2 違和感①


 王宮内は一触即発の緊迫した雰囲気ながら、両派閥に動きはない。暫定波の王サレアスが滞在を始めてからはさらに、両陣営共に軽々しい行動ができなくなっていた。


 岩の宮の廷臣は王太女を実質上の人質として取られていたし、波の王オウレスの忠臣は、彼らの主君の勅命なくして、思惑のままには動かない。


 簒奪王はこの王宮に必要以上の混沌をもたらす意図はないようで、一切何の進展もないまま時だけが過ぎ、その間、豪雨と日照りが交互に訪れた。


 人々は異常気象を星の女神セレイアの怒りだと噂したが、その解釈は二分されている。


 すなわち、星の姫セレイリを囚人のごとく捕えていることに対する怒りであると見る向きと、星の姫セレイリが国家間の諍いの原因を作り女神の秩序を破壊したことに対する怒りであると見る向きだ。


 こればかりは誰にも分らぬし、そもそも女神の怒りなのだというのも、非力な人の子が述べたこと。真実は不明とはいえ、昨年から続く異常気象と岩波戦争の真実に対する全責任が、星の姫セレイリの肩にのし掛かるのは必然だった。


 聖都では次第に、星の姫セレイリを女神に捧げよとの論調が強まる。対して、岩の王サレアスの直系が途絶えることへの反発もあったが、そもそも彼女が岩の王サレアスの娘である明確な証拠はなく、それであれば親戚筋の家柄であるワルターが、王配ではなく岩の王サレアスとして玉座を継ぐべしとの主張も声高だ。


 だが、簒奪王がそれを認めるかと聞かれれば、否であろう。彼は仲間を欺いた。その動機は星の姫セレイリを守ることなのだとアヴィンからは聞いていた。だから、を耳にした時、イッダは驚愕をした。


「は……?」


 思わず間抜けな声が漏れ、開いた口が塞がらない。眼球が眼窩から溢れ落ちるのではないかというほどに目を見開き、眼前に彫像のように佇む長身の女の顔を見上げた。


 顔の筋肉が動かないのかと心配になるほどの無表情を眺めれば、すでに懐かしさが込み上げる。しかし今はそのような郷愁を覚える暇もなく、ただただ言葉を失う。女……アリアが場違いな心配をする。


「は……? 歯痛ですか」

「何言ってんの」


 間の抜けた問いかけにやっと言葉を取り戻す。イッダは、頭の中で行き場をなくしてわだかまっていたものをやっと口から発した。


「いや、おかしいだろ。スヴァンは昔の主人のために俺らを裏切ったんじゃないか。それなのに王女を焚刑……生きたまま焼くだなんて。そんなものに本当に判子ハンコ押したのかよ。アリア、見たの」

「間違いなく」

「じゃあ何がしたくてあいつはアヴィンを殺したんだ」

「私にもわかりません」

「そもそも」


 イッダは一歩間合いを詰めて、アリアの紫紺を帯びる黒い瞳を睨んだ。


「そもそもアリアも変だ! アヴィンが殺されたのに、なんでスヴァンに復讐しないんだよ。仲良く一緒にサシャまでやって来てさ」

「捕虜の返還に付き添う必要がありましたし、何より彼の中には主神がいます」

「だから勝ち目がないってこと?」


 しかしアリアは首を横に振る。なぜイッダが怒りをあらわにしているのか、理解しかねるというような表情だ。


「というより、私の役目は主神に仕えることですから」

「でも。アリアだってアヴィンのこと、好きだっただろ」

「好き?」

「そうだよ。子供の頃からずっと一緒にいたんだろ。俺だって……いけ好かないところはあったけど、あいつは嫌いじゃなかったのに」


 アリアの顔にやっと表情らしいものが浮かんだ。小首を傾げながら、眉間に皺を寄せて何やら思案しているようだ。


 今日は珍しく静かな陽気である。遠くで羽を鳴らす蝉の音が、何度か同じ旋律を繰り返すのを聞くほどの時間黙り込んでから、彼女は口を開く。


「彼とは男女の仲ではありましたが……好きかどうかなど、考えたことはありませんでした」

「だ、男女って」


 思わず赤面するうぶなイッダを気にも留めず、アリアは顎に手を当てて考え込む。そのまま本当に彫像にでもなりそうだったので、イッダは悪態を吐いた。


「あーもう良いよ。ったく、どっちが大人なんだか」


 どちらにせよ、ここでアリアと話していても埒が明かない。歩き始めたイッダの背に、アリアが声をかける。


「どちらへ?」

「決まってるだろ、スヴァンのところ」


 彼とは、多忙にかこつけてほとんど顔を合わせていない。何となく面と向かうのに気が引けて訪ねることもしなかったが、もうそろそろ限界だ。


 別に頼んではいないのだが、アリアは影のように後ろをついて来た。

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