4 婚約の勧め②

 エレナの意思はさておき、侍女もイアンも、なぜかワルターには概ね肯定的であった。確かに高位貴族の子息であるし、見目も麗しく、聖都の最高教育機関である大学院を主席で卒業した輝かしい経歴を持つ。エレナだって、彼が執拗なほどに言い寄って来なければ、悪い印象など抱かなかったはずなのだが。


 星の姫セレイリの肩書きしかなかった頃は、王宮の敷地を出ることは少なかったが、俗世の王女の称号を得てからは、聖都をお忍びで出歩くことも以前よりは増えた。全てのものが目新しく感じられる時期のエレナを、様々な場所に連れ出してくれるワルターを友人とすることを、なぜ嫌がるのかと周囲は首を傾ける。


 店まではレイザ公爵家の馬車で共に向かうことになったので、エレナとイアンは王家の馬車に一旦戻り、迎えの目安時間を伝えてから王宮に下がらせる。黒い馬車を見送ってから、すぐにワルターの待つ方へ向かおうとするイアンの腕を、エレナは問答無用で掴んだ。


「ちょっと待ちなさい」

 イアンは、肩を怒らせる主君に何事かと目を丸くした。


「わからない振りは通用しないわよ。どうしてエルダス卿に私の予定を教えたの。おかげでお茶に付き合わなければいけなくなったじゃない」

「エルダス伯爵は悪い方ではありません」

「それはわかっているけど。私があの人から距離を置きたがっているの、知っているでしょう」

「ええ、存じ上げております」

「それなのに、私の意思に反するのね」


 眦を釣り上げて問い詰めるが、イアンは涼し気な容貌そのままに、表情を崩さない。


「主君をお守りするのが私の責務です。僭越ながら、あなたの未来のために正しいと思うことを行うのみです」

「私を諫めているつもりという訳ね」


 やや離れたところにいるワルターの耳に入らないよう、潜めた声ではあるのだが、怒気を孕んだ声音は伝わったようだ。イアンは少しだけ目を細め、それこそ親戚の娘にでも言い聞かせるように諭す。


「エレナ様。私はずっと、あなたとイーサン殿下の側におりました。だから、イーサン様のことだけでなく、あなたのことも少しは理解しているつもりです」


 それはその通りなのだろう。岩の王サレアスとその家族を守護する黒岩騎士であるイアンは、エレナが王女となってから、より近い存在となった。王太子が亡くなり、エレナが後継者となった後は、今のように護衛騎士として常に側にいてくれる。


「私も、は今でも信じられませんし、受け入れてはおりません。王太子殿下とは違い、その亡骸を目にした訳でもありませんから」


 星の騎士セレスダが死した件を言っているのだと、エレナにはわかる。神妙な顔で言ってからしばし口を閉ざし、言葉を選んでから改めて、彼は続けた。


「ですが、もしあれが誤報だったとしても、彼があなたの前からもう一年半以上も姿を消しているという事実は揺るぎないのです。ですから、エレナ様。あなたには酷な進言だと承知の上で申し上げますが、もうヴァンのことは胸の奥に仕舞い込んで、前に進むべきです」


「……どうしてここに彼が出てくるの」

「それは」


「殿下、いかがされましたか」


 口論の気配を察したのか、はたまた少し聞こえていて、話の核心に踏み込ませたくなかったのか。ともかく間が悪いことに、ワルターの無邪気な呼び声が会話に割り込む。エレナとイアンは互いに視線をやり取りしてから、小さく吐息をついた。


「申し訳ございません、閣下。……今晩の夕食のことで少し」


 苦し紛れな見え透いた嘘に、ワルターは気分を害した様子もなく、小気味よく笑ってくれる。


「それは大切な相談ごとだ。解決するまでこちらでお待ちしておりますので、どうぞごゆっくり」

「いいえ、もう済みました」


 話の腰を折られ、もう続ける気にもならない。イアンは少し不満げな様子だったが、さすがに引き留めることはしなかった。


 二人は公爵家の馬車に乗り込み、見慣れたワルターの護衛と四人で他愛もない話に花を咲かせる。どちらかと言えば、主君の会話に積極的には参加しないのがイアンであるが、ワルターの騎士はとても社交的だったから、エレナは彼との会話をいつも楽しみにしていた。


 また、ワルター自身もさすがは秀才。機転の利いた語り口に豊富な話題は、なんだかんだ言ってもエレナの耳を楽しませてくれるものだった。

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