14 殉職者と不穏


 道すがら、リュアンが亡命の経緯をぽつぽつと語る。あの日、波の王オウレスの決断により無血開城が決定した時。紫波騎士のほとんどは、主君の勅命を受け入れ、新王に仕える道を選んだが、リュアンと数名の同胞は大勢に甘んじることができず、城を秘密裏に脱出したのだという。


 もちろん、追手が迫る。かつての同僚に追われ、ある者は命を落とし、ある者は翻意し城や故郷へ戻り、一人また一人と同胞が減っていく。そんな中、出会ったのがイッダだったという。


 イッダは青い目の魔人に仕えていたが、裏切りに遭い、命からがら逃げだしたところをリュアンに保護されたらしい。青い目の魔人の裏切りについて問うてみたものの、思い出すのが不快なのか、イッダは曖昧な回答しかくれなかった。庭園の巨樹から星の宮まではさほど距離もないため、詳細を語る時間がなかったという事情もあるだろう。


 程なくして、三人は星の宮の玄関広間にあたる場所に辿り着く。大理石の白に黄金色の精緻な文様が彩る石柱。冷たい石床に響く足音、四六時中焚かれる神聖なる香。


 室内を漂う空気は冷たくおごそかで、身が引き締まる気分だ。エレナにとっては見慣れた場所だが、岩の宮に滞在をしている二人にとっては目新しいようで、イッダのみならずリュアンまでもが辺りを見回していた。


 二年前、波の王宮を案内してもらったように、エレナは星の宮内、地下へと二人を先導した。広間の端に、その石段はある。入り口は施錠などされず誰でも入れるようになってはいるが、そもそも星の姫セレイリが住まう宮殿。封鎖などせずとも、不届き者が侵入する心配はない。


 エレナは古い石戸を引き、こうに混じって地下から込み上げる埃と黴の臭いを懐かしく感じつつ、ちょうど扉の裏側に無造作に置かれていた手燭を掴んだ。


 広間の中央に戻り、祭壇から火を分けてもらい、地下へと下る。リュアンとイッダは厳かな表情でそれに続いた。


 星の宮は幾度も増改築がされ、外観内装共に古めかしさなど一切ないのだが、唯一この地下空間だけは古の造りを残している。


 星の騎士セレスダ慰霊の場所とはいえ、そもそも任期中に亡くなる者は稀なため、来訪者は珍しく、エレナですら、ヴァンが亡くなるまでは年に一度の慰霊祭の日に祈りを捧げる程度であった。人の出入りが少ない場所なので、手入れと言えば数年に一度、必要最低限の改修がされる程度なのだ。


 年季の入った石階段を下った先は、サシャ神国時代の様式を踏襲した純朴な印象のある祭壇である。エレナは手燭の火を祭壇の燭台に手早く移し、指を組んで祈る。


星の女神セレイアの御名において、其に安らぎの契約を」

「……加護が、ありますように」


 リュアンが呟き、イッダもやや遅れてそれに倣う。波の民である彼らは本来であれば「波の加護がありますように」と祈りの文言を唱えるところだが、星の騎士セレスダが眠る場所ということで、配慮したようだった。


 この場所で祈りを捧げると、己の星の騎士セレスダはもういないのだと、改めて身に染みる。激動の日々を過ごす中、頭ではヴァンの死を理解していても、それを実感することはあまりなく、時折、彼はどこかへ出かけているだけなのではないかと錯覚することもある。その後には決まって、言い様のない虚無感を覚えるのだった。


 それでも、こうして慰霊碑を前にし、そこに刻まれた過去の殉職者と彼女自身の星の騎士セレスダの名を視線でなぞれば、これが悪い夢などではなく、現実なのだと痛感する。


「十六人、ですか」


 碑に刻まれた星の騎士セレスダの名前である。


「ええ。意外ですか?」

「そうですね。こう言っては不謹慎でしょうけど、思いの外少なく感じます」

「無理もありません。神話の時代から続く職位ですし、武官ですから。もっと多くの殉死者がいると考えるのが自然なことです」

「本当にこんな少ないんですか。隠蔽してたりしないの」


 訊いたイッダに、リュアンが困惑気な視線を遣る。少年の歯に衣着せぬ物言いに、いつどのような無礼をしでかすのだろうかと胆を冷やしているらしい。


「隠す意味もないでしょう。星の騎士セレスダ星の姫セレイリが代替わりすれば任を解かれるから、在職期間は短いの。黒岩騎士団に戻った後に殉職した元星の騎士セレスダはたくさんいるわ」

「その人たちはここで祀ってもらえないんですか」

「黒岩騎士に戻った後、家族ができるでしょう。そうしたら彼らは親族の元で眠るのよ」


 星の騎士セレスダの家は星の宮であり、心身ともに星の女神セレイアとその御子に捧げるのだから、彼らの遺体が生家に戻ることはなかった。


 そもそも、戦乱の時代には遺体が出なかったり、五体揃っていなかったりするため、本当の意味でここに眠るのは、ほんの数人であると聞いている。


 暫しの沈黙が訪れる。祭壇に安置された十二聖人の一人、騎士の風貌をした忠臣の彫像が、蝋燭の光に照らされてこちらを見下ろしている。ちらちらと影が揺れ、風もないのに灯火が揺らいでいることに気づく。


「蝋燭がないわ。少し、失礼します」


 消えかけていたのは、エレナが地上階から持ち運んだ手燭の火だった。ここを出る時に石戸の横に戻し次回地下を訪れる際の明かりとする必要があるので、十分な長さの蝋燭に変えておいた方が良いだろう。


 予備の蝋燭は、石階段の側面に掘られた物置にある。いよいよ火は消えかけていて、明るさが足りない。掃除用具やら燐寸マッチやら、あらゆる備品が詰め込まれた場所から、丁度良い大きさの蝋燭を手探りで探す。


 祭壇の光のところまで持っていき、そこで蝋燭を交換するのが手っ取り早いだろう。そう考え、必要なもの一式を握り古い蝋燭の灯火を消して、屈めた腰を伸ばした時。一瞬にして、空間が闇に包まれた。祭壇の火が消えたようだ。


「なに」


 思わず声が漏れたが、リュアンとイッダは驚きの声すら上げない。


「リュアン卿……」


 反応はない。初夏とはいえ、地下はまだ冷える時期だ。肌寒さからか、それとも他の理由からか、肌が粟立ち、背筋に冷たいものが走った。口を閉ざし、壁に手を添わせて祭壇側へ向かう。響く微かな足音。その中に、己のものとは歩幅の違う音が重なるのを聞いた。


 身震いし、胸に抱えていたものを強く握ってから、手元に蠟燭と燐寸があることを思い出す。気が動転していたのですぐに思い至らなかったのだ。先ほどまで火を見ていた目は、いまだ暗闇に馴染まない。床に手燭を置きしゃがみ込んで、ほとんど触覚のみに頼り、やっとのことで火をつける……。


「……え……」


 微かな明かりの中、照らされた床に、靴先が見える。靴から脚を辿り、視線を上げて、エレナは目を疑った。


 リュアンが険しい顔で、眼下の者を殴り殺そうとするかのように、燭台を振りかぶっていた。

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