15 祭祀の宵①


 遥か北方、峻厳な山脈の向こうで、古王国が繁栄していた時代。彼の地に繁栄した王国の建国祖である武王は、世界を紡ぎ上げた創造主たる全知全能の大神より、黒曜石のごとく漆黒の宝剣を賜った。その剣は、世界が創造された残滓を集めた物であり、神の力を帯び、武王にその地を平定せしめた。


 武王は神から賜りし剣を聖剣と崇め、神聖なるものとして神殿に奉納し、それを奉ることを民に課した。人々は、聖剣の加護の下、慈愛と平和に満たされた、束の間の平穏の時を過ごす。


 それは、泡沫のような安寧。時が経ち、人間が争いを始めると、王制への反逆者はあろうことか聖剣を神殿より略奪し、神通力をもって、王位の簒奪を謀った。


 幾度も幾度も、同様の筋書きの歴史が繰り返される。血を浴び続けた聖剣は、人間の欲望や死の苦しみを覚え、人格を得て、もはや神聖さを失った。


 時の為政者はそれを危ぶみ、浄化のために無垢なる生贄を捧げたが、その血すら、聖剣を悪しきものへと貶める一助となっていた。


 次第に、は人の手に余るものになっていく。見かねた大神が剣を自らの御手に戻すまで、人の世には、剣の神気に侵された狂人が蔓延はびこった。神の放つ力は、人間には大きすぎたのである。


 大神は自らが与えた加護のなれ果てにいたく心を痛め、剣の意思を尊重し、彼が最も好む、憎悪や苦痛といった人間の感情を一身に浴びる場所へ、それを安置した。そこは死した人間が行きつく先。冥界と呼ばれる場所である。


 それから幾星霜、もはや冥界の神となった聖剣は、人間の死に際の苦悶を浴びると同時に、安らかな死や、愛情に満ちた生を知り、人間のごとく多様な感情を持つ神となり、冥界の主として人々を迎え入れることとなる。


 それを見守っていた大神は、剣の成長を喜び、再度人間の手にそれをゆだねることにした。聖者オースが大神より剣を授かり、以降子々孫々に渡り、それを守ることを誓う。剣守の誕生である。


 しかしその当時、人の地ではすでに別の神が信仰されていたため、剣の神を主神とする一派は辺境で細々と暮らすようになる。華々しい、一神教かれらの時代はすでに遠い過去のことであった。


 やがて、神話の時代は終わり、人の子同士の争いが進む。剣の神の一派は敗北し、折れた剣の残骸を抱え、未知の海へと乗り出し、遥か南方へ命からがらの亡命を果たした。

 ……これが、この里の成り立ちであった。




「結局、クロは邪神みたいなものじゃないか」


 先ほど長老に聞いた話を反芻しつつ、正直に感想を述べてみると、クロは不満げに鼻を鳴らしたが、いつものような舌鋒鋭い反論はない。


 失われた記憶をこのような形で聞かされるというのは、衝撃的なことだったかもしれない。クロ曰く、記憶は剣が砕ける前のものがすっぽり抜けているらしく、辻褄が合う。多少の脚色はあるだろうが、長老の語ったことは真実だろう。


「だけど、どこの国の神も似たようなことするよね。この地の三神も人の子に加護を授けてお隠れになったし、君も冥界に隠れていた」

 ――三神は俺の兄と姉みたいなもんだしな。それと人間が、同族同士で殺し合うような愚かな生き物だからだろう。

「否定はできないな」


 そこで沈黙が訪れ、ヴァンは手持無沙汰に敷物を撫でた。


 祭祀の夜。本来であれば聖剣を祀るべき神棚が設えられた建物。見慣れた星の神殿とは全く造りの違う、木造の祠のような祭殿の中に、ヴァンは一人座っていた。


 時間になれば巫女が聖水と供え物、清めの香を持って来ると聞かされたのが数刻前。一体いつまで待っていれば良いのだろう。


 やしろの中は薄暗く、日中に訪れた長老の居室を思い出す。昼間なので明かりを焚いていないため、光度が低いのだと思っていたが、夜になってもどの家もわずかばかりの明かりしか灯さず、この里は全体的に闇に包まれた印象だ。無論、ヴァンの周辺も例に漏れず、神棚の横に数えるほどの蝋燭が立てられている他、照明はない。


「不気味だ」

 ――同感だな。まあ、俺の本性は死後の世界の神らしいし、辛気臭えのは似合いじゃねえか。

「冥界を守るのは、聖剣に宿っていただけの時より、世の中のためになってたはずだ」

 ――励ましてるのか、おちょくってるのか。

「励ましているんだよ」


 そうこうしているうちに、やっと待ち人はきたる。人間の歩みの速さに合わせて涼やかな鈴の音が響き、扉の前で停止する。しゃがれた長老の声で、何やら祝詞のりとのようなものが唱えられ、それが終わると扉が開く。さして広くもない室内に、途端に甘ったるい香の白煙が流れ込んだ。


 ――なんだこの趣味悪い匂い。


 クロの感想どおりだ。悪臭ではなく、どちらかと言えば良い香りなのだが、むっとするような強さと、甘すぎる刺激に、頭がくらくらとした。


 なぜこの匂いに耐えられるのだろうか。平然とした顔でやって来たのは、白い揃いの装束を纏った三人の女だった。ヴァンの左右と前方を囲むように立ち止まった彼女らのむき出しの足首には、鈴が括り付けられていて、これが動きに合わせて鳴っていたようだ。


「主神よ、今宵の祭祀に捧げられし聖なる品々、どうかお受け取りを」


 戸口の辺りで述べた長老の白濁した瞳が、月光に照らされて煌めいた。そのまま、こちらに入ってくるのかと思いきや、老婆自身は外に残り、ゆっくりと扉を閉じる。軋んだ開閉音だけを残し、その姿は視界から消えていった。

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