18 顛末と南のこと


 後から聞いた話によれば、反体制派は王宮内にも入り込んでおり、紫波騎士団の一角にも、同志がいるのだという。此度の里への訪問が不穏であると案じたアリアが、アヴィンに掛け合い、森の外に騎士団を配置するように事前に打診していたらしい。こうなることが予想できていたのなら、最初から言ってくれれば心の準備ができたのだが。


 どちらにしても、やはりヴァンには全てが明かされている訳ではないのだろう。紫波騎士団が反体制派にここまで大々的に助力をするなど、いったい波の王宮はどんな管理の下で機能しているのか。問い詰めても、納得の行く答えは返って来ないのだ。


 ――波の王オウレスの側近はほとんど、こっちの手の内なのかもしれないな。


 クロが冗談めかして言ったが、それもあながち間違ってはいないように思える。それでもなお、波の王オウレス岩の王サレアスに媚びへつらっていたし、アヴィンらは波の王オウレスを廃するための計画とやらを練っているのだから、解せない。


 大量の鮮血を滴らせていた深い切傷は、自室の寝台の上で意識を取り戻した時には跡形もなく消え失せていた。何でもクロの神力のおかげらしい。なるほど、そういえば剣の神は生物に干渉するのだった。ヴァンの瞳の藍色を隠したように、人の容姿を変化させることができるのならば、傷を塞ぐ程度は造作ないのかもしれない。


 クロは常と変わらぬ高慢さで「俺の力は偉大だ」と豪語していたが、ヴァンは癒えたはずの傷から生じる高熱にうなされた。朦朧とする意識の中、傷を塞ぐことができるのであればこの発熱をなんとか出来ないものかと尋ねてみたところ、返ってきたのは何とも歯切れの悪い言葉。


 ――馬鹿言うなよ。お前の身体が俺の偉大な力に耐えられる訳ねえだろ。あ、できなくはないぞ、断じて。

「死ぬよりいいと思うけど」

 ――本気で死にそうになってから言え。これには色々と代償が必要なんだよ。


 クロが神力を使うと、身体の芯が鉛のように重くなり、酷くなれば頭痛と吐き気に見舞われる。彼が言うことは全くの出鱈目ではないのだろう。だが、虚勢を張るような語気を悟れば、クロが声高に主張しているほどの力を今もなお保持しているのか、疑問が残る。


 神体である剣が砕けたということは、彼の神としての力は不十分なのだろう。その剣が完全なる姿を取り戻すことがあれば、その時はもう少し使ようになるだろうか。


 どちらにしても、残りの剣の欠片は北方山脈の向こう、異国の地にある。鍛造し直すとしても、元となる鉱石は南方にはない。いや、そもそも神により生み出されたクロの本体は、人智及ばぬ物質でできているのではないだろうか。見た目は黒曜石のようだが……と、そこまで考えて栓なきことと気付き、呆気なく思考を放棄した。


 そんな調子で悶々と横たわり快復に努めることしばらく。獣から受けた傷ゆえ、病をもらっていないか不安を覚えたが、結局クロの手を借りるまでもなく程なくして体調は快復し、一同はひとまず胸を撫で下ろしたのだった。


 ヴァンが床に伏せっている間、最も心配をして看病をしてくれたのがイッダだと気づいていたので礼を言ってみたが、彼は照れ隠しか反発をして、素直に礼を受け入れてはくれなかった。


 彼に言わせれば、「格好つけて小枝で戦って大怪我した馬鹿を、これ以上おかしなことをしないように、仕方なく面倒見てやっている」のだという。結局クロの出番はなかった訳で、はたから見れば彼の言葉は間違っていない。ヴァンは複雑な気分でそれを聞いたのだった。


 さて、ヴァンが地下に籠っている間に、事態は確実に動き出していた。アリアが以前から頻繁に首都に行っていたことは知っていたが、いよいよ波の王オウレスを貶める切り札が手の届くところに迫ったらしい。具体的な内容は例によって教えてもらえないので、王都で何をしているのかと問えば、彼女は王宮の協力者と「文通」をしているのだと言い、やはり要領を得ない。


 体調不良はしばらくすると概ね快癒し、日々の鍛錬や、ゼトや他の子供たちの子守りの仕事に戻れるようになって、いつも通りの日常が戻り始める。そして、この生活を日常と認識していたことに気づき、また一つ罪悪感を覚えた。


 一方、南方、聖サシャ王国では、一つの事件が起こったようだった。


 それは秋も深まる頃。収穫祭が終わり、冬支度を整え始める時期だった。例年にない豪雨が、サシャの土地を襲ったのだ。


 ――『アーヴェ川氾濫。五年ぶりの異常気象』か。


 ゴシップ的な記事を中心に掲載する、南方の大衆新聞をクロが読み上げる。基本的には地下に籠るヴァンたちの情報源は、各地より集められた新聞や雑誌であった。その中でも、聖サシャ王国の下らない四方山話よもやまばなしばかり記事にするこの新聞が、いつになくまともな内容の見出しを一面に飾っているのが目新しく、ヴァンはそれを手に取っていた。


「作物の収穫が終わった時期だったのは不幸中の幸いだったね。五年前よりは被害も少ないみたいだ」


 記事を斜めに読んで、ヴァンは要約する。同じものを見ていても、視界を共有しているだけなので、この国の文字に慣れていないクロは、ヴァンが読み上げたり端折はしょって説明しないと、同じ速さで紙面を共有することができなかったのだ。


 ――五年前か、懐かしいな。今回は、神への捧げ物の話は出てないのか。


 クロの問いに、該当しそうな部分を探り、黙読してから首を振った。


「前回よりもましだから、そういう向きはないらしい」


 ――そりゃよかったな。でもまあ、星の姫セレイリは今では王女様だから、下手に生贄になんかできねえよな。


 直接的に過ぎる発言に、ヴァンは無意識に眉を顰める。当然自分で自分の顔は見えないので、ヴァンの表情を知る由もないクロは、遠慮ない。


 ――どうするんだろうな、もし天変地異が起きたら。誰が神に血を捧げるんだ。いや、そもそも、どこに隠れたかわからない神に何を捧げても無駄だよな。どうやって受け取るんだよ。

「こんな風習、なくなればいいさ」

 ――同意だが、急にそうもいかないだろ。ただでさえ、あの姫様が俗世に足を踏み入れたことに対して、敬虔な星の民、とやらの反発もあるみたいだし。

「ゴシップ新聞が言ってたことだろ」

 ――馬鹿だな、そういうのが結構真実なんだよ。国が検閲してそうなお堅い新聞には書けないことも、こういうのは記事にしてくれる。例えば聖都で人気の女優が……。


 何やらどうでもいいことばかり楽し気に捲し立てているが、知らぬ誰かの起こした不祥事など、大して興味も抱かない。代わりにヴァンの脳裏では、思い出したくもない記憶が再生されていた。


 五年前。ヴァンが、星の姫セレイリの宿命を知るきっかけとなった事件だ。

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