6 婚約の勧め、そして動乱
エルダス伯ワルター。社交界の評判も良く、この一年半、ことある毎に会話を交わす中で、若干の強引さはあるとはいえ彼の人柄の良さは理解したし、その機転にも頼りがいを感じるほどだ。
イアンやメリッサが暗に仕向けるように、彼と共に一生を過ごすのは悪くはない。むしろ、エレナにはもったいない話なのかもしれない。そう思う部分もあるのだが。どうしても、融通の利かない己を消すことができないのである。
「閣下」
笑いを収めてから、背筋を伸ばして呼びかければ、ワルターもつられて引き締まった表情を浮かべる。視線で促され、エレナは言葉を選んで口を開けたり閉じたりした後、結局単刀直入に問いかけた。
「お気を悪くされたら申し訳ございませんが」
「何なりと」
「それではお聞きしますが、あなたは……レイザ公爵家は、なぜそれほどまでにして
ワルターはじっとこちらを見つめたまま、答えない。エレナはなおも続けた。
「どんなに察しが悪い者でも気づきます。あなたが私を好いているわけではないことは。ただ、私が
答えないワルターの様子を見守り、さすがに礼を失し過ぎたかと後悔が湧き起こるが、発言は撤回できない。口は禍の元とは良く言ったものだ。
エレナの視線を受け、ワルターは目を逸らすように紅茶を一口含み……それから、それを吹き出しそうになって慌てて咳込んだ。ナプキンで口元を抑えたものの、部屋中に彼の苦し気な呼気が響き、女給が心配して近づいてくるのを、片手を上げて制した。
しばし呼吸を整えて、改めてこちらを向いた彼の表情は、これまで見たことがないほど清々しい素直な笑顔であった。
「閣下、大丈夫ですか」
「まったく、あなたという方は」
咳払いしても、ワルターは可笑しさを収めることができない様子だ。
「そうですね、あなたには建前は逆効果でしょう。おっしゃるとおり豊穣祭の日に殿下に近づいたのは、父と兄の差し金です。
エレナは頷いて先を促す。
「あなたは私をおじさんだと思うでしょうが、私としても、よく知らない、成人後数年の若い女性に甘い感情を抱くような性癖はありませんから。今でも、あなたを愛しているかと言われれば、首を横に振るでしょう。ですが」
こちらに向けられた淡い緑色をした瞳からは、真摯な意思が伝わるようだった。
「先ほど、私があなたを好いていないとおっしゃいましたね。これは少し違います。あなたという清々しいほどのお人柄は、とても好ましく思っています。それに、私も腹に一物抱えた性格をしていますから、あなたのような真っすぐな性格の方とは相性がいいと思いますよ。何度も言葉を交わすうち、その気持ちは日増しに強くなってきておりますから」
ワルターは言葉を切り、今度は吹き出さずに紅茶を嚥下し、続けた。
「今はまだ、あなたを愛してはいません。ですが、畏れ多くも友人としては、好いております。この気持ちが、何年か共に過ごした後に愛情にはならないと、誰が決めつけられるでしょうか」
彼なりの実直さに答える言葉を持たず、エレナはただワルターの表情を見つめた。核心を突いても、いつもの調子ではぐらかされるだけだと思っていたのだが。
胸に広がるこの感情の正体は分からないが、一つ確かなのは、ワルターとの未来を少しでも考えようものならば、胸の奥に強い罪悪感のようなものを抱くということ。
なぜ
それとも、もしかしたらイアンが言おうとしたように、死なせてしまった
「ああ、何もおっしゃらなくて結構です。あなたが何と言おうと、今後もお誘いするのは控えません。それが父の指示であり、私自身の意思でもありますから」
答えに窮したエレナを気遣って軽い調子で言ってから、ワルターは全く別の話を始める。
近頃の流行りがどうとか、どこぞの令嬢がこうとか、際どい噂話なんかもして見せてから、王宮の馬車が迎えに到着する頃合いを見て自然に終話させる話術にはいつも感嘆する。レイザ公爵当主は宰相職についており、彼の家は文官家系であるから、頭の回転が速いのは血筋の影響もあるかもしれない。
そんな和やかな空気は、突如として崩れる。
席を立ち、騎士を呼び寄せて階下に降りようとした時、寛いだ雰囲気を壊すように、不意にどこか遠くで小さな破裂音が聞こえたのだ。次いで微かな衝撃が建物を揺らし、窓が音を立てて振動する。
大した鳴動ではなかったものの、何かが爆発したような気配に、階下の客が不安げに騒めく声が聞こえる。それでも騒然とならないのは、ここしばらく治安が悪い状況が続いていたため、慣れが生じてしまっているからに他ならない。
「また諍いのようですね。万が一のことがあっては大変です。王宮までお送りしましょう」
ワルターの申し出に甘え、馬車二台で帰路を急ぐ。他の家の馬車と数台すれ違ったが、同様に皆急ぎ脚であった。
王宮の門にたどり着くと、門衛が増員されている様子である。王家と公爵家の紋を大々的に掲げた馬車であっても、一度引き留めて不穏な様子がないかと検める姿に、ただならぬ様子を感じた。
やっとのことで岩の宮に入れば、偶然にも足早に謁見室に向かう宰相と鉢合わせた。白髪の混じる年代である彼は、王太女と息子の姿を目にし、ちょうど良いとばかりに同行を促す。
「閣下、これは何事ですか」
聖都で小さな爆発があったにしても、そのような事件は悪いことに日常の一部となってしまっているため、宮内がこれほどまでに騒然とするとは考えづらい。宰相は足早に回廊を進みながら、低く答える。
「北へ向かわせた使臣が帰って来たのです」
先日のオウレアスの内戦にて、
「それで父上、偽王の回答は」
「……不服があるのであれば、開戦をと」
その言葉に思いの外動揺していない自分に、冷静な驚きを覚える。遅かれ早かれこうなることは、首都陥落の知らせを耳にした時からとうに覚悟はできていた。けれども理由はそれだけであろうか。
自身の心の深淵を覗き込めば、どす黒い感情が熱く煮えたぎっている。
自分はすでに神聖な
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