7 夢か現か③
「あれが新しい
エレナは群衆の中にいた。新しい
そう、確か先代の
その職位を受け継ぐ姫は、先代が女神の御許に召された時期に生を受けた、黄金色の瞳の女児の中から選定される。エレナも女神の加護の印たる黄金色の瞳を持ってはいたが、先代の選定の際に選ばれることはなかった。
ただし、何かが違えば、畏れ多くもエレナが
純白に映える金糸を用い、精緻な刺繍が施された絹に包まれる
その
民衆は皆、
王宮の奥、星の宮に住まう彼女らのことは、何らかの祭典でもなければ目にする機会はない。とはいえ、定期的に行われる祭祀や、それこそ新聞の挿絵などで、彼女の姿は見たことがあるはずなのだが。
不意に
見かねたのか
だがエレナは、
きっと、女神に捧げられた
その炎に包まれるのは、とても苦しい。思い出しただけでも身体が震えるほどの苦痛。今でも鮮明に蘇る。
……蘇る? なぜそんなことを知っているのだろうか。
「私、どうして……」
両手に目を落とす。途端にそれが醜く焼け爛れて見えて、声を上げて目を背ける。隣にいた少年が、怪訝そうにこちらを一瞥する。エレナは震える身体を己の腕で抱き締めた。掴んだ二の腕の肉が、溶けていくような感覚。見下ろせば、足に靴はなく、炎の舌が爪先を焼き尽くそうとしている……。
「や……」
『おい、しっかりせい。戻って来るのだ』
不意に、何かが弾けるような音が響く。エレナは、絹糸の束のような物で形作られた、淡く発光する長い道筋を光の速さで駆け抜けた。その刹那、何十何百もの寸劇を観たような、そんな心地になった。
もう一度、人生を辿り直したかのような錯覚すら覚えた。物語の始まりはあの日。地下水道脇の秘密基地で。紡がれた運命が、この道へと繋がった最初の日。
だが、それがただの走馬灯ではない証拠に、全ての寸劇は矛盾を孕み、過去も未来も混濁していた。
不意に視界が開ける。そこは、広大な緑の平原だった。足首ほどの長さの草が微風に揺れ、優しく肌を撫でる。天を仰げば、淡い空色に白の塗料を散らしたように雲が浮かんでいる。エレナの記憶のどこにもない、静かな幸福を感じるような景色。
「やっと掴めた。ふむ、運命の糸とは、複雑なものよ」
古風な口調は、女性のものだった。声の方を見遣り、エレナは言葉を失う。そこにいたのは、白金の艶やかな長髪を足首まで垂らし、陽光のごとく強い光を放つ、黄金の瞳を宿した女だった。
エレナが言葉を失ったのは、その女が神々しいほどに美しいからでも、微光を発しているように見えるからでも、あろうことかその足が地についていないからでもない。エレナにはわかったのだ。彼女は、神聖なる存在。
「
呟き、無意識に膝を突く。そうさせるだけの神気が、眼前の女性にはあった。女神はその端正な顔を惜しげもなく歪める。
「そう改まったことはするな。早う立て」
「しかし」
「良いと言っておる。ふむ、だから人の子は苦手なんじゃ」
本当にあの神聖な
「不思議そうな顔をしているな。何か質問は?」
「……あなたは、
「先ほど自分でそう言っていたではないか」
「はい、ですが。まさかお姿を……」
「妾とて母なる大神が紡いだ存在。姿を持つのが動物だけだと思うなど、とんだ傲慢。それに、
「では私は、何者なのでしょうか」
女神は眉を上げる。それから唐突に指をまさぐり、虚空で何かを手繰り寄せるような仕草をした。
「間違えたかの。いや、合ってる……これは一体」
「運命が混在したのでしょう。あなたは秩序を好むのに、なぜ糸すら上手く紡げないのですか」
不意に清浄な印象の声が割り込む。エレナは声の出どころを探して首を巡らせるが、地平の果てまで緑が揺れるだけ。困惑した人間の様子が滑稽だったのだろうか、
「人の子には大神の姿は把握できぬか」
「大神!」
星、波、岩の三神を生み出した、世界の始祖とも言われる、偉大な全知全能の神。そんな御方の声を耳にするだなんて、これは夢だろうか。いや、夢だとする以外に、この状況を受け入れる方法はないと思えた。大神と
「普通は人の子に干渉することはないのですが。あなたとあなたの母には、重大な使命を課しましたから、こうして言葉を交わすことを許しましょう」
「お母さんを、ご存じなのですか」
「ええ。あの子には
「それは、どういう……」
思考が追い付かず訊くが、どこに向けて問えば良いのか分からない。だが、視線を向ける場所のことを案じる心配はなかった。話を遮るように、
誘導されて振り返れば、そこには灼熱の炎があった。
「あれは……」
「人の子とは何と野蛮なことよ。こんな悪行、妾の名の下に行われているとは」
「悪行だなんて!
「だから不要だと言っておるのだ! わからぬ奴め。母親はもう少し物分かりがよかったぞ」
エレナは口を閉ざす。
大人しくなった人間を冷たく見下ろして、女神は言う。
「言うても栓無きことか。まあ良い。お前の運命は、あそこ。あの劫火の中に戻るのだ」
「嫌です。もう、焼かれるのは」
「だがあれがお前の帰るべき場所」
「他の場所に行きたい。お願いです」
この段になれば、先ほどまで見ていた混沌とした夢の世界は、己の「あったかもしれない運命の一部」なのだと、本能的な部分で理解をしていた。それを神々は、糸と表現したのだ。それならば、どこか違う場所に、繋ぎ直してもらえないものだろうか。しかし神は非情である。
「できぬ。お前にはあそこで、やるべきことがある」
「戻ってもほんの少しの時間で死んでしまいます。やるべきことなんて」
「心配には及ばぬ。お前の使命はやり遂げることができる。そういう運命に紡いでいるからの。さあ、我が御子よ」
「もう一度、生の苦行の中へ」
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