10 顛末と安堵


 奇跡の日からすでに、丸々ふた月が過ぎようとしている。あの日の出来事についてヴァンと共謀していたワルターは、すぐさま事前に練っていた計略どおり、策を進めた。


 まずは大々的にエレナに起こった奇跡を公表し、彼が嫌悪していた大衆新聞社まで利用して、北方オウレアス王国まで情報を広める。


 それと時を同じくして、処刑場で炎に焼かれても傷一つなく生還した王太女を見た民衆らは、口々にその噂を知人に広め、それは瞬く間に国中の民が知るところとなった。


 エレナの神性は周知のこととなり、彼女の命はひとまず保証されることになる。


 その後は国内の反乱分子のあぶり出しと処罰である。暫定波の王オウレスであったヴァンと、岩の王サレアス代理のワルターが秘密裏に交わしていた密約により、この度の動乱を唆した者らには、オウレアス王国籍を持つ者は永久国外追放を、聖サシャ王国籍を持つ者の処遇は国内法に基づく厳正な裁きを、と定められていた。


 ワルターとしては、リュアンとイッダという諸悪の根源を生きて国外に出すことを危ぶみはしたが、世論が神の奇跡に湧く中で、その加護を受ける聖サシャ王国に仇なすことを謀る者がどれほどの数いるだろうかと熟思し、脅威にはならぬとの判断の上、渋々ながら受け入れたのである。


 しかし、そのような配慮を受け入れなかったのは当のリュアンであった。あの忠実な騎士は、神官王レイヴェンジークに顔向けできないと思い罪の意識に苛まれたのか、それとも百日王アヴィンの後を追ったのか、国外追放の前日に、獄中で首を括って自害をしていた。この件に関し、例の新聞社が岩の宮の謀略によるものだと非難をする程度には、世間を騒がせた。


 アリアがイッダを連れて北へ戻る際、簒奪王ヴァンにより幽閉されていた神官王レイヴェンジーク宛てに、親書を持たせた。暫しの停戦を正式に求める内容だ。


 両国間には、岩の王サレアス暗殺の嫌疑や、サシャの捕虜による百日王殺害の疑惑が横たわっていたが、王不在となったオウレアス国内でも内乱の向きがあり、両国とも、内政に注力するのが正しい時期と思われたのだ。軟禁を解かれた神官王はそれを認め、使臣に同意の親書を持たせた。


 さて、神官王は晴れて波の王オウレスに復位したのであったが、これには何の混乱もなかった。なぜならば、王位を争うはずであった簒奪王が、忽然と姿を消してしまったからである。


 岩の宮としても、突然のことに動揺を隠せない。あの奇跡の日、イアンがヴァンに頼まれた物を手にして戻ると、控室にはその姿はなく、ただ甘い芳香が室内に満ちていただけだった。報せを受けて現場にやって来たアリアがその香りを嗅ぎ、柳眉を顰めてなにやら思案をしていたが、当時はそれを追求する暇もない。


 簒奪王の失踪はかえって神官王の利に働くかと思いきや、当の王は王位を甥に譲る考えだったようで、復位後もその消息を追っているらしい。


 岩の王サレアスは幾度も断絶し、その系譜は神話の時代から繋がってはいない。対して建国から年月の浅いオウレアス王国は、王家の正当性の担保、つまり波の御子オウレンの直系かつ加護を持つ王が玉座に座ることを熱望しているのだと聞く。


 サシャの民には理解し難いが神官王は、秩序を乱し、異母兄を殺害した簒奪王こそを、正統な後継者として認識しているらしかった。ただしそんなことは、岩の宮の面々にとってはどちらでも良い。


 この日、岩の宮は安堵と歓喜で騒然としていた。


 処刑場での奇跡の直後、ワルターの腕の中で再び意識を失ったエレナは、深い眠りについたまま目を覚まさなかった。そんな彼女がやっと今日、瞼を上げたのである。

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