14 剣守の掟

 翌朝、目覚めるとすでにアリアの姿はなく、しばらく待っても戻って来ない。勝手知らぬ里で、ヴァンとイッダは途方に暮れてしまった。考えの読めぬ女ではあるが、いてくれないと心細いこと、この上ない。


「アリアのやつ、本当に自分勝手だよな。大人なのに」


 自由奔放に過ぎるイッダに言われたくはないだろうが、二人の年齢差を考慮すれば、イッダの言葉も否定には及ばない。


「そうだね。まあ、言っても仕方ない。探しに行こう」

「え、俺たちだけで? 危なくない?」

「怖いの?」

「そんな訳ないだろ」


 敢えて言ってみると案の定、イッダは頬を朱に染めて否定をするのだから、次第にこの少年が可愛らしく見えてくる。二人は、衝立の向こうを覗き、アリアが戻っていないことを再度確認すると、来客にあてがわれた建物を出て、周囲を見回した。


 一晩過ぎ、客人の事情は知れ渡ったのであろう。昨日のような警戒感溢れる視線はなく、どこか好奇心に満ちた眼差しか、全くの無関心か。向けられる感情は二分されているようだった。ヴァンは、近くにいた青年に声をかける。


「すみませんが、連れを見ませんでしたか。……剣守けんもりの女性です」


 剣守、の単語にやや反応したようだったが、彼は首を横に振る。すると、近くで様子を窺っていた中年が、親切にも声をかけてくれた。


「剣守様なら、北の外れに向かいましたよ。きっと墓参りでしょう」


 思いの外友好的な態度に、イッダだけでなくヴァンも人知れず安堵する。それにしても、墓参りとは。アリアが故人を悼む姿というのが、失礼にも想像が付かない。


 親切な住民に礼を述べ、彼が指し示した方に向かおうか、躊躇する。アリアも人の子だ。墓参りを邪魔するのは気が引けたので、一旦部屋に戻ってみたのだが、陽光が中天から降り注ぐ時間になっても彼女は姿を見せず、空腹に耐えかねたイッダの機嫌が悪くなってきたので、とうとう北の外れとやらに向かうことにした。


 アリアの居場所はすぐに知れた。北へ向かうには、壁のようにそびえる山脈を目印にすれば良かったし、そうでなくとも里の外周を辿って行けば、外れに位置する集合墓地が目に入っただろう。


 アリアの他に人の姿はない。彼女は膝を突き、特筆すべき特徴もない墓石の前で、祈りを捧げていた。その容貌も相まって、もし暗がりの中であったなら鎮魂の像か何かに見えただろう。彼女は微動だにせず、目を閉じて精神の世界に没入しているようだった。


「寝てる?」


 イッダの場違いな呟きに、アリアの漆黒の睫毛が揺れて、光を浴びると紫がかって見える黒玉のごとく瞳が覗いた。


「起きています」


 簡潔に言ってから、アリアは立ち上がり、膝についた砂を払った。それから天を仰ぎ、長居し過ぎたことに気づくと、こちらに向き直る。


「すみません。もう昼時ですね」

「腹減って死にそうなんだけど」


 イッダの無遠慮な言葉に気を害した様子はないが、なにやら後ろ髪を引かれるようなアリアの姿に、ヴァンは問うてみる。


「アリア、ここは?」


 さすがのアリアも意図を汲んだようで、「墓地です」というような、ずれた言葉は返って来ない。珍しく目を伏せてから、彼女は憂いを含む眼差しで墓石を見下ろした。


「私の、弟の墓です」


 アリアに姉弟がいたとは、初耳である。故人であったため、これまで話題に上がらなかったのだろうか。ヴァンは、常にないアリアの表情に気の利いた言葉が浮かばない。墓石を見下ろせば享年が標されているが、十一年前の、岩波戦争終戦の年であった。


「弟さんも岩波戦争で?」

「無関係とは言いませんが、遅かれ早かれ亡くなったでしょう」

「ご病気だったのか」

「いいえ」


 アリアは、いつもの感情の薄い声音のままだが、普段より更に硬い声で、しかしあっさりと言った。


「私が殺しました」


 あまりにも当然のことのように言うものだから、聞き間違いかと耳を疑う。呆けた顔をしていたのだろう、ヴァンの顔を見てアリアは付け加えた。


「剣守の宿命です」


 過去に思いを馳せているのだろうか、彼女はいつもよりも饒舌だった。


「この里は、北より亡命した私たちの祖先が拓いた集落です。里で生まれた全員が共通の祖を持ち、全ての者に剣守となる資格があります」


 星の姫セレイリや、オウレアス王国建国前の波の御子オウレンと同様だ。彼らも、それぞれの民の中から、加護の印を持つ者が選ばれ、その任に就く。


「選定の基準は、一族の血が濃い多胎児であること。このような子供たちは、同じ魂を複数の肉体で分け合っています。二つに分かたれても生存ができるということは、元々の魂が強大ということに他なりません。ですから私と弟は、剣守に選ばれました」


 アリアはじっと墓石を見下ろしている。雲が陽光を遮り、影が下りてきて、少ししてからまた日差しが戻ってきた。


「ですが、どれほど強い魂でも別々に存在をしていたら、それは常人と何の変わりもありません。剣守の双子は成人する前に、一方が一方の肉体を殺し魂の統合を成して初めて、その役目を受け継ぐことができるのです。主神は生と死を司り、戦いを奨励する神ですから、自然なことです」


 だから双子の弟を手に掛けたのだと、当然のことのように言ったアリアだが、微かに震えを含んだ声を聞いてしまえば、ヴァンには彼女を非難めいた目で見ることはできなかった。しかしながら、同じく弟を持つ幼いイッダには、その機微を理解し、受け入れることはできないようだ。彼はアリアに強い視線を向けていた。


「なんだそれ。俺だったら周りに何を言われても、絶対にゼトを殺したりしない。やっぱりアリアは変だ」

「イッダ」


 咎めようとするが、アリアが片手を上げて首を振ったので、ヴァンは口を閉ざすしかない。


「決まりだから、はいそうですかって従ったのかよ。俺かゼト、どちらかが死ななければいけないと言われたなら、絶対に逃げてやる。それでもだめなら、俺が死ぬよ。アリアは、兄弟を殺してまで生きたかったのか」

「……あなたはに似ていますね」


 瞼を閉じて聞いていたアリアは、小さく呟いてから目を開く。もう、いつもの無表情に戻っていた。


「イッダ、あなたの言葉は否定しません。弟を大事になさい」


 それから踵を返し、集落の中心地に向かって、一人で歩き始めた。


「あ、待てって」


 昨日から手首の拘束が外れているイッダは、ヴァンを置いて慌ててアリアの後を追う。前を向いたまま視線も向けないアリアに纏わりつき、なおも何かを言い募っているようだ。


 一方のアリアは無視を決め込んでいるらしく、見かねたヴァンが止めに入る。イッダの方も、アリアが単に非道であったから弟を手に掛けた訳ではないことは、心の中では理解していたようで、少し宥めると口を閉ざしてくれた。


 アリアの滑らかな頬の、感情のない横顔を眺める。これは勝手な想像であるが、イッダとゼトの関係に思うところがあったため、孤児院からのあの帰り道、イッダを生かして連れてきたのではないだろうか。驕りかもしれないが、少しずつ、この剣守のことを理解し始めることができたように思えた。


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