19 王立病院にて
※
焼けた左半身が悲鳴を上げるような痛みにも、とうに慣れた。火傷のため、異常なほどに水を飲まされる時期も過ぎ、熱煙に視力を奪われた左目が徐々に鮮明な光を映すようになる頃には、あの襲撃から半月以上経っていた。
病室は取り寄せた新聞や書類の山に埋もれ、さながら乱雑に扱われた書斎のよう。ワルターは苛立ちを抑えつつ、悶々と寝台に横になり過ごしていた。
あの日、父と兄の住まうレイザ公爵邸を出た後、何が起こったのかもわからぬ馬車の中で、街中に爆音が轟くのを聞いた。その鼓膜を突き破るような音が、己のすぐ近くで発せられたものであると気づくのと、無様にも意識を失うのはほとんど同時で、気づけばこの王立病院の一室で医師の治療を受けていた。
幸い火傷は比較的軽微で、手も脚も潰れてはいない。医師の尽力の甲斐もあり、こうして新聞を眺めて悪態を吐けるほどに快復していた。
「……やはり、営業取り消しにするべきか」
見舞いの菓子を口に放り込み、一人ぼやいてみてから大衆新聞を投げやって、もう少しまともな方の新聞を手にするのだが、生憎どちらも似たような記事を一面にしていた。
十二年前の岩波戦争に隠された真実が明るみに出て、世間の
幼少の頃より父に連れられて王宮に出入りしていたので、彼女の姿は幾度も目にしてきた。産みの母親の生き写しのような、生粋の
『己を滅し、国を保て』。レイザ公爵家の家訓である。その教えに兄よりもずっと忠実だったワルターは、父の言葉通りエレナの伴侶となることに、何の反発も抱かなかった。国を保つためには、それが最善だと思ったから。
だか、それが決まった時、哀れなあの子を生涯かけて慈しんでやりたいと思った気持ちは本物だった。上手く歯車は噛み合わなかったし、エレナが求めたのはワルターではなかったのだろうが、彼女が一人、牢獄のような塔の上で、命が尽きるのを待っていることを思えば、焦燥は募る。
ワルターがエレナとの面会はおろか、本来王家の一員であれば世話になるはずの医療院にすら転院できないのは、王宮を牛耳っているのが、敬虔な星の民と称す、過激派であったからだ。
その発足はエレナが王女になった時期に遡る。幾度も首都で暴動や小規模な爆発があったが、オウレアスとの戦いが始まってからは、なりを潜めたとばかり思っていたのだが。
まさか盤石な黒岩騎士の一部が買収されていたことなど、情けなくも見抜けなかった。それほどに、岩波戦争時に隠蔽された毒殺未遂の主犯に係る事実は、人々の心を揺るがした。無論、ワルターも動揺しなかった訳ではない。
国営の週刊誌、聖サシャ週報を手持ち無沙汰に捲り、嘆息する。『百日王が暗殺され、王位に就くのは異母弟の簒奪王、もしくは神官王が復位か』。
話題はオウレアス王家のいざこざばかりである。王権と親密である国営紙は、未だ
一方、例の大衆新聞はえげつない。『元
父王を処刑せしめた戦いを引き起こした
一人悶々と思考を巡らせているよりも、当事者を問い詰める方が話は早い。だからこの日、彼が忍びでやって来ると知った時に、気乗りはしないものの、面会を承諾したのであった。
現れたのは、簒奪王……かつてはヴァンと呼ばれていた
「……会わせろと言ったのは君ではなく、妻なのだが」
意地悪く言ってやるが、青年は表情を変えない。
「
なるほど、彼は今話題の簒奪王とサシャの次期王配としてではなく、最後に言葉を交わした頃のまま、
ワルターは小さく笑う。彼がエレナに特別な思いを寄せていることにはずっと気づいていた。我ながら性格が悪いと思うが、その前提の上で高みから見下ろしてやるくらい、この火傷と一連の騒動の代償として許されて然るべきだと思ったのだが。
「まあ良い、
「ええ、そうでしょうね。別にあてにはしていません」
皮肉を込めて答えた眼前の青年を、意外な面持ちで見遣る。以前は、軟弱さすら感じるほどに柔和な印象だったが、返ってきた声音には幾らか棘が含まれていた。
「僕があなたにお会いしたかったのは、全てをお伝えしておくためです。……不本意ですが、あなたが一番ましだと思えますから」
深淵のように深い色の瞳に吸い込まれる錯覚を覚える。ワルターは眼前の青年が語る言葉に、耳を傾けた。
第五幕 終
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