11 防衛、そして予期せぬ再会①

 大地に穿うがたれた溝は、東の端を早瀬に面し、西の端は全てを飲み込むような淵に繋いでいる。


 伝令が言うことには、敵軍は東側の、岩を割るような激流の中、倒木を使い簡易の橋を渡し、対岸へ列をなして押し寄せるところだという。幸い、狭く足場が悪いため、一度に渡ることのできる兵の数は少ない。それでも、ひっきりなしに上陸を許しては、戦力に劣るこちらの不利となる。


 ヴァンは古巣である黒岩騎士団の面々に顔を晒さぬため、濃紺の外套を着込み、フードを目深にする。飛び乗るように馬に跨り、単騎現場へと駆けた。


 ――こりゃ願ってもない機会じゃねえか、ヴァン。


 クロが低く言う。


 ――アヴィンがこの場に来ているんだ。そのままサシャの軍勢を奴のところへ誘導し、首を取らせる。お前や俺は血の契約で奴に直接手出しできないが、あいつを斬る刃となる人間を連れて行くことはできるからな。あの女の血筋が絶えれば、晴れて俺も自由だ。


 クロの言葉は的確だ。ヴァンが北に残ったのは、波の加護のせいで星の騎士セレスダであることが難しくなったからだけではない。サシャを……、エレナや友人を守りたかったからだ。クロの申し出を受け、兄に服従する振りをして、きたる日を待ちわびていた。計画より早いものの、ここでアヴィンを失墜させることができるのならば、これ以上の好機があるだろうか。


 ――問題は、どうやって黒岩の奴らに、お前がサシャ側についていることを信じさせるかだな。何かいい案はあるか?


 脳内に響くクロのしゃがれたような声に耳を傾け、ヴァンは言葉なく馬を駆る。左に歪な地割れ。その奥には急流。前方、目を凝らせば騎兵や歩兵が蟻の行列のごとく丸太橋を渡って来る。


 対して右を見遣れば、人家が立ち並ぶ。染物屋や船頭を生業なりわいとする人々の、貧しくも慎まやかな小屋。そのさらに向こうには、古びた灰色のシャーラエルダがあるはずだ。


 サシャの軍勢を招き入れるとなれば、彼らにも被害が及ぶだろう。ヴァンが寝返ったとしても、紫波騎士団の面々は、戦いを止めるはずがない。彼らの主はヴァンではなく、兄である波の王アヴィン。みすみす、本陣まで敵を通す失態は犯さないだろう。


 不意に、シャーラエルダの老村長の顔が浮かぶ。柔和な目元を綻ばせ、「また会えるように」と言った慈愛に満ちた声。この場所が戦場となるのであれば、あの町も被害を免れない。このような形での再会を、誰が心待ちにしたというのか。


 ――おい、ヴァン?

「名乗りは上げない」

 ――は?

「この場所を戦場にはしない。もともと、ここで睨み合いが続くように仕向けたのは、住民や、騎士団の面々が血を流さないようにするためじゃないか。サシャ軍を囲むように、地面を掘り返す」

 ――お前、何言ってんだよ。

「それに、アヴィンならとっくに首都へ向かっているはずだよ。ここで正体を明かして、彼の首取りに失敗でもしようものなら、計画が台無しだ」

 ――そりゃそうだけどなあ。


 さすがに浅慮に過ぎると自覚したのか、クロは不満げな声音はそのままに、溜息交じりの皮肉を投げてくる。


 ――お前変わったよな。昔は、星の姫セレイリ以外の命は二の次だったのに。

「人を冷血漢みたいに言わないでくれる」


 馬蹄の音が響き、黒衣の軍勢が迫る。数騎、先だって川を渡った騎士だ。


「クロ」

 ――へえへえ。


 気の抜けた返事と共に地鳴りが響き、怯えてた棹立ちになった敵の馬を覆い隠すように、土煙が舞う。地面が、爆薬でも仕掛けられたかのように隆起し、土砂をまき散らしながら地上に半円が描かれる。


 数名落馬したようだが、命の有無を確認する術はない。彼らとヴァンの間には、かなりの距離があったからだ。未だ馬上にある騎士らも、噂に聞く青い目の魔人の怪奇を、茫然と見下ろしている。


 幸い、彼らの計画は実行されたばかりで、ほとんどの騎兵は即席の橋の向こう側で、地割れと早瀬に囲まれた仲間を眺めているだけだ。ひとまず敵を封じることができたことに安堵する。急にクロの神力に晒されたからか、束の間意識が飛びかけたが、首を振って正気を保った。


「あれ、落とせる?」


 目を細めて視線を向けた先は、朽ちかけた巨大な丸太橋。お粗末にもほどがあるが、よくあれを見つけ運んできたものだと、その執念に感心した。


 ――木は死んでるが、寄生してる生物は多そうだし、いけると思うぜ。……けど、お前の方が大丈夫じゃねえだろ。ここ数日、無理して力を使っていたから。

「……あと少しくらいは大丈夫だ」

 ――俺としてはお前の身体はあまり酷使したくねえんだが。

を払う時のために?」

 ――俺を冷血漢みたいに言うな。


 やり返されて、ヴァンは小さく笑った。


 ――別に俺はお前を奥に押し込んで、自由に楽しくやらせてもらっても良いんだが。

「虐殺はごめんだ」

 ――ならせいぜい気をしっかり持てよ。


 敵の進軍が止まったところで手綱を引く。馬蹄が地を叩く音が止み、身体に伝わる振動がなくなれば、酷い耳鳴りがすることに気づいた。


「……クロ、とりあえずあれを」


 微かな悪態が聞こえたが、クロは反抗せず、丸太の真ん中辺り、苔して最も脆弱そうな部分に干渉する。


 それは湿っているからか、到底木が折れる音とは思えぬ粘質な叫びを上げて折れてから、呆気なく急流に吞まれていった。ここまでやってやれば、再度こちらに進軍しようなどという気にはならないだろう。

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