12 シュエルドラッド会合③

 もとより厳格な印象の岩の王サレアスの表情が、更に険しくなる。眼前の紙の束をただ、静かに見下ろして、呟いた。


「なぜだ」


 微かな声量だったので、聞こえなかったのだろう。レイヴェンジークが問いかけるような視線を向ければ、岩の王サレアスはいっそう強い視線を返した。


「なぜ、このようなことを。そなたに王位をもたらしたのは、サシャだ」

「ええ、そうですね」


 レイヴェンジークはあっけらかんと言う。


「ですが、私が望んだ訳ではありません」

「何?」

「私は王位を欲しがる振りをしただけだと言っているのです。良くお考え下さいよ。長年神職に就き、波の神オウレアの敬虔なるしもべである私が、なぜ波の加護も持たぬのに王位を望みましょうか」

「しかし、この取引を持ち掛けたのは」

「私ですよ」


 岩の王サレアスが口を閉ざす。レイヴェンジークの頬に、狂ったような笑みが浮かび始めるのを、ヴァンはおぞましい物を見る気分で眺めた。クロが言うことには、己の実父……眼前の神官王の弟も、我が子を殺めるような狂人じみた面を持ち合わせていたという。


 片鱗を、この男に重ね見る。ヴァンにも彼らと同じ血が流れているとは、承服しかねる事実だ。それでも、彼らの狂気をどこか根源的な部分で理解できてしまうヴァンはもうすでに、醜い化け物なのだろう。


「まだわかりませんか。混乱しているのか、それとも理解能力がないのか。まあどちらでも結構。全ては弟と甥と、共謀した結果だということです。王太子を秘密裏に逃がして血を繋ぎ、私が玉座を継ぎ王位を繋ぐ。時が満ちれば、反旗を翻す。その時が今だということ」


 急速に、全ての疑惑の辻褄が合った。敗戦時、処刑されるはずだったアヴィンがいとも簡単に逃げ出せたこと。王太子イーサン星の姫エレナの暗殺未遂を犯し、反体制派への取り締まりがきつくなってもなお、本拠地が発見されることがなかったこと。


 思い起こせば、アヴィンたちは常に危機感が薄く、アリアに至っては単身首都に入り浸っていた。波の王オウレスの膝元にだ。


 さらに、あのアリアの里での一件。紫波騎士の助力に関しては、ずっと胸につかえていた。そもそも紫波騎士団は波の王オウレスの配下である。全員が事情を知っていたとは思わぬが、騎士団はつまり、王と通じたアヴィンをも守護対象としていたということか。


 ――嘘だろ、とんだ茶番だぜ。全部、やらせだったのか? 


 クロの力を得て、サシャを武力面でも不利に追い詰めて。波の王オウレス譲位に係る籠城も、今思えば呆気ないものであった。それすらも、岩の王サレアスにレイヴェンジークとアヴィンの内通を気取られずことを進めるための演技であったのだろう。


 岩の王サレアスは、終戦当時の己の慢心を呪っただろう。鋭い眼光で、かつて共謀した男を睨んでいる。


 レイヴェンジークの様子は、たがが外れたように徐々に狂いゆく。何がそれほど面白いのか、ひっきりなしに肩を震わせて笑いを堪えている。彼は書簡を束ねた紐を引きちぎるような勢いで解いた。


 困惑気にしているもう一人の甥に気づいたのだろう、彼はその一つをヴァンに投げて寄越した。文面を素早く視線でなぞる。


『岩波戦争の原因』『王位と引き換えに、全ての隠蔽を』『毒を盛ったのは誰か』『首謀者は聖サシャ王国民』『北方による毒殺未遂は誤報』『濡れ衣』『誤報から始まる戦いの補償に波の王オウレスの存続を』


 ――おいおい、こりゃまた……。


 クロが言葉を濁すほど、赤裸々なやり取りの断片が目に飛び込む。ヴァンは思わず岩の王サレアスに視線を向けた。これは、どういうことか。王はかつての臣下の驚愕の視線を受けても、口を開かなかった。代わりに答えたのは狂い始めた伯父ではなく、未だ冷静を保つ兄だった。


「十二年前、星の姫セレイリ毒殺未遂により始まった岩波戦争。当初主犯はオウレアスの過激派とされたが、実際はサシャの廷臣の仕業だった。

なぜ廷臣が星の姫セレイリを害したか? それは彼女が岩の王サレアスの血を引くと知り、敬虔な星の民であるその廷臣には到底受け入れることができなかったからだ。

終戦間際、真の首謀者が判明した時には、もう後戻りできない惨状だった。だから岩の王サレアスはこのまま戦いを続け、伯父上と共謀して真実を隠し通そうとした。我々はそれを逆手に取った」


 アヴィンの、影を帯びる藍色の瞳が岩の王サレアスを冷酷に見据える。


「正直、昨年イーサン王太子が逝去した際、第二次岩波戦争が起こらないものかと誰もが気を揉んだだろう。それが起こらなかったのも、一度目の教訓があったからでしょうね、岩の王サレアス。此度の件、反体制派の仕業と調べがつきながらも、万が一前回のように誤報だったら。……そうでなくとも、取り締まりに乗り気でない波の王オウレスを刺激し、十二年前の秘密を暴露されても困る。そういったところでしょうか」


 岩の王サレアスは口を閉ざしたままだ。ヴァンは、怒りからだろうか鼓動が速まり、その音が耳に煩く響くのを聞いた。兄に、低く問う。


「なぜ事前に知らせてくれなかったんだ」

「これを公表すると言えば、そなたは大人しく我々に従わなかっただろう」


 言うまでもない。このようなもの、民の耳に入れる訳にはいかない。知られれば、星の姫セレイリの血筋が、その存在が、あの戦争を引き起こし罪のない北方を蹂躙せしめたのだと、憎悪の対象となるだろう。


 仲間の仮面をつけて居りながら、実際のところは信用に値しない者であるとみなされていたことに、怒りを覚える。しかし隙あれば裏をかこうとし、今この瞬間ですら腹に裏切りの謀略を抱えたヴァンには、アヴィンばかりを責める資格はない。だが、岩の王サレアスは。あの男のことは、嫌悪しても筋違いではないと思えた。


「さて、岩の王サレアス


 アヴィンが口の端を歪めて呼びかける。


「これを我々の手で公表しましょうか。それとも、取引を?」


 岩の王サレアスが机上で、微かに拳を握った。アヴィンはそれを一瞥し、続ける。


「真実を民の耳に晒すことと、ささやかな取り決めに判を押すこと……どちらが益となるか。あなたならば答えはとうに理解されているでしょう」


 返答はない。たっぷり三呼吸分は待ったところで、積年の恨みを放出してだいぶ冷静を取り戻したらしいレイヴェンジークが、腕を組み硬質な背もたれに深く身体を預けて口を開いた。


「一晩、猶予を差し上げましょう。いかなる賢君とはいえ、このような大きな決断、即断即決という訳にもいかないでしょうから」


 侮蔑的な物言いではあったが、岩の王サレアスに配慮した提案である。しかしそれにしては、神官王の表情は不穏に見えた。岩の王サレアスの手駒が不利であることは、誰の目にも明らかだった。


 ――ヴァン。どうする。本当にアヴィンを……。


 外に聞こえる訳でもないのに、クロが潜めた声音で囁く。どうもこうもない。を待ちわびていたのだ。ここ……捕虜が捕らえられたシュエルドラッド要塞にアヴィンがやって来る日を。


 ヴァンは答えず、ただ眼前で繰り広げられる駆け引きを眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る