第四幕 近づき離れる道の途中で
1 王太子の帰還
白茶けた塩の大地を、農具を武器にした、見るからに戦力を欠いた歩兵が進軍してくる。それに最初に気づいたのは、首都を取り囲む城壁の上で、見張りにあたっていた少年だった。
慌てて
仕方なく城壁の上に戻り、再度東に目を向ける。近づけば彼らは、とても奇妙な出で立ちをしていた。
皆一様に濃紺の外套を纏い、フードは
弓も届かぬような位置で、彼らは突然前進を止める。軍団の中から、ただ二人、背中に農具を背負わない丸腰の黒ずくめが歩みを止めない。少年は望遠鏡をその妙な人間たちに向ける。
体格の似た二人だ。男か女か、大人か子供か、はたまた老人か。遠すぎて判別はつかないが、未知なるそれは、闇の中から這い出した魔物のごとく不気味ににじり寄る。不意に脚を止め、一人が右手を上げる。それが合図だったらしい。
低い地鳴りが微かに鼓膜を揺らしたと思った刹那、轟音が鳴り響き、城壁が大きな縦揺れに襲われた。少年は望遠鏡を取り落とし、壁面に縋りつく。揺れが収まったところでやっと、飲んだくれの上官が小部屋から這い出してきた。
少年は上官の頼りない赤ら顔を横目にし、何が起きたのか確認すべく足元に転がる望遠鏡を再度構えたのだが、そんなものは必要なかった。
裸眼でも誰の目にも明らかなほどの変質があった。城壁の麓が大きく抉れ、基礎構造が剥き出しになっている。誰もが目を疑う。一体何が起きたのだ。
「は……放て!」
酔いのせいか、恐怖のせいか、ともかく統一性のない動きで方々から矢が降り注ぐも、黒ずくめは微動だにせず、右手を上げる。再び地響きが轟く。今度は見逃すことはなかった。
少年の眼前で、地面がひとりでに爆発し、土石を噴き上げて土煙が二人を包む。それが収まった時には、彼らとこちらの間には深い溝が作られていた。射かけられた矢は
「聞け」
よく通る、男の声だった。どうやら、眼前の黒ずくめの一人が言ったようだ。
「わが名はアヴィンジーク・レ・オウレス。正統なる波の玉座の主。城内への招きを請う」
「アヴィンジークだって? 十年以上前に処刑された王太子と同じ名前じゃないか。まさか、生きて……?」
気づけば後ろに立っていた老兵が、目を細めて地面を見下ろしながら言った。少年は望遠鏡で王太子と名乗る男を観察する。外套のフードが目深なため、その顔は見えない。
と、不意に少年の耳に、弓を引き絞る軋みが聞こえた。顔を向ければ赤ら顔の上官が、制止する間もなく一本の矢を放つ。
強弓ではなかったが、鍛えられた兵士の弓は弧を描き、真贋はともかく王太子と名乗る男に飛来する。
それを、隣に立っていた男……地面を操っていたように見えた男が、目にも止まらぬ速さで斬り伏せた。丸腰だとばかり思っていたが、どうやら外套の下に短剣を隠し持っていたようだ。その素早い動きの風圧でフードがはためき、少年は目を見開いた。
「波の加護」
王太子の隣で沈黙を守る男の瞳が、青い。遠目にも、レンズ越しに見えたそれは、深い藍色だった。
オウレアスの民であれば、波の加護を持つ者らに危害を加えることはどうしても躊躇してしまう。彼らは敵なのか。それとも本当に王太子とその側近の魔人か何かなのか。
近年めっきり少なくなった波の加護。少年は、あのように深い色合いの眼を見たことがない。老兵の意見を募ろうとしたが、当然裸眼ではそこまで見えなかったようだ。しかし彼は、全てを見透かしたような眼差しを地上に向け、言ったのだ。
「王の帰還だ。時代は、変わる」
しゃがれたような声を背にして、少年には脚が震えぬように踏ん張るのが精いっぱいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます