7 隣に咲く②

 ぼんやりとした明かりの中、いつもは柔和な目元が強張り、柄にもなく緊張した面持ちのワルター。彼がいかに策士と言えども、その表情は決して演技ではないだろう。居たたまれなくなったワルターが目を逸らすまで、その顔を言葉なく見つめてしまった。


「このような場所で、何の雰囲気もないですが」


 取り繕うような早口に、エレナは返す言葉を思いつかず、気持ちの整理もできないまま、口を衝いて出たのは何の可愛げもない問いかけ。


「この時期に?」


 ただ純粋に飛び出してしまった疑問なのだが、ワルターは虚を突かれたようにやや身を引いて、それから小さく息を吐いた。


「ええ、この時期にです。……正直に言うと、オウレアスにあなたを渡さないための婚姻でもあります。ですが、先日お伝えした通り。我々はいつか、もっと慈しみ合うようになる。今はまだ気持ちが追い付かなくとも」


 エレナは顎を引く。オウレアスに新王が立った。彼がサシャの民を統治するのであれば、いつかはエレナを波の王オウレスの妃に迎えるという申し出が来ることは、誰の目にも明らかだ。その前に、他の者と婚姻を結んでしまえば良いということか。


 オウレアスに完全に占領をされた状況ならばともかく、独立した国として存在するのならば、サシャの玉座には岩の王サレアスが座り続けるのが最善だ。抜き差しならぬ状況になるまでは、波の王オウレスに屈する必要はない。


 オウレアスが憎い。その私怨がなかったとしても、エレナやこの国にとって、彼の申し出は戦略的には最良だろう。しかし。


「あなたは、それでいいのですか」


 ワルターは少し眉を上げるが、エレナの言わんとすることは察したようだ。彼はエレナの手を離し、欄干に肘を預けて、薄く朱に染まる庭園を見下ろした。


「美しい庭園だ。どうしてだと思います」


 何の脈絡もなく話を逸らされて、エレナは首を傾ける。答えは求めていなかったようで、ワルターは続ける。


「木も花も、全てはただの生物であり物質です。単体では大して感動的なものではない。ですがそれらが置かれた場所で、不平もなく、互いに寄り添い絡み合いながら命を全うするから、庭園は庭園として一つの作品となり得る」

「それを配置しているのは、庭師でしょう」


 にべもないエレナの言葉に、ワルターは笑った。


「あなたらしい回答だ。ですが、国においての庭師は誰です。王であり、王に助言をする側近です」

「今日の会合で、あなたと私の婚姻が最善だと、誰かが言った訳ですね」

「そう決めたのは庭師ですが、彼らが私をあなたの横に植えるように仕向けたのは、この私ですよ。あなたという花の隣は、少し気を抜けば奪い合いですから」


 エレナは呆れ返って、ワルターの顔をまじまじと見つめた。結局は議会ですら、レイザ公爵家の一年越しの策略の道具の一つに過ぎなかったということか。溜息すら漏れそうになるほどだったが、さすがに失礼だろうと思い呑み込んだ。


 これが己の存在意義であり、全てを円滑にするための道であるのなら、異議はない。エレナは、軽く握り締められたワルターの手の甲に、指を重ねる。


「わかりました。……私でよろしければ、あなたの隣に植えていただきましょう」


 一歩距離を詰める。ワルターに倣い、凍るように冷たい欄干に腕を乗せると、袖の布地を通して肌が冷えた。


 同じように眼下を見下ろし、暫し言葉もなく寄り添った。月のない夜、雪が照り返す朱色の明かりが、ぼんやりと庭を照らしていた。

 

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