4 募る疑念


「みんなは……ゼトは、無事なのか!?」


 伝令にやってきた少年の胸倉を掴む勢いで、イッダは問い詰める。イッダより古参ではあるが、同じ年頃の少年である。あまりの勢いに後退あとずさってから、彼は頷いた。


「うん。幸い、死んだ子はいないよ。だけど相当苦しんでる。もしかしたら、後遺症が残る子もいるかもしれない」

「毒は、どこに紛れていたのだ」


 アヴィンが低く問う。国民へのお披露目はまだとはいえ、神殿で戴冠式を済ませた正真正銘の新波の王オウレスであるが、仲間内での振る舞いには、何ら変化はなかった。むしろ、伝令の少年の方が対応に気を配っているようだった。


「おそらく、飲用水か塩でしょう、陛下」


 オウレアスでは、そのどちらも、結局水が原因ということになる。飲用水は水道橋から引いているため、大本から毒が入っていたとするのであれば、国民全員がそれに侵されてもおかしくはない。しかしながらそのような噂は一切耳に入らない。とすると、地下から汲む塩の水が原因か。


 組織の面々は、首都に比較的近い場所から地下に湧き出る泉より塩水を汲んでいる。それを熱し、微かばかりの塩を得ているのだった。もちろん、それだけでは足りないため、本業で塩を扱う商人から買い入れることもある。商人が毒を流したのであればすぐに犯人が分かりそうなものだ。しかし、塩水の方が原因だとすれば。


 泉の上流は首都。更に辿れば、王宮の地下に行き着く。滾々こんこんと湧き出る塩水は、首都広場の塩の噴水や汲み上げ用の井戸を通り、地下深く木の根のように広がる。


 首都で害が出ていないのであれば、この筋も薄そうだが、水道橋とは違い、幾重にも枝分かれをしている水脈だ。水脈が末端まで分かたれたところ、泉の上流になる辺りから毒を流せば、もしかしたら。


「……直近で出入りした商人を調べ、尋問をするのだ。スヴァン、地下に戻り、子供たちの様子を見て来てくれ。それから、会計記録を調べ、商人に連絡を取ってほしい」

「わかった」

「それとイッダ、少しこちらへ。頼みたい仕事がある」


 まさか声がかかるとは思っていなかったイッダは虚を突かれてアヴィンの顔を見つめたが、王はそのまま隣室に向かってしまったので、意図を問う間もない。イッダは周囲の面々を見渡し、アリアが顎を引いたのを見てから、アヴィンの背中を追った。


 背後で扉が閉まると、肌を刺す冷気が痛い。一段気温が下がったようにも感じられる。無理もない。隣の部屋にいた時は、暖炉が煌々と燃えていたし、何より人が多かった。ただし、空気が冷えて感じるのは、それだけが理由ではなさそうだ。アヴィンの表情が暗い。


「どうしたんだよ、アヴィン」


 イッダはアヴィンが波の王オウレスになっても、態度を変えない。アヴィンも幼子の非礼を咎めることはしなかった。


「ああ、気になることがあって」

「気になること?」

「毒のことだ」


 そのようなこと、なぜ自分に告げるのだろうかと、イッダは首を傾ける。こういった難しい推察は、取り立てて頭が回る方でもないイッダには向いていない。そもそも、何が起きてもほとんど大人だけで方針が決められてしまうのが常だったため、アヴィンの態度は怪訝この上ない。


「おかしいと思わないか」

「何が? もったいぶらないではっきり言ってくれる」


「我々の本拠地は、これまで誰にも見つからなかった。それなのに、我々が不在にしているこの時期に、これほど的確に行動を起こせるいうことは、こちらの情報が敵対者に筒抜けということだ。

ことを起こすのならば、私たちがいない時期が良い。もし商人から買った塩に毒が含まれていたのであれば、それをいつ使うか知っている人物が、ことに関与していると推察するのが道理だ。

それではもし塩水経由であればどうか。周囲の町に害が及ばぬよう、毒を流し入れる水脈をたがう訳にはいかない。

結果的に今回、敵の思惑は遂行された。なぜか。それは敵が、どの水脈が我々の生活圏に繋がるか、熟知しているからだ」


 つまり、どこから毒物が紛れ込んだのだとしても、犯人は内部情報に明るい者だということか。アヴィンは言葉を切って、イッダの理解が追い付いているのかを確かめながら、続ける。


「流された毒は弱い。身体の小さな子供を含め、誰も死ななかったのであれば、敵の思惑は殺人ではない。それでは何か? 答えはおそらく、我々を攪乱すること。新体制の状況下、正直、悔しいがこちらには人手が足りない。そこに付け込み分断したところ、害を成すつもりなら?」

「一理あるんじゃない」

「では誰が地下空間を熟知し、我々を裏切る」

「……もしかして、スヴァンを疑ってる?」


 誘導されて、イッダも気づく。あの男は地下空間の拡張を担っていたので、よく地図を持ち歩いていた。水脈を抑える岩盤に穴を空けては大変なので、水のある場所も理解していたはずだ。


 更に、アヴィンの補佐として商人との交渉も行っていたし、何より彼は、サシャの要職にあった男。その辺りの事情は詳細には知らないが、不信感からひと時は憎悪すら覚えたほどどだ。誰が怪しいと言われれば、あの魔人だろう。そう思うのだが。


「……でもさ、そう思わせるのが本当の敵の作戦かもよ。ほら、スヴァンを疑わせて、俺たちを分断させる」

「無論、その可能性はあるし、そうであればむしろいい。私としても、弟を疑うというのは胸が痛いものだ。しかし、皆の安全を守るためには、時には非情にならねば。だからイッダ、そなたに一つ頼みたいことがある」


「俺に?」


 自分が口だけ達者な非力な子供であることは、よく承知していたので、いよいよ眉がくっつきそうなほど、顔を顰めてしまう。アヴィンは、そんなイッダに優しく囁くのだ。


「なに、の一部だ。もしスヴァンが妙な行動を起こしたなら、その時にはそなたにやってほしいことがある。それは……」


 周囲の耳を心配した訳ではないだろうが、彼はイッダの耳朶に顔を寄せ、任務を語る。全て聞き終えて、イッダは眩暈すら覚えた。


 イッダの耳から身体を離し、こちらを見るアヴィンの藍色の瞳は、深淵のように深く暗い色。


「さあ、どうする。嫌ならどこかへ逃げてもいいが」


 それは、従わぬのなら、ここにはおいておかないという宣告か。イッダは眼前の男が急に空恐ろしくなり、何も告げずに部屋から駆けだした。隣の部屋にはもう人の姿はなく、廊下に出て闇雲に駆ける。これからどうすれば良いのか、皆目見当が付かなかった。

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