17 それぞれの絆、そして真実

「どういうこと」


 拍子抜けしたエレナの顔は、泣き腫らした後であることも相まって、目も当てられない様子に違いない。騎士は、慈愛に満ちた視線の中に、一筋の憐憫のようなものを交え、答えを拒んで首を振るだけだ。これ以上聞いても回答はないだろうし、ハーヴェルを困らせるだけだと判断し、エレナは小さく溜息を吐いた。


「お母さんとお父さんは愛し合っていたの?」


 そうだ、と言えば娘は安心するだろうに、ハーヴェルは口ごもる。すぐに取り繕うように「存じ上げません」と言ったが、嘘が下手な男の表情は硬い。それが全ての回答だった。


「そう」


 小さく呟き、カップを両手で包んでその香りを吸い込む。母は結局、政治の道具にされただけなのだろうか。星の姫セレイリが子を産む。これまでであれば、そのような可能性は誰も考えてみなかったことだろう。それも、エアリアが前例を作ることで、権力層の意識は変わる。星の姫セレイリが世襲化することもあるかもしれない。だが、そのようなことには自分の代では決してならないと、エレナは確信していた。


 本来星の姫セレイリの身体は、神にその身を捧げることで最期を迎えるべきなのだ。母が自分を産んだためにそれが叶わなかったのであれば、その義務を娘であるエレナが忠実に果たさなければいけない。


 例え、空の果てに隠れた女神がもう、人を見守っていないとしても。……その身を捧げる儀式の後に、天の怒りが収まらないのであっても。


 母の最期の無念を思い、物思いに耽ったエレナにハーヴェルは、案外しっかりとした声で続けた。


「ですが、嫌い合っていた訳ではないでしょう。仲は睦まじかったはず。それに、あなたを身ごもることを望んだのは、エアリア様です」

 驚いて顔を上げると、緑の瞳が真っすぐこちらを見つめていた。


「彼女の覚悟を思い起こせば、そこで命を落とすことすら知っていたのではないかと思うほどでした。ですが彼女は、生きた印をこの世に残すことを望みました。あなたを授かった後のエアリア様は、とても幸せそうでした」

星の姫セレイリの職務を投げ出そうとしたの」

「そうではありません。ただ、心からあなたを望んだのです。それこそが、星の女神セレイアの意思であると仰っていました」


 暖かな寝床、飢えなど無縁の食卓、周囲の尊敬の眼差しと、神の絆で結ばれる星の騎士セレスダ。そのどれもが星の姫セレイリに与えられたものであり、何不自由ない生活だったが、それも神の元に召されるまで。


 実際のところは、彼女たちの「もの」は何一つないのだ。その中でエアリアは、自分の血を引く子を望んだのだった。少し見方を変えれば、神への反抗のようにも感じられる。だなんて、そのような詭弁、母の口から発せられたものとは思いたくもなかった。


 想定外の真実に、言葉を失う。想像の中にしかいない母が急に、完璧ではない、一人の人間の姿として脳裏に現れた。


 これを伝えれば、エレナの心中に複雑なものが巣食い始めることは、彼もわかっていただろう。それでもハーヴェルは、彼の星の姫セレイリの選択を受け入れ、支持し、その忘れ形見に語ったのである。


 黙り込んでしまったエレナの様子をしばらく見守った後、ハーヴェルは頭を掻いた。

「少しお話が過ぎました。しかし、これでもまだ、私があなたを疎ましく思っているのでは、などとはおっしゃいませんね」


 確認の言葉に、エレナは頷く。ハーヴェルが父親のように思えたのはきっと、彼がエアリアの半身であり、同じ望みを共有しているからだ。彼の主君が命を賭して産み落とした生命いのちはきっと、それだけで慈しむに足る存在なのだろう。


「ハーヴェル」

 呼びかけると、騎士はこちらを覗き込む。

「ありがとう」

 気恥ずかしさもありつつ言ってみると、彼はただ、静かに微笑んだ。




 時は、光のような速さで過ぎ去った。ハーヴェルが決めた期日は数日前に過ぎ去り、例の悪趣味な贈り物の出どころもわからぬまま、何一つとして手がかりは見つからなかった。星の宮にも、それを根本で管理をする岩の宮にも、諦めの空気が漂っている。


 約束通り、ハーヴェルを自身の邸宅に帰し、エレナは自室で物思いに耽る。ヴァンの生存は絶望的だろう。黒岩騎士が捜索をしたところによれば、シャポックラントの地には廃屋しかなく、ヴァンや黒幕の痕跡はなかった。しかし、とある半壊した住居の中に、夥しい量の血痕が見つかったのだという。それがヴァンのものなのか確認の術はないが、状況から察して、ほとんど間違いないだろう。


 あのヴァンが、敵に斬られるだなんて。その話を聞いた時、最も首を捻ったのはイアンだった。あの星の騎士セレスダは、相手を仕留める間合いにさえ入らなければ、木の葉のように斬撃を躱すことに長けていた。幼い頃から共に鍛錬をしてきたイアンは、そのことを身をもって理解していたのである。とはいえ、多勢に無勢で囲まれてしまえば、彼も人間。太刀打ちできない場面もあるのだろう。


 黒岩騎士の調査隊が報告書を出すと、宮殿は一気に選抜のための準備に動き出していた。エレナに直接の打診はないが、イアンやハーヴェルの様子から、騎士団がそれを進めていることは明確だった。


 ハーヴェルが、彼にとっての星の姫セレイリはエアリアだけだ、と語ったように、エレナにとっての星の騎士セレスダはヴァンだけである。それでも、新たな騎士を選任しなければ、祭祀の際に不都合が生じるのも理解していた。これが役目なのであれば、ただの星の姫セレイリであるエレナには、受け入れるしかない。


星の姫セレイリ


 ぼんやりと窓の外を眺めていると、控えめな侍女の声がした。肩越しに振り向くと、彼女は少し肩を縮めているようだ。言いづらいことがあるのだろう。


「どうしたの」

「陛下が、お呼びです」


 とうとう来たか、というのが正直な感想だったから、エレナは直ぐに腰を上げた。思いの外軽いその足取りに、侍女は安堵したようだった。


 侍女侍従を引き連れて向かうのは、岩の宮。敷地の真ん中に位置する庭園を通り抜けるのが最も近道だったが、小雨が降り注いでいたため、直角に張り巡らされた回廊を進む。


 白と金を基調とする星の宮の敷地を抜けると、黒に銀の垂れ幕が壁掛けられた、岩の宮に入る。そのまま、通り慣れた大理石の上を言葉なく歩み、岩の王サレアスの広間に向かった。てっきり謁見室に案内されるものと思っていたが、これはいったいどういったことか。


 エレナの姿を見ると、重厚な扉の前で侍従が一礼し、室内の王に星の姫セレイリの到着を告げる。いつ見ても重たそうな扉が引かれ、目に飛び込んだ光景に、エレナは柄にもなく足が竦んだ。これはどういうことか。驚きに硬直したエレナに、壇上の岩の王サレアスが、やや硬い声音で声をかける。


「どうした。早く入るが良い」


 その言葉で正気に戻り、膝を折って礼をしてから、銀色の毛足の短い絨毯の上を進んだ。エレナが驚いたのは、この場に予想だにしない面々を見たからだ。


 中央を岩の王サレアスまで導く灰銀の両側には、国内の重鎮。先月、日蝕の儀に際して一堂に会した貴族たちが、たったのひと月後に聖都に集まるだなんて、奇妙なことだ。なぜだか、胸騒ぎがした。


 岩の王サレアスに呼ばれた時、新たな星の騎士セレスダの選抜に関する勅命だと思ったのだが、それであればこのように権力者層を集める必要性はない。エレナは敢えて両側には視線を向けず、目の端で観察するに留めて、玉座の前で改めて膝を折った。臣下の最敬礼をしようと、そのまま脚を引いた時、不意に王の右手が上がる。その意味を理解するより前に、王は言った。


「良い。そのように畏まるな」


 言葉の意図が理解できない。広間中に重鎮が集う中で、一介の臣下である星の姫セレイリにだけ、礼を失する行為が許されるというのか。


 エレナは対応に困り、王の横に座る王太子に目を向けた。このひと月、少し距離感のある対応は変わらず、今日もやや複雑な表情でこちらを見下ろしている。それでも、生来優しさを持ち合わせているイーサンは、安心させようとしたのか、口元で微笑み、小さく顎を引いた。


「陛下、これはどのような」

「皆、聞け」


 戸惑うエレナの言葉を遮り、王は声を高らかにし、立ち上がった。上質な漆黒の外衣が翻り風を揺らす音が、しんと静まり返った広間に響いた。そして、王は耳を疑う言葉を発したのだ。


「これは、血を分けた我が娘である。ここに、この者を岩の宮の王女として迎える」


 息を吞んだのは、エレナだけだった。臣下たちは口々に、示し合わせたように「王女殿下万歳」などと唱和している。思考が停止してしまい、再度イーサンに目を向ける。彼は黙りこくったまま、瞼を伏せていた。


第二幕 終

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