10 シュエルドラッド会合①


 会合は、国境に面した小高い丘の上の要塞で行われた。アーヴェ川の水流が滞る辺りに、川を見下ろすようにオウレアス王国側に築かれたそれは、シュエルドラッド要塞と呼ばれている。


 国が分かたれるきっかけとなったオウレア紛争時に北方を守護した堅牢な砦で、長い城壁が川に寄り添う。鳥瞰すれば、灰色の大蛇が城を守るように見えることだろう。牢獄を兼ねるこの場所には今、イアンら捕虜が幽閉されている。


 岩の王サレアス一行は、波の王オウレスが指定した期日間際に現れた。会合には応じるとヴァンに明言した王である。口約束とはいえ、彼が発言を撤回するとは思えなかったものの、期日が迫る毎に、アヴィンは焦燥を募らせていたようだ。


 要塞の広間に長机を配置し、いささか無骨に過ぎる座り心地の椅子を並べる。長年、地下の土壁に取り囲まれて過ごしたアヴィンにとっては気にするに及ばないだろうが、常日頃、上質な布地に腰掛けているだろう岩の王サレアスは、腰が落ち着くまで何度か座り直していたようだ。そしてこの場にもう一人。ヴァンとしては想定外の顔がある。


 さっぱりとした細面の、水色の目をした男。ヴァンとアヴィンの伯父に当たる、前王である。彼はその個人名を、レイヴェンジークといい、退位後は神官王とも呼ばれていた。


 アヴィンと対立をし、岩の王サレアスくみしていたレイヴェンジーク。すでに表舞台から退き、神殿に戻り隠居の準備をしていたと聞く彼が、なぜ今更この場所にいるのだろう。疑問を持ったのはヴァンだけではなく、岩の王サレアスも同様だったようだ。


 その眼光は、研ぎ澄まされた剣のように鋭く、前王に向けられている。おかげでヴァンに向けられた視線がほんの一瞬だったのは助かった。


「陛下、ご無沙汰しております」


 視線を受け、小さく会釈をしたレイヴェンジークだが、岩の王サレアスが口を開く前に、アヴィンが手を叩いて注意を集めた。


岩の王サレアス。よくぞこのような遠方までお越しくださいました」


 笑みを浮かべた口元とは対照的に、その暗い目は弧を描かない。無理もない。この十二年間アヴィンは、祖国を一度滅ぼし、家族を処刑した眼前の岩の王サレアスへの憎しみを頼りに生きて来たのだ。王太子であった彼が、薄暗く砂埃の舞う地下での暮らしを受け入れ、人生を最も謳歌すべき年の頃を隠者として過ごした。そして今、岩の王サレアスと南方の敵国の運命全てが彼の手中にある。


「弟が、随分と世話になったようだ」

「北の縁者と知っていれば、とうに殺していた」


 じろりと睨みつけられた。身じろぎ一つしてないにもかかわらず、矛先がこちらに向けられたことにうんざりとするが、幸い岩の王サレアスも呑気ではない。最大の敵が誰であるのか見極めようと、彼は早々に口を閉ざした。


 まさかヴァンのことなど、ほんの爪先ほども恐れてはいないだろう。やはり彼らが言うところの偽王……アヴィンを最大の敵と見るか。それとも、平然と席に着く神官王こそが強敵か。


 二人はほんの数か月までは親族でありながらも敵であったはず。しかし今、その間に流れる空気に剣呑さはない。譲位から今日までの間、彼ら伯父と甥の間に何があったのか、ヴァンはほとんど知らない。大事なところは体よく追い払われて、つい先日まで前線にいたのだから。


「まあそうおっしゃらず。会議は和やかな方が議論も捗るものです。まずは何から協議すべきか。合意が迅速に得られそうなのは、国境の町への賠償問題でしょうか」

「二国間の条例に基づき、規定額を支払おう。しかしこちらも人的犠牲を払ったことは考慮いただく」


 アヴィンがやや眉を上げるが、岩の王サレアスは表情を変えず、さも当然とばかりに主張する。


「思い違いをしないでいただきたいが、あの国境での戦いにおいて、勝敗は決していない。我が国は、そなたらの提案に応じ、対等な立場で和平協定を結びに来ただけだ」

「対等、か。……まあ良いでしょう。ではそれを条文に」


 青い目の魔人のせいで睨み合い以上の戦いはほとんど発生せず、一般人への人的被害はなかったが、ここでいう賠償とは、国境の民の経済活動への補償問題が焦点となっている。ヴァンがシャーラエルダ近郊で多数の施錠された小屋を見たように、生業なりわいを休止せざるを得ない民は多くいた。


 それにしても、アヴィンの余裕に満ちた振舞いは、何を根拠に生まれるのだろうか。確かに波の王オウレスは捕虜を得ているが、岩の王サレアスには、国益のために彼らの命を切り捨てる選択肢もあるはずだが。


「それでは次に、我が国の独立問題はいかようにお考えか、岩の王サレアス


 アヴィンの言葉に、岩の王サレアスは僅かに顔を顰める。


「属国となり、恩恵も与えたはずだろう」

「恩恵?」


「入国税と輸出入税の減税、移住要件の緩和。この十年ほどで、両国間の経済利益は大いに向上したはず」

「ああ、我が国には農地が少ないですからね。南部からの農産物の流入が止まるのは死活問題だ。これまではそれを弱みに取られ、関税面で不利益に甘んじていたものだが」


「捕虜の返還と引き換えに、食料にかかる関税を品目ごとに見直すため、協議に応じよう」

「我々の要求を満たすほどの譲歩をいただけそうですか?」

「委細は後日、両国の宰相同士で議論させるのが良い。結論を急げば、浅薄な取り決めしか生まれぬ」

「此度は宰相殿はいらしていないのですね」

「必要ない。すでに本国で彼らの考えは聞いた」


 国家元首同士の会合として呼び出されたとはいえ、このような場にほとんど単身に近い形でやって来た岩の王サレアスには、皆驚愕していた。


 無論、警護のための黒岩騎士を引き連れての来訪ではあったが、随行させる文官は書記官くらいのもので、会期中、ほとんど全ての判断は岩の王サレアスが行うのだろう。


 それはおそらく、国を空にしないように、との配慮だった。とすれば、彼はこの会合に命の危険すら感じつつも参加しているということだろうか。


 岩の王サレアスの顔には、怯えも不安もない。だが、彼が盤石な王と呼ばれる所以ゆえんを思えば、その表情や仕草からは、彼の本意は見えてこなかった。

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