5 確執


 ――疑われているな。間違いない。


 クロの言葉に、否定の感情は浮かばない。毒殺未遂の話が出た途端、アヴィンがヴァンを見る際の目付きが変わった。ヴァンがことを起こすのであれば、そろそろ頃合いだとでも思っていたのだろう。打ち解けたと感じていたのは、驕りだったのか。


 無論、断じて毒など盛ってはいない。短期間ではあるが、寝食を共にした子供たちを平然と無差別に害することができるほど、非情になれる訳がなかった。


 そもそも、即位を終えたアヴィンはこの組織を失ったとしても困ることはないだろう。むしろ、孤児を手足として使ってきたことが知れ渡ると民心に与える影響が良くない。


 このことを懸念している様子は以前から察してきたので、アヴィンにとって戦略的に重要ではなく、むしろ頭の痛い問題となるこの場所を、忠義を疑われる危険を冒してまで害す意味は一切ないのだ。


 ヴァンは押し黙ったまま、書斎の奥の金庫を開き帳簿を取り出す。案外博識なアリアから以前手ほどきを受けた通りに読み解いて、直近で塩の売買があった商人を特定する。


 常連になってしまい彼らの記憶に残らぬよう、馴染みの店は作らなかった。もっぱら流れの旅商人か、遠くの町の商店から物資を買い込んできたため、記録を確認しないことには、容疑者の心当たりもない。帳簿によると、ここ三か月は塩の購入はなかった。


 ――三か月前か。買った塩経由ではなさそうだな。


 すると、やはり汲み上げた地下水か。


 ――塩か水以外って可能性はないのか。

「具がほとんどないスープだけの食事の後倒れたんだ。可能性がないわけじゃないけど、塩か水の筋が濃厚だよ」

 ――じゃあ誰が。

「わからないけど、僕を貶めたい誰かの仕業みたいだね」


 ヴァンは知らぬことだが、彼が思い至った犯人像は、アヴィンがイッダに語った推測と同様だった。つまり、地下水脈に毒が流されたのであれば、最も怪しむべきはヴァン。しかしそれは濡れ衣である。一連の事件は自分に対する牽制のようにしか思えない。


 ――不穏過ぎだろ。水脈をよく知っている奴なんて、それこそお前の兄貴くらいじゃねえか。あ、まさかあいつが、自作自演で?

「いや、どうだろう。アヴィンにとってはこの組織はもう必要のないものだ。殺してしまうならまだしも、毒の塩梅あんばいを調整して、死者を出ないようにするなんて妙だ」

 ――さらっと怖いこと言うなよ。でもまあ、その通りだな。奴なら迷いなく皆殺しにしてもおかしくない。


 確実に殺人をしようとするのであれば、毒の濃度に気を遣う必要はない。致死量以上の毒を流せば良いだけ。むしろ、死なないように、けれども確実に事件として扱われるよう、人を苦しめる程度の毒を調整するためには、綿密な計画と確実な知識が要求されるはず。


 そう思案し不意に、己が血も涙もない思考で冷静に命の勘定をしていたことに気づき、帳簿を握る手に自然と力が籠る。不自然な力がかかかり、紙面に皺が寄った。


 ――おい、ぐしゃぐしゃになる! 急にどうしたんだよ。

「……なんでもない。とりあえず、アヴィンの指示に従おう。この時期に疑われるのはかなり痛い」

 ――そうだな。くそ、計画1は断念か。それじゃ計画2を。

「そんな計画練った覚えないけど」

 ――俺の中で決めてんだよ。計画2に行くか3に行くかはな……。

「サシャの出方次第、だろ」

 ――なんでわかったんだ。


 ヴァンは肩を竦めて帳簿を捲った。計画に番号なんてついてはいなかったが、この邪神と手を組むと決めた時に彼から語られた話には、いくつかの分岐点があった。その最初の分かれ道がやってきたというだけだ。


 できれば、南が新王アヴィンに屈服してくれれば良いのだが、そうもいかないだろう。岩の王サレアスの精悍な出で立ちと、その名に相応しい盤石の構えを思い、そのような余裕はないとは思いつつも、一筋の郷愁を覚えた。


 ひとしきりページを捲ってから、該当者の目星をつける。後日言いつけ通り商人に連絡を取ったのだが、東部の地方都市で真っ当な商売を行っている大店おおだなであり、手掛かりどころか不穏な様子一つ見つからない。


 さらに調査の結果、塩水の泉の側で不審死した土竜もぐらの死骸が出て毒の経路が判明したのは、アヴィンの戴冠式からもう数週間が経った時期である。経緯の報告をした後、やっと首都への帰還を許す勅命があった頃にはすでに、状況は一変していた。


 オウレアス王国首都には、聖サシャ王国から、此度の王位簒奪を認めぬ旨の親書を携えた使臣が訪れた。それに対して拒絶の返答を持たせたアヴィンは、開戦の機運が高まる時期を見計らって、ヴァンを首都に呼び戻したらしかった。


 重大な政治的駆け引きには触れる機会もなく、ただあからさまに地下へ追いやられていただけのヴァンは、兄との確執を深めていた。



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