幕間 それは見守る

そして鐘が鳴る

 ――その鐘は、終焉を急かす響きのようでした。


 秋が終わり、年の瀬が迫る頃。


 聖サシャ王国アレスタ寺院の鐘楼から、もの悲しい鐘の音が響きます。それは世継ぎの死を痛む弔いの鐘。誰もがその死を覚悟をしていたようでした。


 彼の命を奪ったのは、何者だったのでしょう。オウレアスに蔓延はびこる不穏分子でしょうか。王太子の地位を、望まずとも脅かした星の姫セレイリでしょうか。はたまた、その存在を容認した岩の王サレアス? 


 それとも主犯は時の流れや季節の移ろいで、この凍えるような雪空が原因でしょうか。もしかしたら誰のせいでもないのかもしれませんし、運命の糸を紡いだわたくしのせいかもしれません。


 ただ鐘が鳴る中、一筋の涙も出ないことに、黒岩騎士のイアンは戸惑っているようでした。きっと主君の死に心が追いつかず、現実のこととして受け止めることができないのでしょう。思えば、友人である星の騎士セレスダの国葬の時にも、涙は流していませんでした。


 その代わりに星の姫セレイリは、イアンの分まで悲しみを体現しているかのように見えます。王太子の死に、彼女は憔悴しょうすいしているようでした。


 それに寄り添うのは、エルダス伯ワルター。レイザ公爵の次男である彼は、父の命ずるがまま、星の姫セレイリの隣に立つだけです。


 このように悲しみに暮れる日くらいは、政治的な策略から距離を置いても良いのでは? けれども父の意思には逆らえないのが彼なのです。自らを、そして傍らの星の姫セレイリを……全ての人間をこの国を維持する駒の一つとして認識する、己のあまりの冷淡さに、彼は自嘲します。星の姫セレイリの薄い肩をそっと支えると、罪悪感は一層大きくなったようです。


 岩の王サレアスはそれを眺め、何を思っているのでしょうか。彼の目は娘を見ているようでいて、ただ虚空を凝視しているだけ。


 王太子の死に何の動揺も見せなかったのは、帝王学の賜物でしょうか。それとも彼は悲しみの感情を失ってしまったのでしょうか。これから起こる不穏な事象を憂う眼差しすら持ち合わせていないようで、その名の通り、盤石ばんじゃくな男です。彼はもうの加護を受けた人の子の末裔ではありませんが、その振舞いはあの子に似ているように感じます。


 訃報は国境を越え、北方オウレアスの首都へと届きます。波の王オウレスは知らせを受けて、神殿に向かいました。激動の時の始まりです。これまでの苦行は、報われるのでしょうか。彼は最後の駒を進めるため、鐘を鳴らします。


 波の神殿が、宗主国の世継ぎの死を悼むを鳴らすと、それは首都に滞在していたアリアの耳に届きました。


 彼女は、故郷の里から送られてきた定期連絡文を、興味もない顔で無造作に丸めて、眼前の塩の噴水に投げ入れます。それは地下を巡り、遠くの川へと流れつく前に溶けてしまうのでしょう。動乱の前に、郷愁などは不要です。あの日……アリアが剣守けんもりの任を受け継いだ日から、その心には従うべき別の人物がいるのですから。


 さて、彼女が投げ入れたものは、もう一つあったようです。こちらは鉄板に古代文字で暗号を彫り込んだ文書。塩の水に流されても、紙とは違いすぐに消えてしまうことはなく、それは川を下り、やがて地下の泉のほとりで、幼い少年が拾い上げました。茜色の髪をした少年、ゼトです。


 彼は何もわからぬ無邪気な様子で、それを父であり兄のような男に手渡します。男はゼトを抱き上げ、金属板を濡らす水滴を軽く払って文面に目を落としました。


「……時が来たか」


 呟いてから、彼は胸元の黒い石を握ります。ゼトが不思議そうにそれを眺めています。この石を手にした時、アヴィンは父母の狂気を受け継ぎました。はなから安寧あんねいは求めてはいません。全てはただ、この茶番劇を無事終話に導くために。


 その藍色の瞳は、暗く深く、誰かが紛い物のようだと言ったでしょうか。あながち嘘でもない、と彼は唇を皮肉げに歪めます。けれどもそれを受け入れ、雌伏する気は毛頭ありません。アヴィンは目を閉じて、これから起こる事象に思いを馳せています。



 ――雪が降りしきる日、王太子の訃報を知らせる鐘は聖都に響き、遅れること数日して、その報は首都を経由しオウレアス中に拡散されました。


 人は私を全知全能の大神と呼びますけれど、それは異なります。私にできるのは、数多の運命から一筋の正解を選び取り、一つの運命を織り上げることだけ。定まらぬ物は、何ら理解ができないのです。


 人の子の心の動きですら、全てを推し測ることは不可能です。ですがそれは同時に、興味深いものでもありました。


 それぞれの思いを乗せて、鐘は天に響きます。ただ、嵐の気配を孕みながら。

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