2  彼女らについての印象

「あら、ワルター様。それとも伯爵閣下とお呼びした方がよろしいかしら?」


 先日ワルターが、父からエルダス伯爵位を引き継いだことを耳に挟んだのだろう。いたずら好きの子供のような笑みを浮かべて膝を折る幼馴染に、ワルターは苦笑を返した。


「これは、アナ嬢。それともセドナ子爵夫人とお呼びした方が?」

「やめてよ」


 最初にこの掛け合いを仕掛けてきたのはアナだったが、彼女は酷いしかめ面を寄越した。アナは翌月、秋が深まる頃に、南方に所領を持つセドナ子爵家へ後妻に入る予定だった。言わずもがなの政略結婚であったが、彼女の口がこの件について語るのを耳にしたことがなかったので、つい軽い調子で茶化してしまったのだが失敗だったようだ。


「好ましくないのか」

「当たり前でしょう。あんな辺境の地に、誰が行きたがるものですか」

「セドナ子爵ではなく、土地柄が不満だったのかい?」


 アナは肩を竦める。どちらとも取れる仕草だったが、幼馴染の懸念をわずかでも払拭してやりたくて、南方の地理的長所を記憶の本棚から引き出した。


「そう悪い場所ではないよ。オウレアスの大山脈からかなり離れているから気候は温暖で、季節を問わず過ごしやすい。葡萄が良く実るから果実酒が旨い。それに」

「ねえ」


 アナは声を割り込ませ、盛大に溜息を吐いた。赤金色の瞳を抱く目が、入念に清められた部屋の片隅に取り残された埃でも見るかのように、細められた。


「あなた、本当に一欠片も女心が分からないのね。本性も知らず、あなたの気を引こうと飾り立てる令嬢たちが哀れだわ」


 酷い言われようだったが、女心云々は薄々自覚していたので、返す言葉もない。二人も婚約者が逃げたのは己のせいばかりではないと信じているのだが、本当に一切の責がないかと問われれば、胸を張って首肯できないとは思っていた。問題は、何が問題だったのかわからない点だった。そのうちオスカーに助言でも仰いだ方が良いのかもしれない。


「まあいいわ。久しぶりの再会ですもの……」


 アナが機嫌を直しかけた時だった。


「閣下、アナお姉様」


 おずおずとした、控えめな声が割り込んだ。視線を向ければ、やや離れた場所で膝を折る若い娘。まだ成人したばかりの年頃と見えた。場慣れしていないからだろうか、顔中に緊張を張り付かせた姿であり、アナとは似ても似つかぬ立ち居振る舞いであったが、こちらを見つめる瞳の赤金色を見て、紛れもなくアナの血縁であろうと察した。


「あら、リアラ。どうかしたの」


 リアラと呼ばれた娘は、アナの声を聞いて安堵したようで、今にも泣きだしそうな顔でこちらに歩み寄った。


「お姉様。私、怖くて」

「何言っているのよ。本当にあなたは人見知りなんだから。……あら失礼。ワルター様、こちらは私の従妹のリアラよ。今年成人したばかりで、初めての豊穣祭なの」


 かわいそうに、びくりと肩を揺らしてから、リアラはぎこちない一礼を披露する。


「ウェドラー家のリアラと申します。以降お見知りおきを、閣下」


 ワルターも挨拶を返しつつ、リアラの様子をそれとなく観察する。ウェドラー伯爵家は古くから続く名家である。高貴な生まれの女性は概ね、堂々と胸を張っていて、ついでにあからさまなほどに色香を見せつけて来るものだったから、彼女の振舞いはとても新鮮に思えた。


 じっと見つめてしまったからか、リアラは頬を赤らめて、視線を己の靴先に落とす。不躾なことをしてしまったことに気づき、ワルターは軽く咳払いをした。


「ところでリアラ嬢、怖いとは? 一人が心細いのであれば、我々と一緒に」

「ご令嬢方、失礼」


 今度は有無を言わさぬ低い声が割り込む。今宵はなぜか、落ち着いて会話もできない。視線を向けずとも、声の主は明白だ。ワルターは感情を殺して、振り向いた。


「父上、いかがされましたか」


 レイザ公爵の登場に膝を折る令嬢二人に軽く頷いただけで、父は苦虫を嚙み潰したような顔で言った。


「オスカーを探しに行くぞ」


 奔放な兄がまたもや何か事件を巻き起こしたのだろうか。ワルターは内心で溜息を吐いてから、父の言葉に従うのである。



「あの不肖息子め」


 父は吐き捨てて、銀灰色の絨毯の上を大股で歩む。休憩室が並ぶ回廊。薄暗い朱色の灯りに照らされた廊下を進む。まだ宵の口。宴は中盤も迎えてはいないのだが、踊り疲れた者たちが休息のため、徐々にやって来る時刻だ。


 兄オスカーも、どさくさに紛れてどこかの令嬢の休憩室に入り込んでいるかもしれない。


「父上、むやみやたらに探しても見つかりませんよ。兄上ならきっと大丈夫です。まさか豊穣祭に不祥事など……」

「わ!」


 言いかけた言葉は、突然現れた小さな影により遮られる。続いて、脚に何かが激突をした衝撃を感じて立ち止まれば、弾き飛ばされる格好になった幼い少女が、目を丸くしてこちらを見上げていた。燭台の灯りを受けて光る少女の瞳を見て、ワルターは軽く腰を折り会釈をした。


星の姫セレイリ。これは失礼」


 ぶつかって来たのは少女の方だったが、女神の子たる星の姫セレイリには、無礼は許されない。


 一方の少女は驚きに何度か瞬きをして見せてから、別人にでもなったかのように表情を取り繕ってドレスの裾を摘まみ、貴婦人顔負けの会釈を寄越した。純朴なぎこちなさを見せたリアラとは、良くも悪くも対照的な印象であった。


「閣下。こちらこそ大変無礼をいたしました。どうかお許しくださいませ。……ヴァン、早く!」


 空恐ろしいほど大人びた笑みを見せた星の姫セレイリは、まだ十歳前後だったはず。咄嗟に言葉が出ないワルターだったが、星の姫セレイリが不意に来た道を振り向いて、子分……いや、見習い星の騎士セレスダに横柄に命じた様子があまりにも年相応だったので、何やら安心をした。


 星の姫セレイリに睨め付けられた、頼りなさそうな顔をした星の騎士セレスダは、ワルターたちにおずおずと頭を下げてから、少女と一緒に廊下を駆け抜けて行く。嵐のような子供たちだ。


 ワルターはむしろ、微笑ましさすら覚えたのだが、父はいっそう表情を険しくする。


「仲が良すぎる」

星の姫セレイリ星の騎士セレスダですか? 歴代そういうものでしょう」

「当代の星の姫セレイリは話が違う。父親は王宮に出入りする誰かだ。もし、重大な血筋の者ならば……ノーラなどと親交を深めるなど以ての外だ」


 そういえば星の騎士セレスダは、岩波戦争で家族を失った孤児だったか。この国では家なき子の姓は皆ノーラだった。


 星の姫セレイリが高貴な血筋を引いているのならば、彼女には政治的利用価値がある。父はそう言いたいのだろう。あの年端も行かない子供らが、そのような謀略に巻き込まれるのは哀れだと思ったが、国のためならばそれも致し方ないのかもしれない。しかし。

 

「父親は前任の星の騎士セレスダでは?」

「あの堅物に、そんな大それた真似ができるものか」


 前任の星の騎士セレスダハーヴェルは、幼少より努力家かつ愚直と知られていたので、確かに軽卒なことをしでかすようには見えなかった。だが、男女の間には理性が及ばぬ感情が生まれることもあるのではないだろうか。そうでなければ、オスカーが新聞にすっぱ抜かれてまで不祥事を繰り返す理由が、解せぬのだ。


 父は少年少女の後ろ姿が消えた角をひと睨みして、気が立った様子を隠そうともせずに荒く溜息を吐いた。それから横目だけでこちらを一瞥し、言った。


「お前はあちらを探せ。オスカーを見つけたら引きずってでも連れて来い」

「……承知しました」


 跡取り息子への嫌悪感を露わにする父の姿に、胸に冷たいものが満ちるが、反発をすればどうなるか、反面教師のおかげで痛いほどに理解していた。ワルターは表立って兄を援護することも出来ず、従順に頷くだけである。

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