13 里へ


 アヴィンの一声によって再度拘束をされることになってしまったイッダは、始終不機嫌である。里までの道のり、ヴァンとアリアの腕に交互に繋げられ馬に同乗する姿は、さながら連行される囚人のようだ。本人も自覚があるようで、これは虐待だと口達者に不平を漏らしていた。


 イッダの不機嫌以外は特段大きな問題もなく、予定通りの旅程で目的地に着く。夏の盛りであるため、森を構成する背の高い針葉樹は青々としており、爽やかな木々の香りが漂っている。


 温暖な時期とはいえ、大山脈の頂点には永久凍土が粉砂糖をまぶしたように白く輝いていた。無論、そこから吹き降りる風は冷たいのだが、この季節は海からの湿った風が吹き込むため、高湿度も相まって寒さは感じない。むしろ心地の良い気温だ。


 森の入り口でアリアが馬を止めたので、後から来たヴァンもそれにならう。今はヴァンの腕の間に座っているイッダが、興味深々に森の暗がりを覗いていた。


「うわあ、こんなとこ初めて来た」

 ――呆れるくらい、緊張感のないガキだぜ。


 不気味な迷いの森にすら感嘆できるとは。怯えてくれれば良かったのだが、この調子ではやはり不用意に縄は外せない。


 意外にも均された林道の間を、アリアの合図を待ち常足で進む。故郷だというのに周囲を警戒する様子に、この里が尋常ならざる民の集落であることが、ひしひしと感じられる。


 ――見張られてるな。


 クロの囁きに、ヴァンは頷く。監視者はどこにいるのか判然としないが、アヴィンの話から推察するにおそらく、木々の間、針葉樹の枝の上、いたるところで部外者の侵入を阻止するため目を光らせているのだろう。


 途中、道は幾又にも分かれたが、アリアの先導に迷いはない。まさかそのようなことはないだろうが、一つでも道を間違えれば、森の獣の昼飯になってしまうかもしれない。薄ら寒いものが背筋を撫でる。


 ヴァン一人であれば、クロの猛獣じみた力で切り抜けられるだろうが、敵が複数であった場合、アリアとイッダまで守れる気はしなかった。いや、アリアもクロ並みの身のこなしで剣を振るうから、杞憂に過ぎないかもしれないが。


 狭まったり拡がったり、増減する道幅に注意しつつ進むことしばらく。最後の三叉路を越えてひと際大きな樹木の陰を抜けると、古びてはいるが強固に作られた木柵の中、その集落は姿を現した。


 可動式の柵の横には、日中だというのに松明を掲げた二人の守衛。といっても専業の武人という様子はなく、住民が持ち回りで任に就いている、といった様子だ。彼らは来訪者を認めると、一歩前に踏み出した。アリアがいつもの感情の薄い表情で、馬上から名乗りを上げる。


「剣のしもべアリアレッテ。長老の招きに応じ、主神を宿す者と共に参りました」


 守衛は、事前に来訪者の件を聞き及んでいたのであろう。言葉なく互いに視線を交わした後、柵を開くための装置を起動させる。装置と言っても、足の短いいかにも頑強そうな牛に柵を引かせ、扉のように開閉するだけだ。柵が開く軌跡上、地面には指の太さほどの窪みができた。


 その穴を踏まぬよう、馬蹄が用心深く下ろされて、馬に乗ったまま里に招き入れられた。遠巻きにこちらを観察する住民たちは、一様に警戒心を露わにしてる。彼らの神が来たというのに、一体どういった心情か。「心からの歓迎はされていない」どころではない。


 ――なんか、思ってたのと違うな。俺の民だろ、もっとこう……へこへこして、歓迎して、酒池肉林のもてなしとかあるかと期待してたのに。


 そこまでは求めないが、クロの言葉には概ね同意である。だがしかし言っても仕方がないこと。ヴァンは黙ってアリアの斜め後ろに従った。しばし馬蹄を進め、里の中央の他より大きな建物に辿り着くとアリアが下馬したため、それに倣う。どこからか少年がやって来て、手綱を取って馬を休ませに連れて行ってくれた。


「こちらに、長老がいるはずです。ご用心を」

「用心って具体的に何を?」


 アリアはただ首を振るだけで答えない。そのまま暖簾越しに名乗り、呻きにも似た老婆の声が返ってくると、一足先に室内に足を踏み入れた。足が竦んだ様子のイッダの肩を軽く叩いて安心しろと促してから、ヴァンもその背を追った。


 室内には、薄っすらとこうが焚かれているらしく、甘いが仄かにたきぎを感じさせる香りが漂い、室内には白い靄がかかって見えた。日中ゆえか、人工の照明はなく、天井と窓からの日の光だけが照らす室内にはほとんど調度品がない。板張りの広間の一段高い位置に、小柄な老婆が静かに正座をしていた。真っ白な頭髪に、鉄製の冠のようなものを載せている彼女が、アリアの言う長老か。


「アリアレッテ。良く戻った」


 しわがれた声と共に、老婆の視線が向けられる。目は白濁し、とうに視力を失っているのではないかと思ったが、こちらを見据える視線は真っすぐであった。


「長老、お招きに預かり光栄です」


 老婆は小さくうむ、と頷き、ヴァンとイッダに視線を向ける。やはり見えているのか。


「して、この方が」

「ええ、スヴァンジークとサンセイッダです。主神は、彼の方に。スヴァン、イッダ、こちらが我が里の長です」


 会釈をしたヴァンとイッダに、老婆は目を細めた。


「それは、何ぞ」


 皺の深い指が指し示したのは、ヴァンとイッダを繋ぐ縄だ。確かに、事情を知らぬ者には奇妙に見えるだろう。里の柵は高かったし、簡単に逃げ出せる様子もないので、後でイッダを解放してやってもいいかもしれない。


「これは、主従の印です。三神の国々この地の文化のようです」


 アリアが淀みのない口調で出任せを言う。長老は理由については特別気にしていないようだったので疑われることもない。


「そうか。しかし、祭殿に入られる際には、外すように。あちらには主神と、一族の巫女しか入ることはできぬ」


 アリアが少しだけ眉間に皺を寄せたように見えたが、瞬きをすればもういつもの無機質な表情に戻っていた。老婆はそんなアリアを一瞥だけして、続ける。


「祭祀は三日後。それまでは自由にお過ごしになると良い。あなた方を歓迎する」


 歓迎などとは、全く思ってもなさそうな状況ではあるが、形ばかりでも長老の明言があり、ヴァンたちの滞在は少しは快適になるだろう。この薄暗く、妙な匂いの漂う部屋の中にいると、おかしな気分になってくる。三人は煙から逃げるかの如く、早々に長老の前を辞したのであった。

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