3 その理由は
気づけば、再び庭園に出ていた。無理もない。岩の宮を出て向かう場所と言えば、星の宮か庭園くらいのものだ。時折、騎士団に行くことはあったが、ヴァンもイアンもいなくなってしまってからは、訪問する理由もなかった。
騒めく心を落ち着かせようと、花々の小道を進む。若草色のドレスを纏っていたため、低木の間に入ってしまえば周囲と同化するような心持ちで、いっそこのまま草木になってしまえば、こんな訳のわからない感情を抱くこともないのにと、考えても仕方のないことばかりが浮かんでは消える。
胸が抉られるように息苦しいのに、涙は出ない。それならばこの気持ちは悲しみではなく怒りかと問われれば、それも違う気がした。
自分一人でこの感情を整理することなどできなかった。にもかわらず、エレナには今、率直に意見をくれる友人がいない。
メリッサも侍女たちもエレナを大切に思ってくれるし、一人の人間として接してくれる。それでも結局は、彼らにとってのエレナは
ワルターとの確執があると知れば、それを取りなそうとしてくれるだろうが、根本的なすれ違いに目を瞑り、表面ばかり整えるようにするだろう。彼らを責めることはできない。立場上、そうせざるを得ないのだろうから。
ワルターに特別な気持ちがあるから、ではないはずだ。それでは、傀儡の女王となる自らの運命に嫌気が差しているのだろうか。それも否だろう。元々は、女神に命を捧げる心づもりだったのだ。人形のように振舞うことくらい、死ぬことに比べれば一欠片も恐ろしくはない。
ふと足元が暗くなり顔を上げれば、庭園中央の巨木の陰に入っていた。木漏れ日が暖かく降り注ぎ、眩しさに目を細めた。不意に、幼い頃の記憶が蘇る。
あれは、今日とは真逆の天候で、ちょうど先日のような豪雨が降りしきる、初冬の頃だった。
神木の下で雨を避けながら、しかし大雨の下では寒さに半ば散った木の葉や枝の遮りは
『逃げよう』
聞き慣れた声が脳裏に蘇る。その鮮明さを意識すれば、胸を締め付けるものは強くなる。ああ、そうか。やっとわかった。
エレナを
胸の奥の箱に仕舞い込んだはずの後悔。鍵が開いてしまえば、溢れ出る自責は止まることがない。無意識に胸を押さえ、痛みを堪えた。
どうしてもっと優しくしてあげなかったのだろうか。いつも我がままばかりを言って振り回して。たくさん迷惑をかけたのに、どうして愛想を尽かさなかったのだろう。どうしてあの日、二人で逃げようと言ってくれたのだろう。故人に問う術はないが、思わずにはいられなかった。
ヴァンのことを思い出す度、罪悪感を覚える。彼に対する罪悪感だけでなく、現在エレナを慈しんでくれる全ての人に対する負い目だ。
ヴァンを思い出し、その記憶に浸るとき、今周りにいる人々では不十分なのだと言っているような気分になり、申し訳なさを覚えるのだ。特にワルターに対しては、ヴァンの話をすることすら憚られる。思えばワルターも彼なりに、エレナを慈しんでくれていたはずだ。行動の背景に何があろうとも、その事実は変わらない。
それでも、
ぼんやりと見上げていた新緑から視線を戻し、やや小高い丘の上から王宮に目を遣った。白壁が陽光に淡く光っている。どれほどの時間を無意識に歩き続けていたのだろうか、日差しは大分斜めになっていた。
空腹を感じなかったので念頭になかったが、昼食を取り損ねてしまった。さすがに残りはもうないだろう。昼よりも夕食の時間の方が近い時刻だった。
無論、エレナが一言頼めば何か腹を満たせるものを用意してくれるだろうが、それも申し訳ないし、そこまで食事を求めているわけでもない。そんなことよりも、午後の業務を放棄してしまったので、署名が必要な書類が机上で塔を成しているだろうと思い、気が滅入った。
気持ちは依然晴れず、心を覆いつくす靄の意味も明確な理解からは程遠いのだが、そんな悠長なことを言っていられる状況ではないのだ。エレナは深呼吸をして胸いっぱいに清々しい外気を吸い込み、腕を伸ばして大きく伸びをする。それから気分を入れ替えるために軽く頬を叩いて、岩の宮への道を戻った。
急ぎいつもの第四執務室に行き、夕食の時間になれば
しかし、その機会は翌日にお預けになる。夕食前、陽が落ちる直前の時間帯に、北方オウレアス王国の使者が王宮を訪れ、明日使臣がやって来ると告げたのである。使臣は例の青い目の魔人らしく、事前準備が舞い込み忙殺されていたワルターは夕食にも訪れず、その晩は執務室に籠っていたのだ。
突然の使臣の来訪に、王宮内は張りつめた空気に包まれたまま、夜を迎える。日付が変われば、午後一番に青い目の魔人がやって来る。ヴァンと、イーサンを死に追いやった偽王の腹心だ。その晩はあまり眠れなかった。
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