第11話 少女は「ありがとう」と怒った

 彼女は最初こそ急に転生し、右も左も分からない不憫な少女に見えたが――というより実際そうであるが――たくましい一面も備えていた。


 私が親切心で言葉を教えると、彼女は即座にその中で一番便利の良い言葉をいくつか選別して、そればかりを使うようになった。


 彼女は極度の勉強嫌いだった。


 特に使うのは、日本語で言えば「ありがとう」といった、広く感謝のニュアンスを含む単語だ。


 彼女は患者であるので基本的には誰かに何かをしてもらうことが多い。

「ありがとう」ならば言い方一つで、嬉しさも申し訳なさも使い分けることが出来る。




 面白いのは、私に怒ってみせる時も「ありがとう」を連発するのだ。


 彼女は早々に、私が声色の些細な変化を汲み取って相手の意図をほとんど正確に当てられる事を見抜いた。


 彼女にしてみれば、私に怒っている事が声色から伝われば良いので、多少言葉が可笑しくても構わない訳だが、その割り切り様はいつも私の笑いを誘った。




 彼女は感情豊かに「ありがとう」を聞かせてくれたが、私が病室に居る間一言も口を開かない事もあった。


 現状に不満があれば怒ったり皮肉を言ったりする人だから、彼女が沈黙すると私は不安になる。


 彼女は寂しげに窓の外を眺め、考え事にふけった。


 この世界の景色はいつも淀んだ曇天で、朝とも昼ともつかない薄ぼんやりした明るさを保っていた。

 私は、病棟周辺の景観にこれと言って趣を感じた事はない。


 それなのに彼女は微動だにせず――躰を動かす事は難しいようだが、首の向きと視線は動かせる――窓外そうがいを見た。


 何かに思いを馳せているのだろう。

 郷愁きょうしゅうに駆られているのか。前世に心残りがあるのか。はたまた、ここでの不自由な暮らしが煩わしいのか。


 もし彼女と言葉が通じても、慰めようがない、と思った。


 転生の先には魂の無情な消失が待ち受け、一方、死の先には次なる人生への切符が用意されている世界。


 消え去っていくだけの私は、未来ある彼女に何も託すべきではない。

 私の不躾ぶしつけな慰めが彼女の足枷になってはいけない。


 こんな俺では、彼女の悲しみを取り除いてあげられない……。





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