14 議場にて


 炎に焼かれる御子に、星の女神セレイアが告げた。当代の星の姫セレイリを、我に捧げよと。彼女の身は灰にはならない。それゆえ、その姿形のまま天に捧げるのだ。そうすれば彼女は人の身のまま、永遠に神に仕えるだろう。


 永遠の星の姫セレイリ。その名を戴くのであれば、神の奇跡をその身に受けた彼女以外に適任はいないだろう。誰もが同意しただろうが、あいにく彼女には世俗で行うべき使命があった。


 エレナがその神託の内容を告げた時、委細も聞かずに反対の意を示したのはもちろん、世俗の面々。聖サシャ王国の上級貴族らである。


「到底承諾などできません。殿下は岩の王サレアスの唯一の後継です」

「その件は先ほど解決したでしょう。王位は彼に譲ります」

「それは、順当ではありますが……、いやしかし」


 彼らが拒絶を示すのは道理である。辛うじて繋がった岩の王サレアスの直系が、途絶えようとしているのだから。


 アリアレッテによるとヴァンは、剣の神を守る巫女一族の策略により、その神力が最も薄れて抵抗できなくなったところで暗示をかけられ、彼女らの悲願を達成する駒となるはずだったという。


 剣の神に心酔するアリアレッテは、神を冒涜する行為に嫌悪感を抱いていたが、あいにく彼女の一族はそのような分別は持ち合わせていなかったようだ。曰く、剣の神の本質は「戦い」である。神体を失くして人の身体に宿る不完全な神を目覚めさせ、争いを巻き起こすことこそ正義である。詭弁ではなく、そう述べていたという。


 ヴァン……であった者は今。遥か北方、永久凍土の峻厳な山脈の麓。異教徒の里で、眠りの暗示にかけられている。その暗示は堅牢なものではなく、徐々に綻び、最後には彼を抑え込む力を失う。


 そうなれば彼は悪鬼のごとく、人の営みを破壊し尽くすだろう。そのような残酷なこと、ヴァンであったものにさせる訳にはいかない。


 エレナがアリアレッテの嘆願を受け入れることにしてほんの数日で、その計画はワルターの口から語られた。聞くのは先日謁見室にて顔を合わせた者ら。エレナとイアン、それにアリアレッテである。


 里は、オウレアス王国の北端に位置する。忍んで訪問するにしても、その期間中、エレナの不在を隠し通すことは不可能である。さらに万が一にでもその身に何かあれば、緊張状態の解けきらぬ隣国の土地でのこと。新たな争いの火種になりかねない。したがって、エレナはこの王宮から、周囲の賛同を得た上で、姿を消さねばならない。出来れば永遠に。


 星の姫セレイリの責務。岩の王サレアスの娘としての使命。それらを全てかなぐり捨てて、エレナはヴァンの元へ行く。ヴァンが、全てを切り捨ててエレナを救ってくれたように。この計画が承認されれば、事は円満に進むはずだ。


「神殿の皆はどう考える?」


 静かに問うワルターの言葉に、神殿の面々もまた、渋面だ。


「いえ、天災でもないのに星の姫セレイリの廃位など、慣例外でして」

「そうです。いかに女神のお言葉と言えども……」

星の女神セレイアの神託以上に、何を重んずる必要が?」


 エレナが言えば、彼らは口ごもる。そもそも「神託が下りた」ということ自体をいぶかっている節があるのだろう。そのとおり、神託など作り話である。大司教が聞けば卒倒しそうな話であるが、大勢のために平然と策を練ったワルターの胆力に感心する。


 ただし彼には岩の王サレアスとして、この地を襲うかもしれない悲劇の芽を摘み取る義務がある。一方、神の御子でありながらも女神の言葉を騙るエレナはもう、星の姫セレイリの心を失ったのか。そう問われれば胸を張って、否と述べるだろう。


 母の手記に記されたように、全てをなげうっても心のままに動くことが、女神の意志であるという確信があった。


「私はあの炎の中で、女神の御声を聞きました。それを疑うというのですか?」

「滅相もない。しかし殿下への国民感情に配慮すると……」

「そうです、この国の置かれた状況を鑑みれば」

「今、加護の象徴を失うことは、得策ではありません」

「せめて実行時期を数年、後ずれさせてはいかがか」

「それは妙案」


 国を左右する立場にある大の大人が好き勝手囁きを交わし合い、議場は混沌と化す。あまりにも情けない有様にワルターが眉を顰め、エレナが収拾のために口を半ば開いた時。ぱん、と鋭い音が議場に響く。


 誰もが口を閉ざし、音の方を見遣れば、広幅の貫頭衣を纏い細縁の眼鏡を鼻に引っ掛けた小柄な男が、机上に書類の束を叩きつけたところだった。一同の注目を集め、男は眼鏡を押し上げる。


「煩いですね。星の女神セレイアの神託を軽んじるのですか。……神罰が下りますよ」


 眼鏡のレンズ越しに向けられた冷ややかな視線に、反論は出ない。岩の宮としても星の宮としても、本当に女神の神託が下りたのであれば、従うがなのである。聖職者内に正論を述べる者がいるのなら、それに反論をする道理はないのであった。


 彼は眼鏡越しにこちらに視線を注ぐ。懐かしい眼差しだ。


「ワーレン司教」


 彼が招かれていることは知っていたが、広い議場内のこと。どの辺りに座しているのか、彼が机を叩きつけるまで判然としなかった。


 一同の視線は、ワーレン司教のそれを辿り、エレナとワルターに注がれる。そして半円形の議場中央で口を閉ざしたままの大司教へと向かう。白髪の大司教は肘を突き左拳を右手で包むようにし、その上に顎を乗せて周囲を見回す。彼が発した本議会最初の言葉が、結論を方向づけた。


「我々は非力な人の子。星の女神セレイアが求めるのであれば、それに異を唱えるなどもっての他である」


 議場が静まった。この機を逃すワルターではない。


「猊下方のお言葉はごもっとも。それに、最終決定権は私と彼女の手にある。皆の考えは良く分かった。結論は後日伝えよう」


 そう、星の宮を管理するのは岩の王サレアスである。今のワルターには、廷臣のみならず、その気になれば大司教ですら従わせることができるだけの権力がある。それをせず形ばかりの議会を開くのは、もはや慣習だ。


 エレナから継承権を譲り受けることが明言されたワルター。次期岩の王サレアスの言葉に反駁はんばくする者はいなかった。

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