアンブローズに詐欺師が入り込んでいるところまで突き止められた。その過程で、アリスを連れ出せたことは僥倖だったと思っている」


 真剣な調子で話し始めた内容に耳を傾け、アリスはラファエロの目を見て頷いてみせた。


「私の方こそ、危ないところを助けて頂きありがとうございました。あのとき殿下にお会いしていなければ、今頃どうなっていたことか……。そういえば、殿下、初めてお会いしたときに毒を」


 気になっていたことを口にすると、ラファエロは腕を組んで「あれは」と口の端に苦笑いを浮かべる。


「あのときは、『身分を隠して遊びに来ている』という名目であの街に滞在していた王弟殿下にお会いした後だったんだ。多少の毒には体を慣らしているから大丈夫だと、出されたお茶を口にしてしまったら、やられた。遅れて効いてきたところを見ると、宿に戻ったところで賊に襲わせるつもりだったのかも」

「子爵家の噛んでいる詐欺行為について、探りを入れたんですか」

「少しね。それであの対応だから、後ろ暗いところがあると確信したわけだが。宿に帰る前に、街で暮らしているという元子爵令嬢の工房を訪ねて、結果的に俺も命拾いをしたわけだ」


 アリスは叔父から狙われ、ラファエロはその協力者である王弟に狙われていた。蓋を開けてみれば共通の敵を相手にしていたということらしい。


「本当に、アリスに会えて良かった。アリスが加わってくれたことで見通しも明るくなってきたとエイルも言っている」

「最初の朝に言っていた『会わせたい相手』はエイル室長のことですよね。私も一緒に働くと刺激を受けることが多いです。特効薬に関しては、問題は薬草です。もっと手に入りやすい薬草で作れるようになれば、今よりもたくさん作ることはできるはずなんですが」

 

 仕事の話になったせいで、アリスはつい前のめりに熱を入れて語ってしまった。それから、はっと我に返って一歩身を引く。


「そうは言っても、私は宮廷に登用されるための試験なども受けていません。このまま薬師として働くことに関しては、周りの方の反発もあるのではないでしょうか」

「騎士団の懐き方を見てもそれはないと思うんだが……。アリスはもとを正せば、爵位を与えられるほどの貢献ができる、特殊な魔法の使い手一族の出身でもあるわけだし。エイルはなんて言っている?」

「室長は『結婚しよう』と。求婚は挨拶代わりですね。さすがにあれはどうにかならないものかと」


 生真面目に伝えると、ラファエロは「あの馬鹿」と悪態をついた。その呆れた顔のまま「他には」と促してくる。


「他に……? 室長が求婚しているのを面白がって、自分も自分もと言ってくる方が騎士団にもいますが。この国では求婚が流行りなんですか」

「流行りか。それなら俺も乗るんだが」

「求婚したい相手でも?」


 ラファエロは口を閉ざして、腕を組む。その曰く言い難い表情を見て、アリスは失言を悔いた。


(いけない。流れで聞いてしまったけど、踏み込むような話では)


 国境を越えてから、王宮までの旅の途上でも、王宮についてからも、本人と話す時間はあまりなかった。いまのところアリスに噂話を囁いてくるような相手もいない。そのせいで、ラファエロの境遇についてはよくわかっていない。だが、旅先で既婚者に間違われる程度の年齢だ。さすがに身分から考えても、婚約者くらいいるはず。

 言い過ぎた空気を、自分の責任としてどうにか変えねば。気持ちの上では焦っているアリスであったが、糸口が掴めずに芸もなく黙り込んでしまった。


 そのとき、ドアの方から話し声が聞こえてきた。

 ラファエロとアリス、同時に顔を向ける。

 ひょこっと入り込んできたのは、温室に不釣り合いなまでに高貴なドレスをまとった可憐な乙女。

 豊かな黒髪を複雑に編み込んで結い上げている。その何もかも手の込んだ姿から、かなり身分の高い姫君なのだと一目で知れた。

 続いて、その背後からドアを閉めながら、エイルが入り込んでくる。

 そちらを顧みることなく、姫君はドレスの裾をつまんで細道を突き進んできた。


「ラファエロ、探したわよ! 今晩の晩餐会はあなたにエスコートしてもらうんだから。逃げようとしても、そうはいかないわよ!」


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