終 ささやかな日々


『青の王子と金の姫』


 近頃流行りの絵本である。書店を営むその壮年男は、眼前の少女が絵本を真剣な面持ちで読んでいる姿を眺めた。まだ文字が満足に読める年齢ではないだろう。店主の目の前で立ち読みをする図太い神経に感服するがまあ、こんな幼子に目くじら立てても仕方ない。親が迎えに来たらきっちり代金を払ってもらおう。


 それにしてもこの絵本、大人の捻くれた目で読んでみれば、中々に物騒だ。最後は崖から飛び降りて死んで、神様に生まれ変わらせてもらった、という話なのだろうか。あるいは生き返った? どうして子供にこんな本を。


 なんでも、遥か南方の異国の逸話が元になっているとか、いないとか。確か本当は、簒奪王とほしひめ


 詳しい話は知らないが、ずっと南の山脈の向こう、ほとんど人の行き来がないほど遠くの国に、お姫様のことが好きすぎて王宮から奪って消えた簒奪王がいるらしい。あれ、そんな話だったかな。いや、王位を奪ったのだったかな。


 どちらにしても物騒だ。この国からは武力抗争などなくなって久しいが、遠くどこかの地にはまだ、争いごとが蔓延はびこっているのだろう。


「あ、いたいた。勝手にいなくなっちゃだめだって」


 二十代前半ほどだろうか。くすんだ夕焼けのような色の頭髪が特徴的な青年が、少女の腕を取った。


「おにいちゃん」


 少女が本から顔を上げたのを見て、男はおやと目を見張る。少女の瞳が黄金色に煌めいたからだ。青年とは似ていない。歳もかなり離れているようだし、血の繋がった兄妹ではなさそうだ。


「何読んでたの……って、それ」


 何やらきまり悪そうな表情になったものの、彼はそれ以上本のことには触れず、少女に言い含める。


「お父さんとお母さんが心配してるから、早く戻るよ」

「はあい」


 少女は大人しく絵本を置き、書店を出ようとする。いや待て、立ち読みは許さない。


「ちょっと君」


 男が呼び止めると、青年は少し顔を顰めた。何を言われるか分かったのだろう。それなら金を払って絵本を買っていけ。


「代金」


 手を伸ばすと、青年は不承不承と言った様子で懐から硬貨を取り出して手渡す。代金を受け取ったから絵本は持って行ってくれて良いのだが、なぜか青年はそれをしなかった。


「おい、品物は?」

 青年は肩越しに振り返った。


「その本を持って帰るのは、具合が悪いんだ」

「はあ?」


 謎めいた言葉を寄越し、青年と少女は書店を出る。男はそれを呆気に取られて見送った。


 書店の外には、少女の父親だろうか、男が佇んでいたようだ。彼は少女を愛おしそうに抱き上げて、微笑んだ。その瞳が深い藍色に光り、なんとなく、青年が言ったことの意味が分かった。


 彼が父親ならば、少女の母親はきっと黄金色の瞳をしているのだろう。絵本の中の王子様とお姫様を彷彿とさせる。親としては、娘が絵本の世界の作り話に両親の姿を重ね見るのは、どうも複雑な気分になるのだろうなと思った。


 この街はとても寒冷な気候だけれど、平和で争いごととは無縁である。もし、遥か南方で争いの渦中に身を投じた簒奪王と星の姫とやらがこの街に移り住んでいたら……それはなんて幸せなことだろう。まあ、そんなことはあり得ないだろうけど。


 店主は硬貨を手持ち無沙汰に指でこねくり回し、父子と青年の姿が街の雑踏に消えるまで、その背中を見送った。



本編 終

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