3 譲位、そして再び動乱

「大丈夫か、イッダ」


 城下を進んでいた頃から表情が硬いイッダを案じて聞いてみたのだが、少年の口から出たのは、冷たい疑念に満ちた質問だった。


星の騎士セレスダってなんだよ」

「え? ああ」


 そういえばイッダにはヴァンがここにいる経緯を事細かには伝えていない。それは何もイッダに限ったことではなく、アヴィンとアリア以外は知らぬことだが、曲がりなりにも側近……とされているイッダを蚊帳の外にしていたのだから、拗ねるのも無理はない。


 実は敵国の重鎮のお付きでしただなんて、言うだけ混乱を招くし、皆ヴァンのことなど、「アヴィンの異母弟でクロという可笑しな多重人格を持っている変人」くらいにしか思っていないだろうから、過去について詮索されることもなかったのだ。


「それって、サシャの王宮にいたってことだよな。俺たちの敵、岩の王サレアスとか王女と一緒に暮らしてたってこと」

「そうだよ」

「じゃあ何でここにいるんだよ!」


 困惑しきった様子のイッダ。彼の戸惑いや怒りは理解に難くない。仲間だと思っていた者が、これほどに重大な情報を胸に秘めていただなんて。


「ごめん」

「なんで言ってくれなかったんだ」

「……聞かれなかったから」


 正直な言葉が口を突いて出てしまい、しまったと思えどももう遅い。イッダは目を見開き、震えるほど強く唇を噛み締めてこちらを睨む。それから乱暴に椅子を引いて立ち上がり、無言で、しかし抗議の印に足音を立てながら部屋の隅に行って、壁に一蹴り食らわせた。どん、と低音が響く。隣室ではアヴィンらが、何事かと首を傾けているかもしれない。


「イッダ」


 ヴァンは腰を浮かせ、少年の細い背中に呼びかける。イッダは藍地に灰色の線で描かれた壁紙の唐草模様を視線でなぞり、無視を決め込んでいるようだった。ヴァンは溜息を吐いて、再び腰を下ろして額を抱えた。


 ――浮気がばれた亭主みたいになってるぞ。


 クロの軽口に返す言葉もなく、ただ黙って肘の間から木目の揃ったテーブルを見下ろすこと暫し。永遠とも思える沈黙の時が過ぎ、会合が終わって扉が開くのが、どれほど待ち遠しかったことか。


 やがて謁見室から姿を現したアヴィンとアリアを見て、ヴァンは安堵した。重大な会談の後、首尾は悪くないらしく心なしか表情が明るいアヴィンだったが、控えの間の重苦しい雰囲気に怪訝そうに眉根を寄せる。


「何かあったのか?」

「それが」


 ヴァンが口を開くのを遮るように、イッダが近くの小机を叩いたものだから、室内に鋭く響いた音に、一同は口を閉ざす。ヴァンとアヴィンは視線を交わす。彼も、概ねの状況は理解したようだった。しかし機微に疎いアリアは、空気を読まない。いや、読めないのか。


「スヴァンがイッダを怒らせたのですね」


 その通り。この件に関してはヴァンは分が悪い。明日にでもなれば、イッダの気持ちも少しは落ち着くだろう。互いに冷静な頭で、きちんと目を見て説明をしようと心に決めたのだが。その機会が訪れるのがずっと先になってしまうとは、この時は思いもよらなかった。



 翌日からの会談には、ヴァンも参加をすることになった。昼夜連日にわたる話し合いにて、自らの血統の正当性をもとに譲位を迫るアヴィンと、聖サシャ王国との繋がりを保ちつつも、オウレアス王国にひとまずの安定をもたらした実績から自身の正当性を訴える波の王オウレスとでは、議論は平行線を辿っていた。


 十一年前の岩波戦争後、一度は廃位された波の王オウレスだが、波の民の統治に手を焼いた岩の王サレアスが、波の王家の血縁者を生かし、最終的に玉座に据えたというのは周知の事実。波の加護の印を持たぬ者が王となることなど、異例中の異例であったが、それも含めて岩の王オウレスの策略だっただろう。


 サシャには、血統正しい俗世の王と、星の加護を持つ神の子がいる。対して属国となったオウレアスでは、波の御子オウレンの血筋というだけで実際は加護を持たない仮初かりそめの王が玉座を守るのみ。おのずと国としての格に差が出るというもの。


 波の王オウレスとて、心底岩の王サレアスに敬愛の念を抱いているという訳ではない。彼が王になったのも、オウレアス王国を、ひいては波の民を守るため。自治権を保持するため、岩の王サレアスに屈して辛うじて王家の血脈を繋げることが、国益になると判断をしたというだけのことだ。


 それは、現在のこの国の様子を見る限り、決して誤った道ではなかっただろう。いかに波の加護を持つ甥が戻ってきたとはいえ、譲位をすることで南との関係が悪化するのであれば、波の王オウレスとしては首肯できかねるのだ。


 一方、アヴィンとしても自身の血の確かさだけを理由に交渉を進めるほど、浅慮せんりょではない。彼の手元には、強力な武器がいくつもあった。それはもちろん刃物などではなく、文書である。


 一つは、岩波戦争後、波の王オウレスを復権させる際に取り交わされた条約の一部である。その一項に、本来王位は波の加護を持つ王家の血縁者に受け継がれるべきだが、のため、加護を持たぬ血縁者に受け継がせる旨の明記があるのだ。


 交渉事とは、揚げ足の取り合いだ。波の王オウレス側の反論としては、アヴィンはすでに処刑され、この世に存在しないはずの者なので、その血統すら怪しいと返って来る。これに対してアヴィンは、当時いかにして己が処刑を免れたか、明言して対抗する。証人すら用意できるらしい。


 その証人が、いつかの孤児院の院長、アリアが食えない男と評したあの男であったのだから、これにはヴァンだけでなくアリアも眉を上げた。


 当時の経緯はこうだ。星の姫セレイリ毒殺未遂に端を発する岩波戦争の開戦後、北の敗戦を見越した動きは戦いの初期からあった。敗戦が現実味を帯びてくると、いかに勝つかは論点にはならない。素早く復興し、きたる日に主権を取り戻すための布石をどのように敷くかが、議論の中心となる。その中で、王太子を秘密裏に逃がし、反体制派の長として擁立するための策略が練られたのであった。


 結果、王太子の処刑の日、断頭台に上がったのは、青い目をした哀れな孤児。背格好の似た少年を連れて来て、暴力で顔を腫れさせてしまえばもう、それが影武者であるとは判別できない。これを暴くことができなかったのは、岩の王サレアスの詰めの甘さか。


 また、波の王オウレスの統治は及第点以上のものではあったが、完璧ではない。アヴィンの手中には、王が手を貸した不正に関する情報が集められている。


 神殿経費の横領を見て見ぬふりをし、賄賂を受け取り、それを岩の王サレアスに横流しする。そのような機密情報、いかにして手に入れたのかヴァンには理解しかねるが、どうもアリアが頻繁に首都に行き、誰かと「文通」をしていたことに手がかりがありそうだ。


 これらの不正に関する情報は、いったいどこから漏れたのか、瞬く間に首都に広がり、噂は尾鰭を付けて国中に広がった。開城からひと月も経たぬうちに、国内での反感は増大し、やがて王は、譲位に了承する。


 この年、波の玉座には十一年ぶりに、波の加護を持つ王が座すことになったのである。


 さて、このような激動の毎日を過ごしていたものだから、イッダとの和解を試みる機会も早々にはやって来ない。それならばアヴィンの戴冠式後、状況が落ち着いたところで腰を据えて話そうと思っていたのだが、事態は一変し、その機会は失われてしまった。


 反体制派の本拠地、蟻の巣状の地下空間にて、集団毒殺未遂が起こったという衝撃的な報告がヴァンたちのところに舞い込んだのは、開城から一か月ほど経った頃であった。

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